ウィリアム・ロンズデイルと儀式魔法
「なるほど、そちらも同じ状況か」
通信端末の向こうにいる人物に現在の状況を説明し、また相手からの説明を聞きながら指揮官は”それ”に目を向ける。
血によって描かれた儀式魔法と、その中心にある死体。
椅子に縛り付けられた上で袋を被せられ、夥しい量の出血があった形跡のあるそれは間違いなく生贄だろう。
これと同じものが通信端末の向こう……双子の獣人たちが向かった場所にも存在したらしい。
「オーモンドのご令嬢には、一体何が見えているのでしょうね」
「気にはなるが……聞いてもわからないだろうな」
固い表情でそう尋ねてきた部下に対し、苦笑とともにそう返す。
目の前にある儀式魔法は、指揮官にとって全く未知のもの。
他の者たちにとっても同様だろうし、恐らくは───間違いなく令嬢も”理解”まではしていないだろう。
では何故令嬢は「ここに何かある」ということを言い当てられたのか。
それに関して指揮官には一つ、予想していることがある。
本人が知るはずのない過去の知識を、経験を持つ者たち。
基本的に精神に病を持つ者として扱われ、帝国においては医療機関の受診が推奨されている”生まれ変わり”あるいは”記憶が繋がった”などと言われる人々。
恐らく令嬢は彼ら彼女らと同じ状態なのだろう、指揮官はそう考えている。
”闇の森”の地下で儀式魔法を解除していた際に令嬢と魔王がそれについて話していたフシもある。
指揮官には魔王の姿が見えず声も聞こえないため詳しい会話の内容までは分からないが、令嬢が「自分も誰かの生まれ変わりなのか」と問いかけたのは聞いたのでほぼ間違いないだろう。
ただ”生まれ変わり”は非常にデリケートな存在だ。
多くの場合はカウンセリングや魔術的な治療、継続的な投薬などですぐ完治……知らぬ知識や経験を忘れることができるため、基本的にそう難しい病としては扱われていない。
だがごく一部、治療が効かない程に強く”過去”と結びついてしまった者たちに対しては帝国による保護ないし拘束が行われる。
過去、帝国の内外においてそういった”生まれ変わり”たちが数多く、ろくでもない事件を引き起こしてきたのが原因だ。
衝動に飲まれ事件を起こす程度ならまだマシな方で、酷い場合は戦争を引き起こしたり国が割れたり……最悪のケースとしては大戦を引き起こし、複数の国を滅ぼし万単位の人間を死に至らしめた”聖女の生まれ変わり”というものも存在する程だ。
ある程度とは言え治療法が確立された現在でも、そういった事態を引き起こさないためという名目で程度を問わず収容所送りにする国は存在するし、酷いところでは問答無用で処刑している国や組織もまだあると言われている。
それらと比べるまでもなく、帝国の施策は極めて穏当と言えるだろう。
(上はこの件をどう扱う気なののやら)
指揮官はそんな令嬢の状況を、正式な報告としては上げていない。
直属の上司にそう指示されたためだ。
事実上隠蔽されているわけだが、そうなった理由はおおよそ彼にも察しがつく。
「高級貴族、それも公爵家で目に入れても痛くないほど可愛がられているご令嬢」に精神病の疑いをかけて保護や隔離をするのは相当に難しいし、下手をすれば疑いをかけた時点で問題になるかもしれない。
南部貴族たちの混乱など問題が頻発している現在、帝国軍とはそれなりに良好な関係を築いているオーモンド公爵家との無用なトラブルは避けたいのではないか。
恐らく今回も同じ流れになるだろう。
専門家である双子の獣人の手柄として処理されるのだ。
納得はできるし、自身がそういった政治的判断をする立場にないことも指揮官は理解している。
だが不安があるのもまた事実。
いつか令嬢が原因で大きな事件が引き起こされ、それに自身や帝国が巻き込まれるのではないかという不安だ。
「それで、この儀式魔法は解除できそうなのか」
とは言え現状は、それについていつまでも思考を巡らせている場合ではない。
指揮官は思考を切り替え、儀式魔法の解析を進める部下たちに声をかけた。
「もうすぐ解析が終わります」
床に設置した機械を操作する部下が答える。
帝国では魔導士のマンパワーに依らずとも儀式魔法の解析や解除が可能なように、専用の機器が開発され運用されている。
流石に”闇の森”に設置されていたもののような既存の理論に全く合致せず、かつ複雑極まる構造ものは流石にどうすることもできない。
だがこの場に設置されているものは未知ながらも単純に見えるため、解析くらいはできるのではないか。
指揮官も部下たちもそう考え、作業を進めている。
そして画面に「完了」の文字が現れ、解析が終了したことを告げる。
「やはり構造は未知のものです、下手に手を出すとどうなるかわかりませんし───」
出力された解析結果を半ば諦めたように説明していた部下の一人が言葉を切り、弾かれたように顔を上げた。
突然鳴ったガタ、という音に反応したのだ。
指揮官も音のしたほうへ向き直る。
音の発生源は儀式魔法の中心。
そこに存在する死体が、まるで痙攣でもしているかのように震え始めていた。
縛り付けられたままの椅子がガタ、ガタガタと床を鳴らす。
「全員離れろ!」
指揮官の号令に従い、部下たちは死体から距離を取り銃を構える。
(どうやら、甘く見すぎたようだ)
死体の頭に被せられた袋を突き破り、黒い触手が現れる。
酷くグロテスクな光景だった。
時限式で儀式魔法が発動したのか、あるいは人の接近や解析に反応し防衛機構が働いたのか。
何が起こったのか、何が原因でこうなったのかはまるで見当もつかない。
だが確実に言えるのは、これを仕掛けた者は相当にたちが悪いということ。
(いずれにしても失態だ)
指揮官が引き金を引いたのを合図に、部下たちも発砲する。
小さな廃屋には銃声と───触手が壁を、床を破砕した音が響く。