第八章:”眠れぬ夜に”
───消えた。
それはその瞬間、そこにいた者のほとんどが思い浮かべた言葉。
横から見ていた者も、上から見ていた者も、正面から相対していた者でさえも。
尽くが、そこにいたはずの黒騎士の姿を見失った。
そしてその中でも特に強い混乱に見舞われたのが”アームド”たち。
真正面から見据え銃口を向けていたはずの存在が、引き金を引いた瞬間突然視界から消えたのだから当たり前だ。
───一体何処へ。
黒騎士の姿を、あるいは隠れうる遮蔽物を探そうという思考に至った刹那。
身体が何か行動を起こす直前。
彼らの横を風が吹き抜けていった。
そして「キン」という硬く、軽く、そして鋭い音が二度。
何故か異様にはっきりと感じられたそれらの正体を、彼らが理解することはなかった。
風は、二体の間を黒騎士が通り抜けた感触。
音は、装甲ごとその胴体が切り裂かれた音。
黒騎士は消えたわけでも、隠れたわけでもない。
ただその動きを多くの者の目は追えなかった。
ただそれだけの話だ。
そうして瞬く間に二体の”アームド”が白い煙となって消え、身に纏っていた装備が重たい音とともに地に落ちる。
残された装甲には、異様なほどに滑らかな切断面があった。
もともと分離していたと、そう誤解してしまいそうなほどに。
「何モンだ、テメェ」
その場にただ一体残された”鬼”は、跳ねる鼓動を押さえつけながらもう一度黒騎士に問いかける。
彼が無闇に飛び掛からなかったのは努めて冷静にという意思の賜物か、それとも動けなかったというだけの話か。
言葉は先程黒騎士が現れた際に投げかけたものと同じ。
だが先程と違い、敵か味方かを問うた訳では無い。
黒騎士が”鬼”の、野盗たちの敵であることはもはや明白。
”鬼”が知りたいのは純粋に黒騎士の名だ。
あまりに速い動き、そして装甲ごと”ワンド”を両断する剣技。
それは”鬼”が過去に見た中でも最上級といっていい技量。
故に間違いなく黒騎士は高名な武人であるという確信がある。
だが軍人にしろ傭兵にしろ、心当たりが全く浮かばない。
見当もつかないと、そう言っていい。
───イレギュラーな事案が重なりすぎている。
”鬼”が生身であれば、その苦虫を噛み潰したような表情を見て取れたことだろう。
魔王と女帝の予想通り、彼らは実際のところ野盗ではない。
フリーの傭兵部隊、正規の軍人や騎士が手を付けにくい汚れ仕事を請け負う者たちである。
今回の仕事は子爵領、あるいは南部地域の不安定化工作。
依頼主の素性に関しては不明だし目的も半ばぼかされてはいるため”鬼”自身が詳細を知っている訳では無い。
それでも仕事を受ける気になった程度には信頼関係があり、金払いも良い。
またフォローもしっかりしており、子爵領やその近辺に関する情報は逐一流してもらえていた。
そのため討伐隊も簡単に退けることができたし安全に仕事を遂行できていたのだが───この村で突然、全てが崩れた。
「またダンマリか」
黒騎士からの返答はない。
長大な剣を静かに構え、時折その身に得体の知れないノイズを走らせながら”鬼”を見据えるのみ。
”鬼”からすれば黒騎士の前にいた生身の面々からしておかしかった。
事前情報ではこの村に大した戦力はいない、歩兵で十分という話だったにも関わらず、出てきたのは”ワンド”でなければ対処できないような連中。
そしてそちらは何とかなると思った瞬間、この黒騎士が出てきた。
(クソッタレが)
心中で毒づきながら、”鬼”は黒騎士を睨みつける。
戦いの趨勢は、もはや覆しようがない。
黒騎士が瞬く間に”アームド”を屠った時点で全てが決まったと言っていいだろう。
”鬼”とて無能ではなく、現状組み立てる必要があるのは逃げる算段であることは当然理解している。
だがどう逃げるにしても、黒騎士の存在があまりにも邪魔。
「だったら黙ったまま死んでろや!!」
隙を作る必要がある。
倒せぬまでも、退くための時間を。
そのためには、挑むしかない。
一合目。
”鬼”が振り下ろした斧と、黒騎士の大剣がぶつかり合う。
硬く、重い音。
力と力がぶつかり合った音が響く。
そして二合目の後、”鬼”に僅かに生じた動きの隙間。
そこに黒騎士が差し込んできた剣撃を何とか受け止め、三合目。
身の丈程はある長剣を軽々と扱い、鋭い剣撃を繰り出す黒騎士への畏怖。
そしてそれが見え、対応できていることへの安堵。
それらがごちゃまぜになった思考を無理矢理飲み込み、”鬼”は一歩前に出た。
衝突音。
彼が繰り出したのは斧による攻撃ではなく、蹴り。
ガードこそ間に合ったものの、威力を殺しきれなかった黒騎士が大きく後退する。
あるいは、あえて勢いを殺さず利用し距離を空けたか。
(落ち着け)
大きく息を吐き、斧を構え、改めて相手を見据える。
”鬼”の能力の中で特に優れていると言えるのは、間違いなく目だろう。
メイドの奇襲じみた攻撃を回避し、黒騎士の動きにも対応することができているのは正確に相手の動きが見えているからこそ。
決してまぐれや偶然の類ではない。
「これで終わりかァ?」
未だ黒騎士の底は見えず、得体は知れぬまま。
それでも言葉を投げかけ、出方を伺う余裕はできた。
受け身は性に合わないという思いはあったが、やむを得ないと割り切る。
そして次の言葉を向けようとした瞬間、黒騎士が動いた。
”アームド”たちを屠った横薙ぎの一閃と同じ挙動。
少なくとも”鬼”にはそう見えた。
速いが、スピードは増していない。
何か、違和感のある動きというわけでもない。
先程と同じく見えているからこそ対応可能と判断し、再び打ち合うために斧を振るう。
そして剣と斧が交錯し五合目───は、発生しなかった。
「は?」
酷く間の抜けた声が漏れた自覚は、恐らくなかっただろう。
自身に迫っていた剣、そしてそこにいたはずの黒騎士。
そのいずれもが霞のようにぼやけ、消え去った。
それらに向けて振るった斧が勢い良く、虚しく空を切る。
何が起こったのかと思考を巡らすよりも早く、彼の視界に映ったのは今まさに剣を振るわんとする黒騎士の姿。
(俺は、何を見た?)
その姿はおよそワンテンポ分、遅く遠い。
まるで少し未来の光景を、幻として見せられていたかのように。
そして剣が振るわれる。
ガードも回避も間に合わない。
というより、ワンテンポ早く動いてしまった”鬼”にでき去ることはもはや何もない。
───子爵領には”剣聖”エドガー・ランスの亡霊が出る。
その時突然、頭の中に誰かの言葉がよぎった。
それは心底くだらないと切って捨て、今の今まで忘れていた噂話。
誰から聞いたかすら、正確には思い出せない言葉。
何故そんなものが頭をよぎったのかはわからない。
もしかすると脳が過去の記憶を高速で掘り返す最中、俗に走馬灯などと呼ばれる現象の途中たまたま引っかかっただけなのかも知れない。
いずれにしても”鬼”にそれ以上の思考は許されず。
ただ「キン」という硬く、軽く、そして鋭い音が聞こえたのを最後に───その意識は暗転した。