第十章その20
かくて微妙に嫌な想像をしてしまうことになった会合は終了。
とりあえずは日が昇るまで身体を休めようということで解散となったのだが……寒い、尋常でなく寒い
近くの木の下で少し休もうと思い腰を下ろしたのだが、マジで夜風が身に染みる。
寝たら死ぬまではいかずとも風邪はひくとかそんな感じの気温だ。
たぶん日が昇り昼近くになれば少しはマシになるのだろうが、これから朝にかけてはしんどい時間帯が続く。
元々長居するつもりではなかったのもあるが今の俺は割と薄着で、北部の気候を甘く見過ぎた服装をしている。
これ、一旦辺境伯領に戻って上着とか持ってこないとならんかも知れない。
「はいこれ」
その時、そんな短い……いや短すぎると言っていい言葉とともに大きめの毛皮が差し出された。
差し出してきたのは、少尉。
「何これ」
「さぁ?」
「さぁ!?」
寒さのせいで微妙に頭が回らず、あまりにも漠然とした問いかけになってしまったのは俺が悪い。
ただ「さぁ?」って何だ「さぁ?」って。
手渡してきておいてこれが何か分かんないってのはどういうことだ。
いやこれはもしかして答えるのをめんどくさがってる方か?
少尉ならあり得るが、一体全体どっちなんだろうか。
「とりあえずあのオークからキミへの贈り物」
めんどくさがってた方だった。
それはまず最初に、何なら俺が「何これ」と問いかける前に教えてほしい。
いつものことだが少尉はコミュニケーションが雑すぎる。
見た目は超絶美人のエルフなのにそのせいで印象があまりにも残念、心底勿体ねえ。
まあ今はそんなことよりこの毛皮だ。
というわけで少尉が指さした方をみれば、そこにいたのはゲイェ。
俺の中で親しみと恐れがせめぎ合っている老いたオークが、厳つい微笑みを何故だか俺に向けて立っている。
うんまああの微笑みの意味は気になって仕方ないが、それについて考えるのは一旦やめておこう。
とりあえず少尉、まだ敵か味方か微妙な相手から渡された何か分からないものを分からないまま俺に渡してくるのは色々どうかと思うんだけど。
一応、本当に一応俺の護衛なんですよねあなた。
「で、キミと話したいって言ってるんだけどどうする?」
───お断りしてください。
ノータイムで口から出かけたその言葉は、ゲイェの微笑みが再び目に入った瞬間引っ込んだ。
これ、断るって選択肢あるんだろうか。
いやこの分厚い毛皮が惜しいってのもあるんだけど、断ったら変な不興を買いそうなのが嫌だ。
わざわざ主役のウェンディではなく脇役の……さらに言えば戦闘力皆無そうな俺に話しかけてくるあたり、何かしらの意図がありそうだし。
『貴様が口を滑らせて困ることなど特にあるまい』
ベルガーンの方を見れば会話推奨な感じ。
少尉の方は「別にどっちでも」みたいなノリ、いつも通りのノリ。
うーんアテにならない。
「構いませんと伝え───」
「自分で」
「アッハイ」
いやまあゲイェがまず少尉に話を通すのは配慮だが、俺が少尉に伝言を頼むのは確かに”怠け”かも知れない。
わかるけど、なんか釈然としないものがある。
そんなことを考えながら俺は立ち上がり、ゲイェの方に会釈しつつ「構いませんよ」と声をかける。
「休んでる時に悪いね」
「いえいえ、毛皮ありがとうございます」
「いくらでもある物だから気にしなくていいよ」
いただいた毛皮は早々に肩に掛けてみたが、すんごい暖かい。
その上思ったより軽いので、今この状況においてはとてもとてもありがたい品物だ。
というかこれもたぶん帝国で売ったらいいお値段になるんだろうな、という若干邪な考えが頭をよぎる。
俺自身は売るつもりはないが、少し密猟者の考えが理解できてしまった。
「それで、兄さんは何者なんだい」
「何者、とは?」
「明らかに戦えない人間が河を渡ってきた理由が分からなくてね」
「ああ、なるほど」
確かに俺はウェンディや少尉、アンナさんのように戦える人間ではない。
そしてそれはきっと、誰の目にも明らかなことなのだろう。
偉い人が護衛を引き連れて、という身なりにも見えないはずだ。
何なら一行の中で一番みすぼらしい格好をしているのが俺だし。
俺たちの中で一番偉いのはウェンディ、最も重要なのもウェンディ。
俺はただそれに付き添っているだけで、正直自分でも何のためにいるのかわからない立場の人間だ。
ベルガーンが単独行動できれば俺がついてくる必要はなかっただろう。
むしろこんな足手まといが同行するのは普通なら迷惑以外の何物でもないので、ベルガーンという存在の価値はどんだけデカいんだよって話である。
「まあ、何かしらできることはあるかなと思いまして」
とはいえゲイェにはベルガーンやセラちゃんのことが見えていないようなので、こんな感じのぼんやりした説明になってしまう。
見えていれば「メインはコイツで俺はおまけです」で済むんだが。
「命知らずだねぇ」
それを聞いたゲイェは、笑った。
とても面白いものを見たとでも言わんばかりに。
「お仲間も皆いい度胸だが、兄さんの肝の座り方が一番おかしいかもな」
「……そんなにですか?」
「おう、そんなにさ」
そんな言われる程だろうか、と首を傾げる。
メンタルが鋼だの何だのはしょっちゅう言われるんだが、まさか知り合ったばかりの人……それもよりによってオークから言われるとは思ってもみなかった。
いやまあ確かにそこまでビビってはない自覚はあるが、一番おかしいというのは流石に違うのではなかろうか。
「河を渡って来る奴らは皆どこか怯えた顔をしてるが、兄さんは緊張こそしてるがそれ程じゃない」
河を渡り、オークの勢力圏に足を踏み入れる者は少ないがそれなりにいる。
今回問題になった密猟者のような連中だけでなく、細々とした交易を行う商人などだ。
そしてゲイェの知る限り彼らは皆、一様に強張った顔をしているらしい。
密猟者や護衛など戦える者でもそうなのだから、商人のように戦闘力のない者は言わずもがな。
ストレスは相当なものらしく、緊張しすぎて過呼吸でぶっ倒れる者も度々出るそうだ。
まあ、そういうのに比べたら確かに俺はビビってなさすぎだな。
今もこうして普通に会話してるわけだし。
めちゃくちゃ強い少尉たちが自然体なのは全然いいとしても、明らかに戦えない俺までそうなのはそりゃ奇異に映るか。
「慣れかも知れないです」
俺はこの世界に来てからというもの、わけのわからん事件に遭遇し過ぎた。
なんか殴られて拉致されたこともあるし、全方位を得体の知れない怪物に取り囲まれたことも複数回ある。
”狭間”や”闇の森”で出てきた化け物やゾンビと比べたら、オークは意思疎通が可能な分全然マシ。
ビビってない理由はその辺りと……あとは「最悪”オルフェーヴル”出せば何とかなる」みたいな感覚のせいだろう。
紛うことなき”慣れ”だ。
「やっぱり兄さん、変わってるねぇ」
それを聞いたゲイェの反応は、半笑い。
何とも言えない顔をしながら、何とも言えない視線を俺に向けてくる。
───解せぬ。
思わず口走りそうになった言葉。
口走っていたら、今視界の端で笑いをこらえている少尉はきっと吹き出していたことだろう。
とりあえずこの世界は俺のメンタルに対する評価がおかしいと、割と強く思う。




