第七章:市街地
時折現れる生きる屍たちを倒しながら、建物の合間を縫うように進む。
異世界人と別れた一行の道程は、順調であった。
生きる屍による襲撃も先刻のように大規模なものはなく、難なく対処できる程度の散発的なもの。
頻度と数の減少がいかなる理由によるものかは、一行の知るところではない。
もしかすると異世界人の、そして彼の”ワンド”が放つ強い魔力に引き寄せられているのかも知れない、という推測を立てる者も数名いた。
しかしそれらを実証確認する余裕はない。
彼らはただ進むのみ。
高台にある巨大な屋敷、そこに事態解決の糸口があると信じて。
ふと、その行軍が止まる。
原因は二度、街に響いた大きな咆哮。
それは生きる屍の群れがが押し寄せる直前にも聞こえた、本能的な恐怖を呼び起こす鳴き声。
一度目で、足が止まる。
「何だあれ……?」
誰かがそんな呆けた声を上げた。
彼らは異世界人よりも”それ”を見やすい位置にいたが故に、はっきりと見えた。
目指す屋敷の上空にわだかまる、暗く濃い闇。
それが明確な形へと固定されて行く様。
そして僅かな時間の後にそこに現れた、漆黒のドラゴンの威容。
一行の中に、ドラゴンを知らない者はいない。
同時に、目にしたことがある者もいない。
遥か昔、この世界において最強と目された高次存在。
竜族の中でも特に強い力と高い知性を有していた、ドラゴンという化け物たち。
だがそれは既に、ほぼ失われた存在と言っていい。
数多の英雄譚が、歌が、ドラゴンとの戦いとその死に様を伝えている通り、その大半は倒され死んだ。
人知れず死んでいった者も数多くいるだろう。
今となっては帝国西部国境に存在する険しい山脈地帯に僅かな数が残存するのみと言われているが、それすらも与太話扱いされているのが現状だ。
過去の伝説、伝承の中に消え去った存在。
物語の中でのみ存在を許される、もはや空想に近くなってしまった存在。
実際に目にする機会が来るなどとは誰一人として想像もしていなかった、ドラゴンという脅威。
眼の前に現れたのはそれそのものか、それに類するものだった。
二度目の咆哮とともに、ドラゴンが翼を広げる。
自身に向けられたものではないにも関わらず、その場にいた者の半数が後ずさる程の威圧感。
あるいは、本能的な恐怖を感じさせるほどの存在感。
それでも僅かながら、その巨躯がこけおどしの類いである可能性も存在した。
存在はしたが───それはドラゴンが空へと舞い上がった瞬間、消えてなくなった。
感じたのは風、そして強い魔力。
異世界人の”ワンド”が魔力を噴射して移動するのと同様に、ドラゴンも魔力を用いて空を飛んだ。
それもサイズに不釣り合いな猛烈な加速で。
あの芸当に如何ほどの魔力が必要かや、細かな仕組みについてわかる者はこの場に存在しない。
魔王であれば看破することができたかもしれないが、彼は今異世界人と共に空の上でドラゴンに追い立てられている。
「少佐」
皆が呆けたように空を見上げる中、最初に声を出したのは女だった。
「援護に行きます」
女の役割は、異世界人の護衛であった。
だが今彼女は本来あるべき場所にいない。
やってはならないことをした、という焦りがある。
女は、”ワンド”に同調した異世界人の能力を相応に評価している。
故に今回の役割もこなせるはず───そう思っていた。
さらに魔王の指名が彼一人だったこともあり、女は令嬢の守護を優先することを選んだ。
おそらくは異世界人もそれを望んでいたのだろう。
別れ際に交わした会話は、そういう会話だ。
だが出てきた存在、引き付けるべき敵が想定をはるかに超えてきた。
ドラゴンなど何をどう考えても手に余る。
異世界人とその”ワンド”の戦力を過大に評価していたが故に、警戒があまりにも薄れすぎた。
魔王が何を考えていたのかはわからない。
もしかすると、魔王すらも油断していたのかもしれない。
せめて、何を想定しているかを魔王に問うべきであったと強く後悔する。
「すまんな、頼む」
指揮官の返答と同時に、女は駆け出した。
上空では、星の如き光が巨大な闇に追い立てられている。