第七章:その21
俺は走った。
全力で走っていた。
ロンズデイルの指定した建物に向けて、先を行くダブルジョンの背中を追いかけながら。
怖い、マジで怖い。
背後から死が迫ってくる恐怖というものを俺は生まれて初めて実体験として味わっている。
最近のゾンビは身体機能据え置きどころか強化までされていることが多いのだが、走るゾンビはその典型例だ。
瞬発力かスタミナのどちらか、あるいは両方が優れており、走って逃げる一般人に平気で追いつく。
せめてどっちかは弱っとけよと思うが、むしろ強化を明言される場合のほうが多い気すらする。
ゾンビといえば腐った死体だった時代は今や昔。
ついでに群れが皆同じペースで走るし、ぶつかって転んだりもしないという凄まじいチームワークも有している。
二人三脚とかめちゃくちゃ強そうだなといつも思っていた。
おかげさまでもはや軍隊はゾンビの噛ませだ、ちなみに比喩表現でなく実際噛まれる。
ゾンビを強くしすぎたのか最近は対処しきれず、逃げて終わるパターンが増加傾向。
たまに芝刈り機やピッチングマシンでゾンビを倒して回る輩もいるにはいるが、そんなもん例外中の例外だろう。
少なくとも生身の俺は間違いなく、例外側にはいない。
それでいて今回のゾンビたちは間違いなく映画やゲームのそれと同じ、強力な”走るゾンビ”だ。
背後から聞こえるのは地鳴りのような足音。
どんだけいるんだ、そしてどんだけ走ってるんだ。
怖くて確認できない。
断続的に銃声も聞こえてくる。
兵士たちが後退しながら発砲しているんだろう。
やめてくれ、それゾンビの津波に飲まれて壊滅するシーンにありがちな描写じゃねえか。
短い付き合いとはいえ顔を知ってる人々がゾンビにやられるのは流石に嫌だ。
嫌なもんは嫌だ、俺にできることは本当に何も無いが生き残ってくれと本気で祈る。
無数の足音、銃声、怒号、轟音と衝撃。
それらに追い立てられながら俺は走る。
待て最後のは何だ、俺の背後で何が起こったんだ。
一瞬好奇心が恐怖を上回りかけたが、さすがに振り返ることはできない。
おそらくは数秒、おそらくは数十メートル。
そんな平時であれば大したことのない時間と距離を全力で走り、ダブルジョンに続いて目的の建物に飛び込んだ時、俺はとんでもない時間と距離を走り抜けた気分になった。
ここがゴールでいいんだろうか、安堵していいんだろうか。
周囲を見回す。
いくつもの丸テーブルに椅子、あとはカウンター。
きっとここは、酒場とか食堂の類だろう。
家具が整然と並んだホコリ一つない室内は薄暗いことも相まって気味が悪かったが、今はそれよりゾンビがいるかいないかのほうが重要項目だ。
よし、いないな。
まあいたらダブルジョンがこんなに落ち着いてないだろうけど。
ようやく若干の落ち着きを取り戻し、振り返る。
俺と同じように荒い息を吐いているメアリと、入口を塞ぐように立ち剣を構える少尉の背中が見えた。
ひとまずはここがゴールであるらしいことに対する安堵。
そしてそれとともに激増する、他の面々がちゃんとたどり着けるかという不安。
日頃の運動不足が祟って跳ね回る心臓と肺からの痛みを感じながら、ただ祈ることしかできない無力感を感じながら、俺はただ入口を見つめる。
少ししてロンズデイルと兵士たちが室内に飛び込んだ時、俺は三度ほど人数を数え直した。
ロンズデイルほか兵士六名。
一番死にそうな面々は無事だったらしい。
続いてヘンリーくんとウェンディ、そしてアンナさん。
そして最後に少尉が室内に戻り───何らかの魔法を用いて入口に石の壁を作り出した。
ストーンウォールとか聞こえた気がする。
───衝突音。
おそらくはゾンビたちが走ったまま建物の外壁や仮称ストーンウォールに激突した音だろう。
思わず「ヒッ」という言葉とともにのけぞるが、壁は健在。
あの音で壁が健在ということは逆に先頭集団は───グロい想像はやめておこう。
音は何度も、何度も響く。
とてもではないが時間や回数をカウントする気にはならない程度には、何度も。
「全員無事か?」
そして音が止んでから数秒の後。
ロンズデイルがそう言った瞬間、その場にいた全員が大きく息を吐いた。
ひとまずは、安心か。