第九章:祭壇前
三人称視点です。
「この水踏んで大丈夫なやつッスよね!?」
「”狭間”でも散々踏みましたし、大丈夫と思いましょう!」
「了解ッス!」
戦闘は、いまだ広がり続ける水面の上で始まった。
響くのは剣戟の音、水が跳ねる音、奇怪な咆哮、そして剣士と武姫の会話。
群衆の悲鳴や怒号、足音は少しずつ遠ざかっていく。
彼らを守りながら戦うという状況にならずに済んだことに関しては、七不思議部の面々にとって不幸中の幸いと言えるだろう。
だが一方で、怪物たちが次から次に水中から這い出してくるという状況は厄介極まるもの。
怪物たちが斃され減るペースは早いが、増えるペースはそれ以上に早い。
そのため徐々に、徐々にではあるが開始時点よりも戦場は後退していた。
護衛の女は考える。
面々と怪物たちの力の差は歴然であり、戦うこと自体は何ら苦ではない。余裕と言って差し支えないとすら思う。
だが数は問題だ、果たしてどれだけ倒せばこの戦いは終わるのか。
一人頭の討伐数はとうに二桁を超えたが、一向に落ち着く気配がない。
もし仮に怪物の数が百を通り越した時、果たして同じように余裕と言えるかと問われれば彼女は否と答える。
体力も魔力も無限ではない。
いつか必ずやってくる限界が戦闘中に訪れれば、ほぼ確実に死ぬだろう。
それでも殲滅を目指すか、時間稼ぎと割り切るか。
時間を稼ぐにしても観客が逃げ切るまで、違う場所で儀式魔法の解除を試みているらしい指揮官たちが事態を解決するまでなど選択肢には幅がある。
まず真っ先に突っ込んだ武姫がどういう考えを持っているのかについては、護衛の女が知る由もないこと。
かなり猪突猛進の傾向があるため「何も考えていない」可能性も考慮せざるを得ない。
そのため彼女は自分なりに期限を切る。
ひとまずは観客の避難……と呼ぶべきか逃走と呼ぶべきかは微妙なところだが、それにある程度の目処がつくまで。
(アイツが来るまで、かな)
そして、異世界人が召喚した”ワンド”とともにやってくるまで。
そうすれば余裕ができるどころか、殲滅くらいまでは視野に入ってくる。
異世界人の”ワンド”はそれほどに強力だ。
事が起こる前のタイミングでの召喚については問題があるため、他ならぬ護衛の女自身が止めた。
理由については観客が騒ぐ、危険であるなどが主だが、仮に召喚を終えていたところで周囲に人がいる状況では異世界人は性格とその”ワンド”の特性からまともに戦うことはできなかっただろうとも思っている。
そして急がずとも観客が逃げ、彼が準備を終えるまでの時間くらいならばいかに怪物の数が多かろうと問題なく相手取る事ができるという自負もあった。
それらの理由から戦闘開始時点では待機させたわけだが、その予測は今のところ当たっているし判断に後悔はない。
だが不意に、嫌な考えが彼女の頭をよぎった。
異世界人の引きは、特殊だ。
カードゲームに例えるなら、数ある札の中からピンポイントで最も厄介と言って差し支えない札を引き当てるようなもの。
それも毎回、必ずと言っていいほどに。
彼は行く先々で面倒事に巻き込まれ、時折厄介極まる相手と戦う羽目になる。
今回の騒動は間違いなく前者だが、果たして後者はどうなのか。
もしかするとその思考は、虫の知らせとでも呼ぶべきものだったのかも知れない。
刹那、女の背筋を冷たたいものが駆け抜けていった。
───悪寒。
身に危険が迫った時に反応する警報とでも言えるそれが、過去最大級と言っていいほどに強く鳴り響く。
その原因は、半ば反射的に見上げた空にあった。
視線の先にあるのは”狭間”の空を映し続ける空間の歪み。
そこから光輝く何かがゆっくりと現れる。
何か色がついているわけではなく、特異な光り方をしているわけでもない。
ただの白くぼんやりとした光でしかないはずのそれが、篝火に灯る黒い炎や広がり続ける水面、周囲にいる怪物たちよりも禍々しいものであるように感じられる。
「なんですの、あれ」
そう言った武姫の顔は、声音から察するにきっと強張っているだろう。
恐らくは自身と同種のものを感じたに違いない。
驚愕と警戒、ともすれば恐怖や畏怖の類。
(何なんだ、あれは)
揺らめく光から目を離すことができない。
目を離してはいけないと、そんな気がする。
気付けば、つい先程まで奇怪な叫び声を上げながら狂ったように襲いかかってきた怪物たちも静かに光を見上げ、恭しく頭を垂れている。
まるで王を讃えるように、神を崇めるように。
それは、間違いなく異様な光景。
───魔王ならば、あの光の正体を知っているだろうか。
魔王を名乗る者よりも遥かに禍々しい気配を放つ光を見上げながら、そんなことを考える。
ろくでもない存在だということは問わずとも本能的に理解できる。
それでも彼女はアレが何かを知りたかった。
今どうすれば良いのかを知りたかった。
《L'air est mauvais ici》
声が聞こえた。
よく通る澄んだ、それでいて本能的な恐怖を呼び起こすような声。
それが言葉だというのも理解できた。
だが護衛の女は、そして武姫と剣士は、その言葉を正確に聞き取ることも理解することもできなかった。
光が、ゆっくりと人の形を造っていく。
現れたのは真っ白な、貴族が身に纏うようなスーツを着た青年。
《Et c'est bruyant ici》
ゆっくりと開いたその双眸に見据えられた時、女の背筋に再び寒気が走った。