第一章:その13
時は少し遡り、魔獣の接近を知らせる警報が鳴り響く前のこと。
俺たちは徐々に近づいてくる、砂嵐の如き魔獣の群れを見ていた。
たぶんもうすぐセンサーが反応して、少尉が持ってるスマホみたいなやつから警報音が鳴るだろう。
もしかするともう鳴ってるが俺には聞こえてないってだけかも知れない。
「……あれ全部魔獣か?」
『そのようだ』
何だよあの数。
あれはもう襲撃じゃなくて、雪崩とか津波みたいな災害じゃねえか。
「なあ」
『何だ』
「少尉たちって、やっぱりあれに応戦するのか?」
調査隊はまだ撤収作業中だし、撤収作業自体は終わっている考古学者連中もまだ城内にいる。
確か二キロ以内への侵入で警報が鳴ると言っていたが、たぶんその時点で全てを投げ捨てて逃げたとしても魔獣の群れに追い付かれるだろう。
こういう場面……撤退戦では味方のために敵と戦い、時間を稼ぐ役割をこなす連中が必要になる。
いわゆる殿という奴だ。
『あの女や兵士どもが役目を放棄して逃げ出さん限り、そうなるだろうな』
今回その役目を務めることになるのはきっと少尉たち。
調査隊がどれだけの戦力を連れてきているのかは分からないが……まず間違いなく多勢に無勢な状況での戦闘を強いられることになるだろう。
そして少尉たちはきっと、そんな危機的状況でも逃げないはずだ。
だが少尉ならば───。
いくら少尉でも───。
相反する二つの言葉が浮かぶが、どちらもその先を言うことが言えない。
『貴様は早く合流することだ。貴様の合流が遅れるだけ出発も遅れる』
きっと、いや間違いなくベルガーンの言葉に従うのが最善だ。
このタイミングで”重要な出土品”の一つである俺が行方不明となればどうしても探す必要が出る。
そのための人員と時間が割かれる。
俺の合流が遅れれば遅れるだけ、部隊に迷惑がかかってしまう。
踵を返し、階下に向けて走る。
久しぶりの全力疾走な上に、場所が砂漠。
すぐに汗が吹き出し息が上がる。
城内では例の警告音が響き始め、それに反応した人々も俺と同じように慌てて走り出す。
「あれを持っていかないと」「そんなものは置いていけ」みたいな会話も聞こえてくる。
そんな状況を尻目に出入り口を抜け外に出たところで───俺ははたと足を止めた。
「なあ、魔王」
『今度は何だ』
「俺には才能があるとか言ってたな、膨大な魔力がどうのこうのって」
”狭間”でベルガーンに告げられた、俺が持っているらしい才能。
現実世界では何の役にも立たないどころか、俺を殺しかけた才能。
正直いまだに全然ピンとこない。
「俺が”魔法の杖”を呼び出したら、何とかなったりしねえか」
俺は息を整えながらベルガーンを見据え、問いかけた。
自分でも無茶苦茶なことを言っているのはわかる。
俺のように戦闘どころか喧嘩の経験もない素人があそこに突っ込んで何かできると思うのは、きっと思い上がりも甚だしい。
だがそれでも、聞かずにはいられなかった。
『余は未来を知る力など持ち合わせておらぬ。故にそのような問い、答えようがないわ』
ベルガーンから返ってきた答えは、意外にも否定ではなかった。
『貴様がそうしたいと言うなら、やってみるがよい』
そうして差し出された右手。
その掌の上には赤い石が浮かんでいた。
「これが魔石ってやつか?」
『そうだ』
”魔法の杖”を召喚するのに使うアイテム、魔石。
このタイミングでそれが出てくるのは至って普通の流れなのだが……一つ、すっげぇ気になることがある。
時間が押しているにも関わらず、聞かずにはいられない疑問。
「……どこから出した?」
ベルガーンは思念体であり、物には触れない。
なので当然物も持てないと思っていたんだが……「使え」と言わんばかりに、普通に出てきたのが気になって仕方ない。
『要らんのなら戻すが?』
「要ります」
どうやら俺の質問に答える気は全くないらしい。
腹が立ったので魔石を奪い取る。
引っ込められたり抵抗されたりとかは特になかった。
『余にとっては万の宝石よりも価値がある、大事に使え』
「はいよ」
魔石は心なしか薄汚れていたが、それを言うのは野暮だろう。
たぶんベルガーンにとっては共に戦い続けてきた、戦友のような石。
そんな風に考えた瞬間、石から不思議な感触が返ってきた。
柔らかな熱と、穏やかな光。
なんというか、この世界で初めてファンタジーな物体に触れたなという妙な感慨が湧いてくる。
文明が進歩しすぎなんだよこの世界。
『召喚を執り行う、余に続いて呪文を唱えよ』
「またデタラメ教えるとかやめろよ?」
『善処しよう』
善処じゃないんだよこの野郎。
そこは断言してくれよ。
『我が魂よ、呼び声に応えよ』
「わ、我が魂よ、呼び声に応えよ」
一言二言文句を言おうとしたら先手を打たれた。
まあ文句を言っている暇はないと言われればその通りだが、あんなツッコミ待ちみたいなことを言っておいてそれはないんじゃないかと思う。
『闇を割り、暗黒を払い、眩き星の如き光となりて具現化せよ』
「闇を割り、暗黒を払い、眩き星の如き光となりて具現化せよ」
呪文を唱えるたび俺の中に熱いなにかが生じ、そしてそれが腕を通じて流れ出て行くのがわかる。
この感触を生み出しているものの正体が魔力だというのは”狭間”で体験していることもあって理解できるが、どうも慣れないというか気持ち悪い。
いつか慣れる日は来るのだろうか。
『我が手に宿りて力となれ』
「我が手に宿りて力となれ」
目の前で少しずつ光の糸が編まれていく。
魔力が形を成していく。
……周囲からの視線を感じる。
ある者は横を走り抜けながら、ある者は足を止めて俺の方を見てくる。
俺が一体何をしているのか気になって仕方ないという様子だ。
まあこればっかりは仕方ない、甘んじて見られよう。
『我が身となりて生まれ出れ』
「我が身となりて生まれ出れ」
元の世界では認識しようがない代物。
元の世界では認識しようがない感覚。
もうすぐ魔法が完成すると、そんな感触がある。
『さあ、共に夢を見よう』
「さあ、共に夢を見よう」
世界を光が包んだ。
自分は今目を開けているのか、閉じているのか。
それすら認識できなくなるほどの眩い光。
一瞬のようでもあり永遠のようでもある時間が流れ、光が何処かに消え失せたとき。
『成功だ』
───眼前には、金色に輝く一体の巨人。