第八章:その4
「それでそれで、どれ行く?」
メアリの楽しそうな言葉に、俺たちの視線が再びメモ書きに集中する。
……自分で書いておいて何だが、汚え字だな。
この世界ってペン習字みたいな通信教育あるだろうか、あったら受けてきれいな字が書けるようになりたいんだが。
そんなことより目的地の話だ。
傭兵たちに教えてもらった場所や物は数が多い。
この広い帝国の隅から隅まで点在している上に、中には所在地が「だいたいこの辺り」程度しかわかっていないために探すところから始めないとならないものもいくつか存在している。
ロンズデイルが協力してくれるなら移動に問題はないだろう。
だがロンズデイルには仕事が、俺たちには授業があるので時間は有限。
あれもこれもというわけにはいかない。
さて、どれを回ればいいか───
「あの、これ行きたいんスけど」
そんな中で希望を出したのはヘンリーくんだった。
見た目にそぐわずあまり自分の意見を述べない子という印象だったので、意外である。
そんなに彼の興味を引いたものがあるのだろうか。
俺としてはその意見を採用していいんじゃないかと思う。
しかしそれには一つ、大きな問題がある。
「「……どれ?」」
俺とメアリとウェンディ、あとセラちゃんの声が綺麗にハモった。
ヘンリーくんの興味を引いたもの、それがどれなのかが全くわからない。
何故か指がプルプルと震えているせいで、どれを指さしているのかはっきりしないのだ。
どうしたヘンリーくん、大丈夫か。
「ラ、ランス将軍の亡霊って奴ッス」
左手で右手の震えを抑え込んで、何とかその項目のところで静止させようとするヘンリーくんが面白い。
……抑え込めるわけないだろ全身が震えてるんだから。
ともあれヘンリーくんが行きたい場所……この場合は見たいものか、それと震えている理由は同時にわかった。
キミだんだんホラー耐性弱ってきてない?大丈夫?
「ランス将軍って?」
その名前を聞いた瞬間他の面々は「ああ、なるほど」というような表情を浮かべたが、俺はそのランス将軍なる人物のことを知らない。
飲み会の席でも特に尋ねなかった。
将軍と呼ばれているので軍人だろうということと、”軍人の幽霊”ではなくわざわざ”ランス将軍の亡霊”と呼ばれているので有名人なのだろうということはわかる。
だが残念ながら俺に分かるのはそこまでだ。
『エドガー・ランス将軍という帝国の旧い英雄です』
そうしてサラちゃんが教えてくれたのは、彼女が生きた時代よりも前に存在した歴史上の人物の話。
エドガー・ランス将軍。
拡大期、最も周囲に敵が多かった時期の帝国を支えた優秀な軍人。
対人、対魔獣を問わず数多くの武功を上げたことにより剣聖あるいは剣神と呼ばれた武人。
帝国には文官武官、果ては民間人から出た義勇兵に至るまで数多くの英雄英傑が存在するが、エドガー・ランスという人物は特に人気がある。
人気の理由は奴隷出身という出自、身の丈程はある剣を軽々と振り回していたとかいう男が好きそうな戦闘スタイル、ドラゴンを落としたなど派手なエピソード群など色々あるが、特に有名かつ人気なのはその散り様。
ある大国との戦争中、その間隙を突くように南部の同盟国が裏切り襲来した事件がある。
帝国と敵対していた他勢力がそれに乗じ挙兵したことにより、帝都に向かい突き進むその軍勢の規模は二万を超えていた。
その進路に立ち塞がったランス将軍の手勢は───僅か千。
そんな絶望的な戦場で彼と彼の部下たちは奮戦し、大軍を押し留め、味方援軍の到着までを耐え切ったのだ。
偉業、あるいは奇跡。
間違いなくそう呼んでいい、呼ばれるべき戦果である。
だが残念なことに、彼はそこで死んだ。
援軍到着とほぼ同時に”魔法の杖”が消え去り、その場には将軍の亡骸だけが残された───と言われている。
彼がいなければ帝都は失陥し、下手をすれば帝国ら自体が滅んでいたとも言われている。
救国の英雄、帝国の盾。
それがエドガー・ランスという稀代の英雄の逸話である。
……なるほどな、と思う。
活躍も派手だし死に様も派手、人気が出ない方がおかしいとすら思う人物だ。
特にヘンリーくんのように剣に生きる者の心にはそりゃあ刺さるだろう。
「私はいいと思う!」
そんなおとこのこ、ヘンリーくんの提案にメアリは賛成。
「俺もいいと思う」
『私もです』
俺とセラちゃんもそれに続く。
正直反対する理由はないし、たまにはヘンリーくんのやりたいこともやらせてあげたいと思う。
まあ強いて言うなら「苦手ジャンルだと思うんだが、大丈夫か?」という心配はあるが……。
「ではこれにいたしましょうか」
そして最後にウェンディが結論を下し、至極あっさりと目的地は決定。
かくして俺たちはランス将軍の亡霊が出る地、彼の最後の戦場へと向かうこととなった。
「あざッス!」
そう言って深々と、高校球児みたいに頭を下げたヘンリーくんの顔には安堵と嬉しさが顔にはっきりと浮かび───
そしてやっぱり、微妙に震えていた。