第十章∶その21
結局俺はその後肌寒さのせいもあり、僅かしか眠ることができなかった。
ただ僅かながらも眠れて良かったとは思う。
これはひとえにゲイェから貰った毛皮のおかげだ。本当に暖かかった。
あまりにも快適すぎて、夜が明けていざ活動開始となった現在も手放せず肩からかけたままでいる程。
これこのままもらっちゃっていい物なんだろうか、いや返せと言われたら全然返すけど。
さて、俺たちは日が昇って早々にサール族の野営地を出発した。
目的地は予定通り、オークの遺体が見つかった場所。
やはり遺体そのものを見せてもらうことはできなかったので、ダメ元で現場を見ておこうとかそんな感じだ。
意外と何か手がかりが見つかるかも知れんし。
同行者はゲイェとサール族のオークが三人。
これは恐らく道案内と監視も兼ねている感じなのだろう。
「それにしても……聞いていた通りぬかるんだ場所ですのね」
先頭を行くゲイェのすぐあとに続くウェンディが、どこかげんなりしたようにつぶやく。
これは愚痴か、どう考えても愚痴だな。
ちなみに俺も同感だ、歩きづらいったらない。
まだ草が生え揃っていない平原はだいぶ水捌けが悪いらしく、露出した地面はほとんどが泥。
出発時にオークが施してくれたこのための装備、足を靴ごと動物の皮で包む即席の靴カバーがなければ靴も靴下も速攻で駄目になっていたことだろう。
「これでもマシな方だよ、去年は雪が少なかったからね」
「あら、こちらもそうでしたの」
ゲイェとウェンディ、雪国の民の冬トークに花が咲く。
何でも去年の冬、アーヴィング河沿いの地域は辺境伯領もオークの勢力圏も暖冬で例年より雪が少なかったらしい。
そのせいで雪解けも早く、オークの活動範囲の拡大も早いんだそうだ。
まあ「雪が少ない」というのはたぶんというか間違いなく”当社比”だろうという確信がある。
俺からすると、もうすぐ夏になろうかというこんな時期まで雪……冬の名残が露骨に残っているというのはなかなか信じ難いことだし、少尉も「これで?」みたいな顔をしているので一般的な帝国民にとってもまるで別世界の話のように感じられる内容なのだろう。
元の世界、北と南で気候がまるで違う日本でも現地の民同士がその話で盛り上がっているのを見たことが何度かあるが、この手の感覚差はどうやら世界が変われど変わらないようだ。
「族長!ここですここ!」
「おお、すまん」
そしてゲイェは話に花が咲きすぎて現場をスルーしかけたらしく、配下のオークが慌てて呼び止める。
どんだけ楽しかったんだよ雪国トーク。
この爺さんは基本有能そうに見えてたのに、突然抜けた行動をされると流石に面食らう。
それはさておきとして良いことなのかはわからないが、とりあえず現場として案内された場所に目を移す。
そこは地面が黒っぽく変色していたり灰のようなものが薄く広がっていたりと、確かに何かを焼いたような跡が残っている。
白い欠片は武器防具の焼け残りだろうか、それとも骨とか歯なのだろうか。
とりあえず何かを調べる前に目を閉じ、手を合わせる。
既に遺体はそこにはないものの、なんとなくそうしておいた方がいいような気がした。
「……それは兄さんの故郷の死者の悼み方かい?」
「まあ、そうです」
ゲイェはこれが死者の悼み方だと察してくれたらしい。
まあ正式なやり方とか、唱えるべき念仏とかは俺にはわからないので完璧には程遠いんだが。
しばしの間沈黙が、何とも言えないしんみりした時間が流れる。
皆俺がそれを終えるのを待ってくれていると、そんな感覚があった。
───いや何故に。
俺は困惑する。
気にせず作業なり調査なりしてくれて良い、というかむしろそうしてほしい。
俺の拙い合掌とか注目されるべきものじゃないだろう。
それとも邪魔だから早く終わらせろとかそんな話か?
だとしたらたいへん申し訳ありません。
そしてたかが数秒、されど数秒。
なんか無駄に注目された変な時間は終わり、俺が微妙に恥ずかしさを覚えながら一歩下がったあたりで皆が一斉に動き出した。
これはやはり邪魔だったのかも知れない。
ただ結論から言えば、この場所にはこれと言って事件の手がかりになるものは無さそうだ。
ウェンディとアンナさん、そしてベルガーンが現場に何かないかと調べているが特に何かが見つかったという報告はない。
まあ正直、この場所に何かあればオークたちが既に見つけてるよなとは思う。
そしてそんな中で俺はというと、ただ手持ち無沙汰気味に周囲を歩き回っている。
魔法が使えず知識もない俺があの場にいて出来ることなどありはしない。
創作ミステリーなんかだと、こういう変な位置でぶらぶらしている素人が何か変なものを見つける展開も見たことがある。
だが生憎、足元に視線を落としても全く何も見つからないあたり本当に現実は世知辛い。
「セラちゃん的にはどう?」
『どう、と言われましても……』
手持ち無沙汰になりすぎた俺は、同様に現場から少し離れたところに佇むセラちゃんに変な質問を投げかける。
反応に関しては「そりゃそうですねすいません」以外に言葉がない。
自分に会話スキルがなさすぎて会話が終わると、そんな危機感を抱いた時だった。
〚聞イテ〛
〚聞イテ〛
俺以上に不真面目に、さっきまでどこか遠くに飛んで行っていた数体の精霊さんたちが俺たちのところにやってきた。
それも何故だかひどく慌てた様子で。
『どうしたの?』
セラちゃんはそんな精霊さんたちにいつも通り優しく、慌てる子供を落ち着かせるように問いかける。
もしかすると元々高めの適正があったのかも知れないが、もはや風格さえ感じる程には”先生”だ。
〚オーク来ル〛
〚タクサン来ル〛
対する精霊さんたちの言葉はたどたどしいが、伝わらない程ではない。
とりあえずオークの集団がこっちに向かっているらしいというのはわかる。
それも精霊さんたちが慌てるような規模ないし雰囲気で、だ。
「ゲイェさん!」
どうにも放置して良いこととは思えない。
嫌な予感がする。
だから俺は、ウェンディたちとともに現場を見つめていたゲイェの名を呼んだ。
「なんかオークの集団がこっちに向かってるらしいんですけど……」
俺の言葉に、ゲイェが浮かべたのは怪訝そうな表情。
ただこの反応は仕方ないと思う。
何しろあまりにもぼんやりした情報だからだ。
一応精霊さんたちが見つけたことは伝えたが、当の精霊さんたちはゲイェ……正確に言うならオークのことを怖がって近寄りたがらない。
そのため俺が直接かさらにセラちゃんを間に挟んだ伝言ゲームのように伝えざるを得ないため、相手の特徴等もうまく伝えられないのだ。
結局ゲイェが状況確認のために配下を走らせるようなことになってしまった。
とはいえその配下からの報告により接近は事実と判明。
そしてしばしの後に現れたのは、精霊さんたちの言う通り”たくさん”のオークたち。
「多っ」
思わずそんな感想が漏れる。
俺の想像は十とか二十程度のものだったが、実際に現れた数はたぶん五十以上。
そんな大所帯が完全武装かつ殺気だった状態で、俺たちを取り囲んでいく。
「何しに来た?」
ゲイェが強張った表情で集団のリーダー格と思しきオークに問いかける。
だが正直何しに来たかなど聞かずともわかること、簡単に想像がついてしまうことだ。
「その連中を殺せば、我々の強い意思が帝国に伝わるだろう」
そして返ってきたのは「やっぱり」としか言いようのない答え。
もう俺たちに聞こえようがお構いなしである。
何なら聞かせたいとすら思っているかも知れない。
彼らは帝国との戦いの前哨戦として、あるいは溜まりに溜まった”憂さ”を晴らすために、この場で俺たちを殺すつもりでいる。
きっと邪魔をするならゲイェたちも諸共に殺すと、そんなことまで考えているだろう。
「王が五日の猶予を与えると言った」
「それは咎人の首を持ってくるための猶予だろう!
この地にて工作に勤しむための猶予ではあるまい!!」
駄目だもう完全に頭に血が上ってる。
密猟者も仲間を殺した犯人も許せないし、俺たちがこの地に居続けることも許せないとかそんな勢い。
もう戦いは避けられないと見てこちらも皆戦闘態勢、ウェンディもいつも通りどこからともなくハルバードを取り出している。
俺も”魔法の杖”を召喚したほうがいいんだろうか。
召喚したほうが場が混乱するからやめたほうがいいだろうか。
あるいは召喚せずとも少尉たちもいるし問題ないだろうか。
「そういえば、”豚頭”ばっかりなんだな」
迷いながら周囲を見回していた俺は、ふと気づいたことを小声で呟く。
この場にいるのはゲイェたちも含め、皆”豚頭”。
サバリとかいう奴と出会って”猪頭”なる種別の存在を知った時は「この世界のオークって色々いるんだな」と思ったものだが、少なくともこの場には全然色々いない。
そういえばあの大規模野営地でも”豚頭”と”猪頭”はだいぶ離れた位置でそれぞれが固まっていたような気がする。
学園の貴族部と平民部の距離感が思い出されるが、それくらい意識的な隔絶があるのだろうか。
『余の時代も二種族の関係は良くなかった。見る限りでは恐らく今も変わるまい』
いやベルガーンが生きてた頃から仲悪いのかよ。
だがその言を裏付けるように、相手のリーダー格と話すゲイェの態度は剣呑ではあるものの、サバリと対していた時のような険悪さはない。
野営地で進路を塞いだ”豚頭”と話していた時と同じような雰囲気だ。
まあ相手方はだいぶ顔真っ赤だけど。
これはもうオーク二種族の仲がかなり悪いというのは確定でいいだろう。
こうなると、よくいまだに共同体を維持できてるなって話にもなる。
それぞれが王を立てて分裂するとか俺の世界でも割とある話なのに。
『恐らく今回殺されたのは”豚頭”の方であろう』
ベルガーンの言う通り、今回殺されたオークは恐らく”豚頭”の方だろう。
だからこんなにいきり立った”豚頭”の集団がやってきている。
もしかするとサバリたち”猪頭”は戦いたいだけて、何なら内心今回の出来事を内心喜んでおのではなおか。
正直ゲイェと話していた際の態度にもその辺が少し出ていたように思えるし。
俺がそんな嫌な想像をしている間も、ゲイェとリーダー格の押し問答は続く。
このまま話し合いだけで解決してくれないだろうか。
まあ、しないんだろうな。
「ん?」
その時、周囲のオークたちの様子をチラチラと見ていた俺の視界の端にあるものが映った。
「なああれ、見えるか?」
『どれのことだ』
「あそこの森の手前」
再び小声でベルガーンに話しかける。
指で指し示したいところだが、さすがに目立ちすぎるのでそれはできない。
まあこんなキョロキョロブツブツしている時点でだいぶヤベー奴とは映っているのだろうが。
周りを囲むオークのうち数名は明確に俺のことを睨みつけてきているし。
『何も見えぬが』
どうやら俺が見えているものはベルガーンには見えないらしい。
もしかすると見つけられていないだけかも知れないが、こいつの場合見えていればあっさり見つけそうなイメージがあるので恐らく何も見えていないの方だろう。
『貴様には何が見えるのだ』
こうなってくるとむしろ俺の見間違い、目の錯覚の類という可能性も出てくるが残念ながらそれはない。
何しろ魔力によって視力が大幅に強化された俺の目には、今もそれがガッツリしっかり見えているのだから。
「オークの幽霊」
森の入り口付近に佇む、全身がぼやけた一人のオーク。
ベルガーンやセラちゃん以上に薄らいだその姿は明らかに普通ではなく、絶対に生きてはいないとわかる。
それが静かに、こちらをじっと見つめているのだ。




