第七章:屋敷内
「こんな酷い戦場は初めてです」
兵士の一人がそんな弱音を吐くほどに、屋敷内は悪夢のような場所だった。
衛兵や騎士のような武装をしたスケルトン。
メイドや料理人、あるいは庭師のような衣服を身に纏ったリビングデッド。
次々と襲い来るのはこの場所で生きていたのだと理解でき、その生活すらも容易に想像できる見た目をした怪物たち。
それらは魔獣と同じく「倒せば青黒い煙となって消える」という特徴を有しているため、倒し通り過ぎた道々には何も残らない。
戦闘の痕跡といえば薬莢くらいのもの。
それ故に実際に戦っている者たちですら時折現実感を喪失しそうになる。
これは悪夢を見ているだけではないか、と。
屋敷に至るまでの道中も似たようなものではあったが、この空間は特にそれが酷い。
屋敷内に淀んだ魔力が充満していることも要因の一つであるのかもしれない。
「焦らずに進みましょう」
そんな中で指揮官は幾度となく同じ文言を口にしていた。
それは周囲に向けての言葉であり、自身に向けての言葉でもある。
彼とて焦りがないわけではない。
仲間が二人、ドラゴンを引き付ける囮などという危険極まる役割に回っているのだから当たり前だ。
だがそれを表に出すわけにはいかない、という強い意思がある。
彼は理解していた、自身の焦りは確実に周囲へ伝播するということを。
努めて冷静に。
どこから出てくるかわからない怪物たちに、あるかどうかすらわからない罠。
注意深く気を配りながら、慎重に歩を進める。
「メアリ嬢、次はどちらに?」
「えっと……こっちです!」
そしてそんな一行の進路を決めているのは、意外にも令嬢であった。
儀式魔法は方法や内容に関わらず、中心に近づけば近づくほど魔力が濃くなっていく。
その濃さは五感でもある程度は知覚することができるし、周囲の魔力を数値化する装置も存在する。
一行はこの屋敷でもそれらを頼りに儀式魔法の中心を目指すつもりだった。
しかしながらその予定は、屋敷に入った瞬間に破綻する。
屋敷内の魔力が濃すぎたのだ。
装置が計測しうる限界値など早々に超えるほどの濃度。
そんな環境で人間の感覚が微細な差など感知できるわけがない。
にも関わらず「魔力の濃淡を認識できる」と言ったのが、令嬢。
当然ながらそれは他の者たちにとっては信じがたい言葉である。
令嬢と仲の良い剣士や武姫ですらも同じ反応。
嘘や放言の類でなく、感覚の麻痺や異常を心配される有り様だった。
「少佐は何故メアリ嬢の言葉を信じられたのですか?」
「勘ですよ、それらしい理由は後ほど考えます」
だが指揮官のみはそれを信じた。
メイドに答えた通りほぼ勘による判断ながら令嬢の言葉を、才能を信じることを選んだ。
他の者が懸念を口にすることはあれど反対まではしなかったのは、指揮官への強い信頼故にだろうか。
かくして令嬢の先導で進むこととなった一行。
廊下を渡り、部屋を抜け、いくつ目かの扉を開けた先。
彼らがたどり着いたのは、広い中庭だった。
美しく整えられた庭木に精巧な石像、水の流れていない噴水などが並ぶ開けた空間。
このような暗い空の下でなく、陽光の下で見られれば。
カタカタと軽い音を鳴らしながら一行に武器を向けるスケルトンの群れがいなければ。
ここはきっと、美しい場所だと思えたことだろう。
この時、一行は令嬢の感覚が正しく働いていたということを理解した。
スケルトンの群れの向こうに存在する、おそらくは地下へと続くであろう階段。
そこから、もはや瘴気と言えるほどの魔力を感じたからだ。
「随分と強そうな方がいらっしゃいますのね」
そして武姫がハルバードを向けた先、スケルトンの群れの中心。
一行に立ち塞がるように、一人の人物が立っていた。
否、一体の怪物がいた。
地面に突き立てた長い剣の柄尻に両手を乗せ、静かに佇んでいるのは古めかしい鎧を着込んだ騎士。
人のような姿形をしているそれは、人ではありえない。
骨に乾いた皮が張り付いたような、ミイラじみた顔。
枯れ草のように垂れ下がった長髪。
リビングデッドやスケルトンに近いが、それらとは大きく違う雰囲気を纏った怪物。
失われた双眸に宿った光が、一行を見据える。
そこには怒りや憎しみといった、強い感情が込められていた。