第七章:地下3
───自分だけが、役に立っていない。
儀式魔法の解除作業が続いている光景。
床に座り込みながらそれを見つめる令嬢は、酷い頭痛と無力感を感じていた。
彼女の友人たちは皆、この場所に至る途上で命を張って戦っている。
異世界人、武姫、剣士。
三人が三人とも類稀な能力を有しているので大丈夫なはずだ、そう自分に言い聞かせるがどうしても不安は消えない。
周囲の大人たちは自分を守るために奮闘してくれた、というのも令嬢は理解している。
”闇の森”からこの死んだ街、屋敷内と常に彼女を守り立ち回った兵士たち。
肉体的な疲労のみならず精神面も気遣いフォローし続けてくれたメイド。
ここまで無事にたどり着けたのは間違いなく彼らのお陰であり、それに対しては感謝の気持ちとともに申し訳なさが浮かぶ。
お荷物、という感覚がずっと消えなかった。
何故きちんと同行を断らなかったのだろうという後悔がわだかまっていた。
そんな令嬢に、ようやくと言っていい機会が訪れた。
儀式魔法の解除作業である。
これならば力になれる、と思った。
何故双子の獣人すらも知らないその構造や仕組みがわかったのかは、彼女自身にもわからない。
だがようやく役に立てると、がむしゃらに作業した。
結果は───解決より先に、体力が尽きた。
酷い頭痛と倦怠感。
まるで病魔に冒されたかのような状態。
単純な疲労、体力不足かもしれない。
この室内に渦巻く濃密な魔力に当てられたのかもしれない。
記憶の中に存在した、知らない知識を引っ張り出したのも何か影響があるのかもしれない。
いずれにしても令嬢にとって現状は悲しく、そして悔しかった。
───何か役に立ちたい。
そんな思いに身体と頭がついてこない現状が、ひたすらに辛かった。
『状況はどうだ』
隣からそんな声が聞こえたのはそんな時。
見上げれば魔王が、いつも通り腕を組みながら立っている。
「タカオは?大丈夫?」
それに答えるより先に、令嬢は異世界人の状況を問う。
魔王は異世界人とともに、あの巨大なドラゴンの方へと向かったはずだった。
強い不安がある。
状況が安定したが故にこちらに来たのか、悪いからこそ急がせるためにこちらに来たのか。
果たしてどちらなのか、令嬢にはわからない。
『彼奴は良くやっている、あちらは問題なかろう』
「良かった……」
返答に、安堵する。
やはり異世界人は強い。
それが”ワンド”の力に依るものだったとしても、それを召喚したのは間違いなく異世界人の力だ。
令嬢自身、何度もそれに助けられてきた。
「こっちはも少し時間かかりそ」
対して自分はどうかと、令嬢の思考は再びマイナスの沼に沈む。
守られてばかり、助けられてばかり。
どこへ行こうと、何をしようと足を引っ張ってばかりだ、と。
『あのように古く複雑な儀式魔法をこの短時間であそこまで解けたのなら、大したものだ』
「そうなん?」
『ああ』
感心した、そう評する魔王の言葉。
それを受けた令嬢の心の中では僅かに誇らしい気持ちが湧く。
もしかすると自分も頑張れたのではないか、と。
だがそれは彼女をマイナスの沼から引き上げるには至らない。
むしろ同時に湧き上がった不安のほうが、遥かに大きかったからだ。
「ね、ベルガーン」
『何だ』
「何でアタシ、あれの仕組みがわかるんだろ」
儀式魔法を構成している術式の中に、令嬢が目にした事があるものはほぼ存在しないと言っていい。
だが、何故か彼女はその儀式魔法についての殆どを理解できた。
それこそ今の魔王のようにひと目見ただけで、だ。
『記憶が繋がったのかも知れんな。珍しいが、ない話ではない』
強い既視感や、子供の頃に見る前世記憶。
それらを「記憶が繋がった」と表現する者たちは、現在もいる。
『誰某の生まれ変わり、などと嘯く者は今もいるであろう?』
「いやいるけどさ……」
ただしこれは与太話の類だ。
真面目に論じている者など───いないとは言えないが、”まとも”な者が語るような話ではない。
それを魔王が言い出したことも、自分が当てはめられたことも、令嬢にとっては予想外もいいところであった。
『あれは魔力が強い者ほど症状として出やすい、貴様は卓越した魔力を持つが故に強く繋がったのやもしれぬ』
この発言をしたのが他の者であったならば、令嬢も何を馬鹿なと思ったことだろう。
魔王の発言であって尚、困惑が勝ったのだから。
「アタシも……誰かの生まれ変わりってこと?」
過去の偉人や英雄の生まれ変わりを自称し、良きにつけ悪しきにつけ世界の歴史にに大きな影響を与えてきた者たち。
彼ら彼女らが皆優れた───卓越したと言っていいレベルの魔導士であったという事実は、存在する。
自分もそこに混ざるという可能性を考慮した時、先立つのは不安。
何故ならその多くが「精神に異常をきたした」と評される者たちだからだ。
『生まれ変わりという考え方は好かぬ』
そう言った魔王の表情には、珍しく苦笑が浮かんでいた。
『それは己の中に、知らぬ誰かを生み出す呪いだ』
おそらく、過去に何かしらの苦い思い出があるのだろう。
強く、そう感じられる物言い。
『自分は自分だと強く自覚しろ。記憶が繋がったからと言って他人にはなれんし、なる必要もない』
魔王が令嬢を見る瞳には、向ける言葉には強くそして優しいものが込められていた。
『貴様は他の誰でもない、メアリ・オーモンドだろう』
───自分は自分。
その言葉が令嬢にもたらしたのは、不思議な安堵感。
頭痛も僅かに和らいだ、気のせいかもしれないがそんな感覚があった。
ここのところ「自分は一体何なのか」という問いに振り回されていたと思い至る。
それがきっと魔王の言う「己の中に誰かを生み出す呪い」だったのだろう。
原因は間違いなく狭間で出会った”子爵夫人”を名乗る女。
彼女は間違いなく、令嬢の中に違う誰かを見出していた。
───付き合う義理などなかった。
───振り回される筋合いなどなかった。
そう思えたのは令嬢の、魔王に対する信頼からか。
あるいは、彼女自身の心根の強さによるものか。
それは、誰にもわからない。
「あと少し、頑張ってくる」
ようやく頭が回りだしたと、視界が晴れたと自覚しながら令嬢は立ち上がる。
───できることをやろう。
強い決意。
だがそれは先程までのように、焦りや強迫観念からではない。