第七章:その30
手から流れ出ていく魔力も、その量に反比例するように消え失せていく魔法障壁の感触も、はっきりと感じられる。
時間の進みが、まるでスローモーションのように遅い。
もう一度魔法障壁に波紋が生じ、水面のように揺らめく。
見たことのない変化、感じたことのない感覚。
だが次に何が起こるのかは、はっきりとわかった。
拳を強く握り、背中に全力で魔力を回す。
泡のように消え失せた魔法障壁の先に、無防備に晒される長い首が見えた。
猛烈で急激な加速。
Gを感じたら一瞬で気絶していたかもしれないが、ありがたいことに”魔法の杖”と同調している間はGらしいものは全く感じないのだ。
……感じるようにできてたら、ここまでの空中戦のどこかというか出だしで俺は戦闘不能になってただろうなあ。
「死ねぇ!!」
その瞬間に響いたのは打撃音に似た衝突音と、何かがへし折れる音。
感じたのは肉をぶん殴った感触と、その中にある何か硬いものを砕いた感触。
嫌な感触と呼ぶにふさわしい、生々しい感触。
───手応えありだ、この野郎。
当たったら言おうと思ってたセリフなんだが、本当に嫌な感触過ぎて口に出せなかった。
なんかごめん。
ドラゴンの身体から、急速に力が抜けていく。
まともな生物であれば今のでフィニッシュのはずだ、首の骨が折れて生きていられる生物は俺が知る限りは存在しない。
だがこいつは、このドラゴンは間違いなくまともな生物ではない。
引き抜いた拳の先、ドラゴンの首の中でもう一度硬い大きな音がした。
先程の折れた音、砕けた音とは違う。
何かを無理矢理嵌め込んだ、そんな音だ。
急速に、今度はドラゴンの身体に力が戻っていく。
まるで動画を逆再生しているかのように。
「ずいぶんグロい再生の仕方だな!?」
もうちょっと穏当な再生の仕方はなかったのか。
いや俺としても急には思いつかないけど。
慌ててその場から飛び去る俺をドラゴンの顔が、目が追いかけてくる。
もう完全に元気一杯といった様子だ、頚の骨折れたんだからもうしばらく安静にしてろと言いたい。
大きく開かれた口の中、喉の奥に赤い炎が見えた。
すぐに動けば回避できるかもしれないが、動かなければ回避できない。
俺とドラゴンの位置関係はそんな感じだ。
だが俺は動けなかった。
ドラゴンに恐怖して足がすくんだとかそんなのではない。
正直コイツにはもう慣れた。
慣れって恐ろしいな。
動けなかった理由は、困惑と混乱。
ドラゴンの背後、少し離れた場所。
そこには目に見えるほどの魔力を迸らせた剣を手先に浮かべ、大きく振りかぶる白銀の騎士の姿。
どう見ても投擲フォーム。
射線上にはドラゴンと───俺がいる。
少尉が何をしようとしているかはわかる。
わかるが、納得してはいけない気がする。
「避けてね」
遠く離れているにも関わらず、そんな言葉が聞こえた気がした。
この場面で少尉の言いそうな言葉ランキング一位なので、俺の脳が作り出した幻聴の可能性もある。
「何をどう避けろって!?」
迷った末に俺は上へと飛んだ。
少尉に気付いていないのか知ってて放置しているのか、ドラゴンの視線は俺を追いかける。
そしていざブレスを吐き出さんとしていたその首を───一筋の光が貫いた。
一瞬遅れて響く、破裂音とも衝突音ともつかない音。
俺はずっとその方向を見ていたので何が起こったかはわかる。
少尉が身体全体を使ったダイナミックなフォームで剣を投擲したのだ。
だがその弾道は、全く見えなかった。
糸を引くように残った光の……魔力の筋から軌跡が確認できる程度。
「何をどう避けろって……?」
軌跡は見事に先程俺がいた場所らへんを通っている。
もしかするとモロに俺がいた場所かもしれない。
殺す気か?
きっと魔法の類なのだろうが、少尉が何をやったのかはまるでわからない。
確かなことは音よりも速く、ドラゴンの首を鱗ごと撃ち抜くほどすげえ威力の攻撃だったということくらい。
もしや俺をキャッチャーミット的な目標にして、そんなヤバいものをぶっ放したのだろうか。
空中で完全に静止したドラゴンを、俺は半笑いで眺める。
もうちょっとこう、俺の安全を考慮した攻撃をお願いします。
ともあれ、これで終わりだろうか。
ドラゴンの首は大きく抉れ、もはや皮一枚でかろうじて繫がっているとかそんな程度。
そしてそこからは青黒い煙が立ち上っている。
魔獣や”デーモン”のダメージエフェクト的なアレだ。
つまり明確に、ダメージは入った。
これで終わってくれるなら楽───僅かに浮かべた期待は、案の定裏切られる。
ゴポリ。
その時響いたのはそんな感じの音だった。
液体を泡立たせたような、そんな音。
「だから再生方法がグロいって」
ドラゴンの首で赤い液体が泡立ち盛り上がる。
そうして抉れた首が形を取り戻していくのだが……こいつグロくない再生方法はないのだろうか。
青黒い煙が失われた箇所を形作るとかでも良さそうなものなのに。
ともあれ、俺はなるほどなと納得する。
これほどの再生能力があるなら、そりゃベルガーンも「今は自分でも倒せない」って言うしかない。
肉片からでも再生しそうな勢いだ。
大きな咆哮が響く。
怒りのような感情が乗っている気がするのは、たぶん気のせいではないだろう。
「早くしてくれよ、ホントに」
あとは完全に儀式魔法の解除に向かった連中次第。
俺と少尉はただひたすらにこのドラゴンを殴り、抑え込むしかない。
だがそれでも、先程までとは気分が違う。
少尉と一緒なら、コイツとも渡り合える。