第十章∶その11
結論から言えばウェンディは、大方の予想通り独りで河を渡ることを選んだ。
まず使者を送り武を示すという案自体は「検討しておく」ということで辺境伯預かりとなったものの、少なくともその使者がウェンディになることはないと念を押されたらしい。
そしてこの場で改めて告げられたのが「お前もオーモンド嬢やウォルコット卿とともに退避しろ」という命令。
それは自身が大事にされているからこその命令だというのはウェンディとしても理解できた。
だが家族を、領民を大事と思っているのは彼女とて同じ。
故にそれらを見捨てて自分だけが安全な場所に逃げるというのは、どうしても下せない決断だったようだ。
そしてウェンディはこうも考えた。
「使者として最適なのは自分だ」と。
これは自身がエイブラム・ヨークシャーの直系という立場の中では相応に強く、また仮に失われても辺境伯家への影響が少ないという判断かららしい。
正直俺としてもかなりいい条件が揃っているとは思うが、これを実際に言われた辺境伯の気持ちを思うといたたまれないにも程がある。
特に最後の部分。
ドライな家なら「そうか、逝ってこい」みたいな話の流れになるのかもしれないが、辺境伯家はそうではない。
当日朝に友人、それも他の有力貴族の子女を連れて行くと告げられる無茶苦茶なスケジュールを娘のためにと頑張ってしまうような家だ。
ウェンディに全く悪意はなく、むしろ家族や領民に対する想いと強い志から出た発言とはいえ……いやむしろそれが痛いほど理解できるからこそ、言われた側はキツかっただろうなあと思う。
最終的にもう一度辺境伯から「退避しろ」という命令とともに下がらせられたウェンディは、その日のうちに夜闇に紛れて家を抜け出し───道中で待ち構えていた俺たちに出くわした。
「なんでいますの!?」
素っ頓狂な叫び。
まあ無理もない、昼間辺境伯家を離れたはずの俺たちが夜になってもこんな近場に留まっていたとなればそりゃ驚くよな。
「いやお前なら独りで行くだろうし、たぶんルートはこれだろうなってなってな」
当たったようで何よりだ、特にルート。
短時間で情報収集と分析をこなしてくれたベルガーンにアンナさんにセラちゃん、そして兵士の皆さんには心から感謝したい。
俺たちが辺境伯家を離れたのは事態発覚の当日、少し遅い昼食の後。
その昼食自体はウェンディと共に食べたのだが、その際にウェンディから「まだ父の理解は得られていないが、自分はここに残る」という旨の説明を受けた。
その際の彼女の様子はまさしく今生の別れといった風情。
多少なりとも相手に対しての情があれば後ろ髪を引かれること間違いなしの空気感だった。
実際メアリとセラちゃんは泣きそうになってたし。
なので俺たちの目的は「ウェンディと一緒に戦いを止めに行こう」から「戦いを止めてウェンディも無事連れ帰ろう」に進化。
かなり強めのモチベーションとなってしまったのである。
とりあえずその場はその別れの言葉みたいな縁起でもないものを受け入れ、俺たちは辺境伯家を出発。
そのまま辺境伯領の南ではなく北へ向かい、ちゃんと出会えますようにと祈りながら待っていたというわけだ。
まぁ実はこっそりと上空から精霊さんたちがウェンディを追跡してくれていたので、会えないということはほぼなかっただろうとは思うが。
「皆様を巻き込むわけには───」
「今更にも程があるだろ」
あっ、黙った。
というか実際今更以外の何者でもない。
俺たちは七不思議部として向かった夜の学園探索からこの方、皆で何かしらに巻き込まれ続けているし危険にも立ち向かってきた。
「私たちは行けないけど」
「七不思議部の仲間じゃないッスか」
今回も何も変わらない。
立場上メアリとヘンリーくんはついてこれないものの「七不思議部として巻き込まれたトラブルと思って一緒に解決を試みる」って感じでいいじゃないかと思う。
実家のことだからと一人で無茶をしようとするほうが余程おかしい。
〚ナカマ ナカマ〛
〚トモダチ トモダチ〛
精霊さんたちも口々にそんな言葉を発しながらウェンディの周りをくるくる回る。
たぶん深くは考えてない、精霊さんたちのノリがいいことを示す行動なんだろうがなんかグッとくるなこれ。
幻想的なのも良いのかもしれない。
「ふぐぅ」
そして変な声とともに泣き出したウェンディを、メアリが抱きしめて慰める。
”狭間”で似たような光景を見た気がするが、あの時は確か逆だったな。
変な声はだいたい同じだが。
「……後悔いたしませんわね?」
「七不思議部に入ったことをか?」
「そちらではありません!!」
よし調子出てきたなウェンディ。
まあ暗くてよく見えないだけで目はまだ赤いだろうが、変に悲壮感漂わせてるよりこのノリの方が圧倒的にいい。
「これなら行けるだろう」みたいな気分にもなってくる。
「応援してるッス」
「無事に帰ってきてね」
ヘンリーくんとメアリは少し心配そう、不安そうにしているがこれは仕方ない。
何しろ二人はついてこれない訳だしな。
「ええ、ホソダさんは必ず無事連れ帰ってまいります」
「いや逆」
「タカオ、迷惑かけちゃ駄目だよ」
「いやお前もか」
何故か突然ウェンディとメアリに俺がイジられる流れになった。
そんなに俺は無事帰ってこれなさそうか。
……いや改めて問われると自分でも自信なくなってきた。
戦力的には全然なわけだし。
無事帰ってこれるといいなぁ。
「それで、河はどうやって渡るつもりだったんだ?」
「小舟で……」
「ほぼノープランか」
「ふぐっ」
アーヴィング河の幅はおよそ五百メートル程。
流れが緩やかなら小舟でも行けなくはない距離なのかもしれないが、残念ながらこの時期のこの河は雪解け水が流れ込んでくるので水量が多く勢いも強いためだいぶ危ない。
なんで現地人のウェンディがそれでいけると思ったんだ。
「飛んで行って大丈夫か?」
どうやら河には橋が架かっている訳でも、渡れる水深のエリアがあるわけでもないらしい。
今回は急で何か準備をしているわけでもないので、”魔法の杖”を使って飛ぶくらいしか手段が浮かばない。
あとはそんな派手な渡り方をしてオークの感情的には大丈夫なのかと、とりあえずベルガーンに問いかける。
『むしろ堂々と、力を示しながら乗り込めて良いのではないか』
なるほど確かに。
この世界のオークの話を聞く限り、隠れてコソコソ近づくより堂々と乗り込んだ方がオーク好感度は高そうだ。
そんなわけで俺は”オルフェーヴル”の召喚に取り掛かったのだが……周囲を見れば他の面々が”魔法の杖”を召喚しようとする様子がない。
実体もなく俺にくっついて動くベルガーンやセラちゃん、普通に飛べる精霊さんたちはわかるが、少尉とアンナさんとウェンディは何故だろうか。
「ああ、皆飛べるから」
その理由は端的に少尉の口から告げられた。
そうだ、すっかり忘れていたがこの世界には空飛ぶ魔法があるんだった。
学園の大図書館で見て「絶対覚えたい」と思った魔法なんだが、何故かあんまり見る機会がないから忘れてたな。
まだ実技で習ってもいないし、けっこう便利な魔法だと思うんだが使われない理由は何なんだろう。
そしてウェンディは何で飛べるのに小舟で行こうとしたんだろう。
何をどう考えても小舟を使うより飛んだほうが早いし安全だったと思うんだが……まさか雰囲気優先か?
なんかこれが理由のような気がしてきたな、ウェンディだし。
納得しつつ新たな疑問が浮かびつつ、俺は”オルフェーヴル”と同調。
そして背中に魔力を回して空へと舞い上がる。
「オークがいるの、あそこか?」
『そのようだ』
空から河の向こうに目を向ければ、闇の中にいくつもの光源が点在しているのが見て取れる。
魔法の光なのか松明とかの光なのかは流石にわからないものの、いずれにしてもあれはオークたちが灯した光だというのは間違いないようだ。
「けっこう多いな……」
地上からもいくつか見えてはいたが、空から見下ろすと数がかなり多いことがわかる。
今は月のない夜ということもあってかなり暗く、魔力で強化された目をもってしても光源以外を確認することはできない。
それでもあそこに集結しているオークが相当な数だというのは容易に想像がつく。
そりゃ緊急事態扱いもされるわ。
「よし」と気合を入れる。
話を聞く限りこの世界のオークは武人で、非戦闘員には一切手を出さないという矜持も持っているらしい。
だが俺はこれから、戦闘員としてオークの群れの中に向かう。
どんな扱いをされるのかわからないので、怖いにも程がある。
今”魔法の杖”と同調を解いたら足が震えているかも知れない。
「ホソダさんめちゃくちゃビビってらっしゃいません?」
「いつもあんな感じだよ」
「まあ、そうなのですか」
背後からウェンディと少尉の会話が聞こえてきた。
振り返ってみれば、皆ちゃんと空に上がってきていた。
淡い光を放つ精霊さんたちの姿もちゃんとある。
というか何で皆俺がビビってるってわかったんだろう。
もしかして心が読める……いやもしかすると俺の心の声が漏れているのかも知れない。
もしそうならヤバいし恥ずかしすぎる。
『先程の「よし」は何だったのだ、行かぬのか』
「はい行きます、すぐ行きます」
急かされた。
まあ正直心の準備はいつまで経ってもできなさそうなので、これでいいのかも知れない。
背中のバーニアにもう一度強く魔力を回す。
全速前進、いざ河の向こう、オークたちの棲むエリアへと。




