第十章∶その13
「ヨークシャー辺境伯家の長女、ウェンディ・ヨークシャーと申します」
「ほう」
ウェンディの返答を聞いた老オーク……ゲイェの口角が上がる。
ただでさえ楽しそうに上がっていたものがさらに、だ。
「河の向こうの長の娘か、こりゃ意外だ」
「疑いませんのね」
「そういう”ガラ”には見えんのでね」
ゲイェの見立ては正しい。
ウェンディはその手の嘘をつかないのかつけないのか、どちらにしても口にすることはない。
見ただけでそれがわかるとはやるなゲイェ。
それともウェンディがわかり易すぎるだけなんだろうか。
なんか若干後者のような気がしてきた。
「それでお嬢さんのご用件は?」
「戦いを止めるために、無理を通しに参りました」
堂々と、しっかりと前を見据えながら放たれたウェンディの言葉。
それを聞いたゲイェは一瞬だけ怪訝そうな表情を浮かべ───
「カハハハハハハハハ!!」
笑い出した。
口を大きく開け、空気を震わせるほどの声で、心底楽しそうに。
いきなりだったのでビックリした。
思わず一歩下がってしまった程だ。
というかいくら何でもウケすぎのように思うんだが、何がそんなに琴線に触れたんだろう。
やっぱりこんな少人数で真正面から乗り込んできたことだろうか。
答えを求めて他のオークたちに目を移せば、彼らも俺同様にガチで困惑した様子でゲイェを見つめている。
こいつらにもわからないんだったら俺にわかるはずがないな。
ホントに何がそんなにウケたんだよこの爺さん。
「───良いだろう」
不意に笑いを止めたゲイェが前に出る。
笑いを止めたと言っても咆哮じみた爆笑が止まっただけで、顔には笑みが張り付いたまま。
そのせいで獰猛さが増し、ただでさえ厳つく怖いオークがさらに怖く見える。
「儂に勝てたら我が王のところに案内してやるぞ、ウェンディとやら」
そして彼は得物をウェンディに向けた。
長い柄の先に三日月状の大きな刃のついた、斧とは少し形状の違う武器。
あれは確か……バルディッシュとかいう武器だったような気がする。
ゲイェのそれは柄は二メートル以上あるんじゃないかってくらいの長さだし、刃もその分デカい。
人よりサイズが大きく力も強いオークならではの超巨大武器なんだろうな、と思う代物だ。
「……よろしいのですか?」
「何百年も前の逸話をなぞって来てくれたんだろう?儂はそういう馬鹿が大好きでねぇ」
ゲイェは随分と正確に俺たちの意図を理解してくれているらしい。
実際俺たちがやっているのは、馬鹿と言われても仕方ない馬鹿な選択だ。
ただゲイェの言葉に嘲るような感じはなく、好ましいと思ってくれているような口ぶりなのである程度評価もしてくれている節がある。
やはりベルガーンの言う通り、オークの好感度が上がる行動だったらしい。
そしてその発言に対して他のオークたちも異を唱えない。
ウェンディが問うたように「よろしいのですか?」くらいは聞く奴がいそうなものだが、それもない。
これは本当に勝ったらストレートに王様のところまで案内してもらえそうな雰囲気だ。
「負けてやる気もないしね」
「あら、そんなこと始めから求める気はありませんわよ」
そしてゲイェと言葉を交わしているうちに、ウェンディの声のトーンが変わっていった。
ゲイェとよく似た、楽しそうな声音へと。
なんだろう、ウェンディってもしかしてオークという種族との親和性が高いんじゃないだろうか。
そして先祖であり非常に強く血筋を感じるエイブラムも、同じようにオークとの親和性が高かったからあんな無茶をしてその無茶が通ったのではあるまいか。
もしそうだとしたら、この場に立つ者としてはウェンディ以上の適任者はいないことになる。
俺はもちろん無理だし少尉やアンナさんもたぶん無理、とてもではないがオークと殴り合いの果てに意気投合するビジョンは浮かんでこない。
もしかすると辺境伯家にはウェンディ以外にもそういう人物がいたのかも知れないが、きっと大人にはこんな破天荒な選択はできなかっただろう。
「では、よろしくお願いいたします」
背後からなのでその表情を窺い知る事はできないが、きっとハルバードを構えたウェンディは楽しそうな笑みを浮かべていることだろう。
対峙するゲイェが浮かべているような表情を、だ。
「ああ、よろしく頼むよ」
両者は互いに大きく一歩を踏み出し───そして同時に、攻撃がぶつかり合う音が響き渡った。
硬く鋭くそして重く、思わず耳を塞ぎたくなるほど凄まじい音。
これはもう武器による打ち合いの音ではなく、トラックが衝突した音とかそんな感じなのではなかろうか。
いや俺トラックの衝突音とか聞いたことないけど。
それが一度で終わることなく、夜闇の中で何度も何度も鳴り響く。
そんな轟音を響かせる二人の打ち合いが凄まじいものであるというのは、周囲の反応からも明らかだ。
ベルガーンはもとより少尉とアンナさんも真剣に見入っている様子だし、オークたちも困惑した表情を浮かべている。
あれは「族長とまともに打ち合える人間女だと……?」って顔だ、俺はバトル漫画に詳しいのでわかる。
「すげぇな……」
もう、何もかもが凄い。
ウェンディも凄いしゲイェも凄い、あとあのぶつかり合いに耐えてる二人の武器も凄い。
「あの武器ってたぶんオークにとっても重いよな?」
『そうだな、あのゲイェとやらはオークとしても並外れた膂力を持っているようだ』
ゲイェのバルディッシュの重さは、サイズ的にも恐らく何十キロという単位だろう。
それを「軽々と」と修飾したくなるような勢いで振り回すゲイェは、だいぶ異常だ。
「あのような武器を振り回しても全く体幹にブレがない、オークを直接見たのはこれが初めてですが……凄まじい筋肉ですね」
アンナさんの声にも熱がこもる。
そうかこの人が見入ってるのは戦いじゃなくてゲイェの筋肉か。
「……ああいう身体でもいいの?」
あ、少尉が困惑してる。
彼女的にも今のは少々……いやかなり意外な発言だったらしい。
「ああいう身体」というのは些か失礼な表現だが、言いたいことはわからんでもない。
オークの身体はベルガーンのようにバッキバキの筋肉が全身で自己主張しているような肉体ではなく全体的に丸っこい、要するに太って見えるもの。
確かに腕の太さは尋常じゃないし胸板なんかもヤバいほど分厚く、人間を遥かに上回る力があるのは見ればわかる。
ただ腹が出てたりと脂肪も多い、俺の世界で言う相撲取りに近いような体型。
なので正直筋肉愛好家の守備範囲外だと思っていた。
「強靭な筋肉とそれを覆う分厚い脂肪、あれはとても理にかなった身体だと思いますよ」
耐久力がどうの、持久力がどうの、過酷な環境下への対応がどうのと語り始めるアンナさんに対し、少尉は得体の知れないものを見るような視線を向ける。
相槌もほぼ「うん」とか「そう……」とかばっかりだ。
ホントにアンナさんは筋肉の話になると人が変わるな。
まあ別に嫌いではなく、むしろ見ていて面白いので好ましくはあるんだが。
特に言葉の熱量に反して表情筋が全く動かず、ずっと無表情なところはかなり面白ポイントだと思う。
今度機会があれば力士の話でもしてあげようかな、この調子ならきっと喜んでくれるはずだ。
「それとまともに打ち合えてるウェンディもやっぱり筋肉すごいんです?」
対するウェンディだが、そんなオークの筋力から繰り出される攻撃に全く打ち負けていない。
切羽詰まった様子もなく、当たり前のように攻撃をはね返す。
それこそこんな風に、観戦しながら呑気に喋る気になる程度には状況を膠着させているのだ。
本当に、どこからあんな力出てんだよと思う。
流石に俺はウェンディの身体を目にする機会がない。
あってたまるかという話ではあるが。
その点、移動時の車両も同じアンナさんなら知っているのではないかと問うてみる。
「ウェンディ様の筋肉も素晴らしいですが、オークと比べるようなものではありません」
アンナさんが言うには、ウェンディはかなり鍛え上げられた肉体をしてはいるものの筋肉量がそこまで多いというわけではないらしい。
原因は貴族の令嬢という立場。
本人の意思や趣味趣向に関係なく細く美しいシルエットが求められる立場上、増やせる筋肉には限りがある。
この辺は王宮のメイドとして勤めるアンナさんも同じで、二人とも許されるギリギリまでは筋肉をつけてはいるものの、とてもではないがオークと渡り合える力はないそうだ。
では何故ウェンディはあれほどの力を出せているのかと言えば、魔法。
ウェンディは”肉体強化”という、その名の通り肉体の性能を上げる魔法の効果量がやたらと多いらしい。
『”肉体強化”を使ったところで、普通はあの細身であれほどの力は手に入らぬ』
ウェンディはそれを可能とする魔力量と、それに耐えうる肉体を持っている。
間違いなく先天的な才能によるものだ、とベルガーンは言う。
類稀なと言っても良いだろう、とも。
「あいつすげーんだなぁ」
視線を二人の戦いに戻せば、双方の顔に笑みが浮かんでいるのが見えた。
二人はどちらもまだ戦いを楽しむ余裕があるらしい。
何とも恐ろしい話である。




