第十章∶その22
会話が聞こえたらしいセラちゃんや少尉もそちらを向くが、彼女たちにもオークの幽霊の姿は見えていないっぽい反応。
「何故俺だけ」という疑問と「本当にアレ見間違いじゃないんだろうな」という不安が同時に湧いてくる。
『ゲイェにその幽霊の特徴を伝え、心当たりがないか聞いてみよ』
そしてしばしの沈黙の後ベルガーンがくれた助言は、なんというか非常に実行し難いものだった。
「……今?」
『今だ』
ゲイェは今現在もリーダー格のオークと押し問答の真っ最中、それに話しかけろというのかこの野郎は。
いや確かにこの押し問答の終わりイコール戦闘開始の可能性がとても高いので、話しかけるなら今しかないのはその通りなんだが。
でも話しかけにくいもんは話しかけにくいんだよこんちくしょう。
息を吸って、吐く。
俺も人生の中で他人の話に割って入った経験はあるが、こんなとても殺気立った会話をしている人たちに話を振ったことは流石にない。
「今それどころじゃねぇ!」みたいにキレられたらどうしよう。
「うるせえ!」って殴られたらどうしよう。
いやゲイェはなだめている側なのでそうはならんだろうが、対面のオークは確実にヒートアップしてるのでたいへん危ない。
話しかけた瞬間怒りが爆発するイメージばかりが湧いてくるのですげえ緊張する。
「あの、ゲイェさん?」
俺はもう一度深呼吸した後、意を決してゲイェの背中に言葉を投げかける。
残念ながら腹から声は出せなかったので、声の出力は平時の七割程だろう。
「どうしたね」
振り向いたゲイェの顔には「今取り込み中なんだけどな」と言いたげな苦笑。
対面のオークは「何だこの野郎」とでも言わんばかりに俺を睨みつけてくる。
ついでに二人の会話を注視していた周囲のオークたちの視線も俺に集中する。
心底怖い。
今すぐ帰りたい。
「あの、実はですね……」
俺はこんな空気感の中でオークの幽霊の話をしないとならんのか、改めて考えるととんでもない地獄だ。
それでもやらないといけない……いやこれ本当に伝えなきゃいけないことだったのか?
とまあ謎の葛藤まで始まったところで俺はもう一度意を決して、気力を振り絞って言葉を吐き出す。
ちなみに恐怖のあまり声の出力がさらに一段階落ちた。
「あの森の手前辺りからずっと俺たちの方を見てるオークの幽霊がいるんですが、何か心当たりないですかね?」
一息にそう言い終えた俺に対する周囲の反応、それを端的に言い表せる一言がある。
ズバリ「滑った」だ。
約半数が「何言ってだこいつ」という目で俺を見、もう半数は森の方に一度視線を移した後「何言ってだこいつ」という目で俺を見る。
要するにこの場にいる者たちはほぼ全員が、異常者でも見るような目で俺のことを見つめているということだ。
「ブフッ」
はい少尉が耐えきれず吹き出した。
俺からは顔を背け、全力で口を押さえながらプルプル震えてらっしゃいます。
そんなに面白いのか、いや面白いんだろうな。
この人の笑いのツボは大概謎だが、もしかして俺が酷い目に遭うと笑うのだろうか。
もしそうならなんて酷い話だ。
ともあれ彼らの反応を見る限り、やはりあのオークの幽霊は俺以外の誰にも見えていないようだ。
ウェンディとアンナさんが最後の望みだったが二人とも駄目。
これでもう完全に見えるのは俺だけ、あの幽霊の存在を保証してくれる者は誰もいなくなってしまった。
俺自身、自分の目と頭のどちらかがおかしくなってしまった可能性を捨てきれずにいる有様だ。
「あー……どんなオークが見えるんだい」
一応はきちんと対応してくれているゲイェの表情も、「こんな時どんな顔をしたらいいのかわからない」と思ってること間違いなしの半笑い。
それでも聞いてくれるだけマシと感謝すべきだろう。
果たして俺がゲイェの立場だったらまともに話を聞こうと思えるかと言われると、たいへん怪しいし。
「ええっと───」
幸いにもオークの幽霊は少々特徴的な見た目をしていたため、説明はしやすかった。
種族は”豚頭”でゲイェばりに大きな体躯を持ち、そして特徴的な潰れた左耳をしている。
身に纏っているのもこれまた特徴的な、真っ黒で質の良さそうな鎧。
その上からマントのように羽織っている毛皮も立派なので、もしかすると立場の高い者だったのかも知れない。
あとは、これは立ち振る舞いから感じ取ったイメージだが、恐らく相当強いのだろうと───
「お前たちがやったのか」
そこまでを伝え終えた瞬間、俺たちを取り囲むオークの一人が放ったのはそんな言葉だった。
それもひどく冷たく、低い声で。
そこに込められているのは、俺ですら感じ取れる程の強い殺意。
背筋をゾクリとさせるものが静かに、とても強く俺に向けられている。
他のオークたちも同様。
既に俺が「オークの幽霊が見える」と言った直後に浮かべていた困惑は綺麗さっぱり消え去っている。
彼らが俺に向けているのも、同様の殺意だ。
───ああ、なるほど。
心臓はバクバク言っているが、思考は妙に落ち着いていた。
妙に納得のいく、ストンと落ちる理屈が浮かんだせいだ。
───俺が見ている幽霊はたぶん、今回殺されたか行方不明になっているオークだ。
今この場所で「そのオークの幽霊が見えます」などと言ったらどう取られるか。
紛うことなき挑発に聞こえることだろう。
口に出す前にその可能性を少しでも考慮すべきだったとは思うが、残念ながら浮かびすらしなかった。
ベルガーンの場合はそれを考慮して尚ゲイェに聞くことを勧めてきたのかも知れないというかその可能性が高いが、もしそうなら事前に一言欲しかったと心から思う。
「質問に答えろ、お前たちがやったのか」
その時、一人のオークが俺の方へと歩み寄ってきた。
目にはひどく冷たい怒りが……まず間違いなく殺意であろうものが、かなり強く宿っている。
そして俺に向けてゆっくりと伸ばされる、彼の大きな手。
殴りかかってくるとかではなく手を開いたままなのできっと胸ぐらを掴もうとしてるか、もっと悪ければ頭を掴もうとしているのだろう。
不意に頭掴まれてブランブランされてる自分を想像してしまった。
想像するだけで首が痛い。
「別に始めるならそれでもいいけど」
だが現実にはその手が俺に届くことはなかった。
直前で横から伸びた抜き身の剣が進路を遮ったのだ。
「話、聞いといたほうが良いんじゃない」
声の主であり、剣を握っているのは少尉。
静かにオークを見据える彼女は、先程までよくわからない何かがツボに入ってプルプル震えていた人と同一人物とは思えない。
強いて言うならいつも通りめんどくさそうにはしているが、これが少尉の平常運転。
戦う時もだいたいこんな感じなので、むしろ安心感がある。
そしてアンナさんとウェンディも俺を囲むように立ち、周囲のオークたちへと警戒を向ける。
この状況で真っ先に狙われるであろう俺を皆が守ってくれている形。
心底ありがたいとは思うが、なんか随分状況が変わったなと思う。
ついさっきまではウェンディが主役で俺なんてその他の一人だったのに。
「そうさな、儂は兄さんの話が聞きたい」
そんな一触即発の状況で、最初に言葉を発したのはゲイェ。
俺に向けられる言葉のトーン自体は普段通り、昨晩会話した時とそう変わらない好々爺然としたもの。
だがその目は笑っておらず、言葉にも威圧感のようなものが込められているのを感じる。
先程よりも強い悪寒が背筋を駆け抜けていった。
はっきりと身体が震えたし、何なら一瞬歯の音が鳴りそうにもなった。
強者故だろうか、それとも年季的なものによるものか、ゲイェがとても怖い。
先程他のオークが手を伸ばしてきた時は実害が予想されようともここまではビビらなかったので相当だ。
果たしてゲイェが今何を考えているかまではわからないが、俺の言葉が良くない受け止められ方をしたのは間違いないだろう。
「信じてもらえないとは思いますが、マジで俺らは今回の件とは無関係です」
そんな相手に対して俺は自分の口で、自分の言葉で説明をしなければならない。
周囲を……ベルガーンすらも頼れないというのは初めてのこと。
強いて言うならストーンハマーのおっさんたちに俺の世界の説明をした時以来ではあるが、あれは今回とは全然毛色が違う。
いやまああの時もトラウマになるくらい怖かったし、二度とあんな体験をしたくはないけれども。
「たぶんですが、何か伝えたいことがあるんじゃないでしょうか」
幽霊が姿を現す理由はだいたいこれか、恨みをぶつけるためという印象がある。
今回の幽霊が後者という可能性も全然あるが、もしそうならあんな風に静かに佇んでこちらを見ているだけでは済まないと思う。
あと、もっとおどろおどろしい何かを纏っていたりするはずだ。
だから俺は彼が伝えたいこと、伝えなくてはならないことがあるから現れたと想像する。
「俺にじゃなく、皆さんに」
その上で彼がそれを伝えたい相手はきっと俺ではない。
俺はたまたま彼の姿が見えるだけ。
本来は俺のような赤の他人にではなく、ゲイェたち同胞にこそ用があるはずだ。
かつての仲間たち、信頼のおける者たちへ。
これらを可能な限り丁寧に伝えた……いや伝わるよう努力した。
正直俺はあまり説明が上手くないので、きちんと伝わったかはわからない。
それでもきとんと伝わっていて欲しいと思う。
そして、沈黙が流れる。
俺の言葉に対するオークたちのリアクションは、すぐには返って来なかった。
怒りや否定も、賛同も、何も返ってこない。
ただ、俺を見つめる瞳に宿っている感情は明確に変わったような気がする。
少なくとも先程までのような殺意は感じ取れない。
不安だ。
一体どんな受け止められ方をしたのか、全く見当がつかない。
自分だったらどう受け止めるかも全然想像つかないし。
「よし、行ってみるかぁ」
だからゲイェが威圧感の消えた声でそう言った時、俺は「こんなにいっぱい肺に入ってたのか」ってくらい息を吐いた。
あと、安堵のあまり腰が抜けそうになった。




