第九章:祭壇前2
その姿は、まさしく貴族のようだった。
シャツもスーツも靴も、身につけている衣装の全てが純白。
そしてそれを着こなす青年は長い手足に整った顔立ち、そして美しい金髪の持ち主ときた。
貴族の社交場でしかお目にかかれないような身なりであり、同時にそういった場でも人々の注目を集めるであろう姿。
だがそれらは青年の第一印象には程遠い。
見た目に反してあまりに禍々しい気配と威圧感。
あまりにも強烈なそれらが他の全てを上書きする。
まるで凶悪な肉食獣や魔獣のような───否、その程度の存在とは比較にならないほどの”圧”。
それに当てられて目を逸らせばもう見ることはできず、気圧されて下がればもう前に出ることはできないだろうという確信がある。
そんな絶対に人間とは思えぬ存在感を放つ青年は、ゆっくりと水面に降り立つ。
《こんにチは、死ヲ待つ者タチよ》
そして穏やかな笑みを浮かべながら、今度は意味の理解できる言葉を紡いだ。
きっと青年のみを見れば談笑をしているように見えることだろう。
だがその言葉を向けられた側、七不思議部の面々は警戒を解かず武器を構えたまま。
警戒を解くことなどできはしない。
武器を下ろすことなどできはしない。
青年が放つどうしようもない威圧感が、明確に自分たちに向けられているのだから。
「何者ですの、貴方」
そんな中で真っ先に問いを投げかけた武姫はやはり度胸が据わっていると、女は心からそう思った。
傭兵として、軍人として様々な戦場を渡り歩いた経験のある護衛の女ですら圧迫感を感じるのだ。
並の人間ならばこの状況、声を出すどころか呼吸、まばたきすらまともにできなかっただろう。
《カファロ子爵と申しマス》
青年は優雅に会釈をしながらそう名乗った。
だがその所作も名乗りも、貴族のそれではない。
真似事と言えるかすらも怪しい、あまりにも大きな外見とのギャップ。
《でハ、さよウなら》
だがそれに関して考えを巡らせる暇も、それ以上会話が続くこともなかった。
青年が笑顔とともにかざした手の先で小さな光が瞬いた瞬間───何かが爆ぜた。
起こったのは大きな、大きな爆発だった。
耳を劈く轟音とともに大地が、空気が揺れる。
その威力は携行用の小型爆発物などとは比較にならず、建物の解体や採掘に使用される大型のものすら上回る。
そしてそれは間違いなく魔法によって引き起こされた現象なのだが、何の詠唱もなく引き起こされた。
理外と、そう評価せざるを得ない現象。
それに対して女が反射的に魔法障壁を展開したのは、もはや奇跡のようなタイミング。
僅かでも思考が挟まれば間に合わなかったかもしれない、そう思う程にギリギリでの展開が間に合った。
そのため幸い肉体へのダメージはないものの完全に威力を殺せたとは言い難く、衝撃で身体が大きく後ずさった。
それでも転んだり体勢が崩れたりといった致命的な事態になることは避けられただけ僥倖と言えるだろう。
(二人は───)
───今のを防げただろうか。
そんな懸念とともに僅かに視線を向ければ、爆発前の位置関係に二人の姿は存在しない。
やむを得ずと振り返れば”水面”がまだ到達していない場所まで吹き飛ばされ、何とか立ち上がろうとしている姿が見える。
抱いた感情は二人が死んでおらず、軽く見た感じでは深手を負ったわけでもないことに対する安堵。
だが明確な挙動として現れたのは、何かを諦めたようにため息。
そして彼女は横へと飛び、射線上───青年と二人の間に立ち塞がるような位置に移動した。
「お二人は周囲で怪物の掃討を」
青年の方へと向き直りながら女が告げる。
「それは───」
「アレは数を頼りにどうこうできる相手ではありません」
反論しようとしたのであろう武姫の言葉を遮り、半ば「足手まといだ」と告げるように。
護衛の女とて、武姫と剣士の二人の強さが破格だということは理解している。
それも「学生の中で」ではなく「帝国所属の戦闘員の中で」だ。
だがこの青年を相手取るには、どうやらそれでも足りないらしい。
文字通り”挨拶代わり”の一撃で吹き飛ばされるようでは、間違いなくこの戦闘中に命を落とすという確信がある。
「わかりましたわ……!」
「了解ッス」
どこか悔しそうな同意の言葉とともに、武姫と剣士が左右に散った音が背後から聞こえた。
怪物相手程度ならば二人は遅れを取るまいと思考から切り離し、目の前の青年に集中する。
《話シ合いは終ワッたのカな》
「おかげさまで」
青年は何をするでもなく、ただ笑顔をこちらに向けていた。
興味深いと思っているか、どうでもいいと思っているか、どちらとも取れる表情。
いずれにしてもそこには余裕がある。
───果たして自身の実力は”これ”を相手取るのに足りているのか。
そんな自問自答に対する答えを、護衛の女は持ち合わせていない。全くの未知数。
だが、それでも一人の方が良いと彼女は考えた。
これは自分がこなすべき役割だと、そう思ったのだ。
「あの子たちは”デーモン”の相手、したことないからね」
そして決断に至った理由の一つを口にした時、青年が感心したような表情を浮かべたのが見えた。
恐らく女の言葉は、全くの予想外だったのだろう。
《死を待ツ者たちハ忘れっぽイと思ってイたけド》
「最近よく会うんだよ」
確信はあるが確定ではない。
そう思っていたそれは、やはり正解であったらしい。
護衛の女が青年のことを”デーモン”だと思った理由の最たるものは、先程起こった爆発。
何の詠唱もなく放たれた強力な魔法を、ここ最近”死の砂漠”と”狭間”で相対した”デーモン”が行使してきた攻撃方法と同じものであると彼女は思った。
そしてそういう前提で青年を見れば、程度の差こそあれその禍々しい気配も似通っているように思える。
そして試しにその思考をぶつけてみたところ感心された、というわけだ。
感心された理由についてはまるで見当がつかないが、そこは「忘れっぽい」という奇妙な言葉についてとともに魔王に相談しようと決め頭の片隅へと追いやる。
今考えるべきは、戦いのこと。
(間違いなくあいつらより強い)
これまでに戦った”デーモン”たち。
”狭間”で戦った三体は動きが全くの素人だったため「弱かった」という評価になる。
”死の砂漠”で戦った個体はある程度の強さはあったものの、異世界人との戦いを見る限りは問題にならないと考える。
青年は、そんな連中とは比較にもならないほどに強い。
それは女がこれまで積み上げてきた経験と、磨き上げてきた感覚から断言できる。
もしかすると過去に戦ったどんな相手よりも強いかも知れない、とすら思う。
《そんナに力むコとはナいよ、気楽ニ───》
青年がおどけた態度で放った言葉を合図とするかのように、女が跳んだ。
それなりに開いていたはずの彼我の距離を僅か一拍ほどで詰める、弾丸のような速度で。
そして放たれた鋭い一閃が───空を切る。
避けられた、という感想は浮かばない。
何が起こった、という疑問がまず浮かぶ。
剣が届く直前、足元の水……あるいは”闇”が青年に纏わりつき、そして彼の姿が溶け落ちるように消えた。
剣は”闇”こそ捉えたように思ったが、少なくとも女は何ら手応えを感じていない。
自然に、ごく自然に女は水面を見た。
青年が消えた先を、目で追いかけた。
刹那、背筋を再び猛烈な悪寒が走る。
水面に瞬く、存在しない星々。
そのうちの一つと”目が合った”。
「ッ!?」
水面が大きく隆起したのは、女が全力で後方へと跳んだ直後。
《気楽に、遊ボう》
聞こえたのは青年の声。
正確に言うならば、青年だったものの声。
水中から現れたのは軽装鎧に身を包み、レイピアを携えた騎士のような巨人。
サイズ、見た目共に”ワンド”によく似ているが、間違いなく違うと断言できる存在。
「そうそう、これまで会った”デーモン”もそんな感じだった」
色合いは薄暗闇の中でなお映える、夜闇を凝縮したような黒。
特徴的なのはのっぺりとした、まるで上から布を覆い被せたような頭部とそこにある一つ目。
大きくて紅いその瞳にどことなく喜悦の色を浮かべながら、巨人は女を見下ろしている。
精神が弱い者ならば当てられて気か正気かのいずれかを失うであろう、そんな異常に濃い淀んだ魔力を垂れ流しながら。
《ジャあ、耐えテみて》
愉しそうな、間違いなく加虐的な感情の込められているであろう声。
一つ目の”デーモン”の周囲にいくつもの小さな光が瞬く。
それは先程”デーモン”が青年の姿をしていた時に放ったよりも大きく、強い光弾。
それらが女に向けて降り注がんとした時───
「ド根性!!」
そんな叫びとともに猛スピードで飛来した黄金の巨人が間に割り込み、そして大爆発を受け止めた。