第七章:その27
強大な相手から逃げ回るのは一苦労。
それはこの僅かな時間で、身にしみて理解できたことである。
ゲームなんかでもただひたすら時間まで逃げ回るミッションがたまにあるが、当事者はこんな気分だったんだろうか。
マジで帰りたい。
果たしてそれが元の世界になのか、この世界で俺にあてがわれた部屋になのかははっきりしないがとりあえず帰りたい。
何なら寝たい。
「ホント速いなこいつ!?」
実際に追いかけっこが始まるまで、絶対にオルフェーヴルの方が速いだろうと思っていた。
だがそれは間違いだったと判明したのは開始直後。
あの図体で加速もスピードもオルフェーヴルより速いとかどうなってるんだ。
どんな原理だ、レアスキル山盛りか。
というかサイズもだいぶおかしい。
デカいデカいとは思っていたが、徐々に近づいてくるその姿はマジでデカい。
たぶん頭部だけでオルフェーヴルや一般的な”魔法の杖”と同じかそれ以上。
そこに長い首と胴体に手足が加わり、人気サッカー漫画もビックリな頭身になっている。
このトカゲに羽が生えたようなオーソドックスなドラゴンは何をどう考えても巨大変身ヒーローが相手をするか、人類の叡智を結集して戦うサイズ感だ。
俺には荷が重すぎる。
「ベルガーン!代わっ───」
代わってくれ。
絶叫に近い声でそう要請しようとした俺は言葉を中断し、背中だけでなく他の箇所のブースターに魔力を流し込んだ。
ほぼ九十度に近い方向転換。
無茶な体勢だろうがなんだろうが横に飛ぶ。
そしてそんな無茶が成功したことを喜んだり安堵したりする暇はない。
一瞬前まで俺がいた場所を、真っ赤な炎が通り過ぎたのだ。
「熱っ!?」
炎に触れたわけでも何でもないが、そんな感想が漏れる。
人がぶつかった時に痛くもなんともないのに「痛っ」とか言っちゃう奴だ。
ともあれ、その炎はどう見ても熱かった。
きっと業火とか猛火とか、そんな言葉で表現されるのにふさわしい炎だろうと思う。
火を眩しいと感じたのは生まれて初めてだ。
たまたま後ろを振り返った時にドラゴンが大口を開けているのと、そこに炎が生まれるのが見えたから回避できた。
本当にたまたまだ、運が良かった。
「うわぁ!?」
再びの無理な方向転換、今度は上へ。
炎が蛇のようにうねりながら俺のことを追いかけてくる。
ちくしょう、俺は全身全霊をもって回避しなきゃならんのにドラゴンの方はただ炎を吐きながら頭を動かすだけ。
この一連の攻防で必要としている労力に雲泥の差がある。
俺も楽がしたい。
「これお前だったら倒せたりしないのか!?」
『余とて今は無理だろう』
期待を込めた問いかけにまさかの返答。
ベルガーンで無理とか、どんだけ強いんだこのドラゴン。
もしや無敵か。
『あれは魔力によって形作られた存在故、魔力の供給を絶たねば死なぬ』
不死身のほうだった。
なるほどそれで「ことが終わるまで」なのか。
ロンズデイルたちがさっさとこの儀式魔法を解除なり破壊なりすればすぐ終わるが、長引けばそれだけこちらも長引く。
失敗すれば永遠に終わらないというか、たぶん死ぬ。
戦線離脱のしようがないし。
『それに代わってやるのは構わぬが、貴様はそれを後悔する気性であろう』
何を後悔───と思ったが、自分だけが安全圏に行くことを、か。
確かにベルガーンの影に隠れるというのは安全すぎる。
他の皆が、戦えないメアリですら危険な場所にいるのに俺だけ安全な場所に逃げるというのは確かに、少し良心が痛む。
『そういう星の下に生まれたと諦めよ』
「まだ何も言ってねえ!」
楽がしたいとか平和に生きたいとか言いたいことはあるが、そんなもん異世界に来て魔王が憑依したか取り込んだかした時点で望むべくもない。
よし、腹くくったら冷静になってきたぞ。
少しずつ急な方向転換にも慣れてきたが、油断は禁物だ。
冷静に、相手の動きを見ながら飛び回る。
というかこいつ、ずっと炎吐き続けてるんだが息継ぎとかはいいのだろうか。
『余はあちらに行く、貴様はクロップとともにこれを抑え込んでおけ』
「なんで少尉?」
少尉はそれこそ向こうに行ったよな、とそんな言葉を続けようとした瞬間。
何処からか猛スピードで飛来した煌めく何かが、ドラゴンの首を掠めた。
硬い金属同士が擦れ合うような音と共に、火花が散る。
───飛んできたのは一本の剣だった。
ずっと俺を、俺だけを見据えていたドラゴンの視線がそちらへと向く。
ダメージの有無はわからないが、ここに来て初めて明確に自身を殺す意図をもった攻撃が飛んできたのだから当たり前だろう。
「まだ生きてる?」
その問いかけはドラゴンではなく、俺に向けてのもの。
「なんとか」
暗い空に浮かぶ、白銀の騎士。
その姿を見た時、俺は間違いなく安堵した。
あと明後日の方向に飛んでいったはずの剣が戻ってきて、それをキャッチする様がとんでもなくカッコよくて惚れ惚れした。
これが”映え”か。