第一章:シオン・クロップと魔獣の群れ
三人称視点です。
警報が鳴り響く。
その発信源である携帯端末を所持しているのは一人や二人でなく、拠点にいる全ての兵士たち。
それ故に、けたたましく盛大な音が砂漠に響き渡る。
そしてそれに反応し、端末の画面を覗き込んだ兵士たちは皆一様に顔を強張らせることとなった。
表示されているのは、魔獣の接近を知らせる警告。
しかも一匹や二匹ではなく”大量”としかいえない数が真っ直ぐに、一直線に拠点に迫ってきている。
誰一人経験したことも、また聞いたことすらもない異常事態に強い恐れを抱きながらも、兵士たちは急ぎ持ち場へと向かう。
自身に課せられた役割を全うするために。
「魔獣の接近ね、見ればわかるよ」
それは拠点の端、砂漠を見渡せる地点に立つ女……シオン・クロップとて同じ。
他の兵士たちとの差異があるとすれば、それは彼女の顔に浮かぶのが緊張ではなく苦笑だということくらいだろうか。
彼方に見える砂煙。
まるで嵐かと思うほど広範囲に、そして大量に舞い上がるそれの原因が魔獣というのは実際に目にして尚信じ難い現実。
もはや軍による侵攻や進軍、あるいは災害といった表現を使う他ない規模の群れを眺めながら、やはり彼女は苦笑する。
仮眠明けに……起き抜けに見るには刺激が強すぎる光景だ、と。
「少尉……少佐からは撤退の時間を稼ぐようにとの命令が」
「まあそうなるよね」
状況は極めて悪いが、少なくとも今は彼女たちの撤退は許されない。
遺跡から出土したものは、モノであれ情報であれ帝国にとっては貴重な財産となる。
ましてやここ……アルタリオンと呼ばれる城跡は、これまでどんな歴史にも登場せず示唆もされてこなかった太古の遺跡。
故にそこから出た全てには極めて高い価値があると、そう目されている。
(特に、彼か)
シオンの脳裏に浮かぶのは異世界から来たという男と、それに取り憑いたとされる魔王。
彼らこそがこの場所から出た、最大の発見である。
───彼らからもたらされる情報は今後、下手をすれば世界を変えていくだろう。
それは、この地にいる軍の研究員と考古学者たちの共通見解。
そして必ず彼らを帝国に連れ帰るというのが、シオンたち軍人に課せられた任務。
命を賭けても成し遂げねばならない使命。
何故か「その男を守る」と考えた際、シオンの脳裏に釈然としないものが浮かびはする。
浮かびはするが、それは任務を放棄する理由にはなり得ない。
自身の頭の中で始まった珍しい葛藤を片隅に押しやりながら、彼女は魔石を取り出し呪文を唱えた。
「さあ、行こうか」
光とともに現れたのは、彼女にとって武器であり鎧であり相棒であり半身である白銀の騎士。
そしてその背に手を当て魔力を流し込み───”中”へと入り込む。
”同調”と呼ばれる、魔導師と”ワンド”が一体になる動作。
それにより”ワンド”を言葉通りの意味で自身の手足としたシオンは顔を上げ、前を向く。
視線の先には、ついに砂煙の中の個体を識別できるほどに接近した魔獣の姿。
かくて、絶望的な撤退戦は始まった。
雪崩のような、嵐のような群れの中に一筋の雷光が突っ込む。
雷光の正体は、白銀の騎士。
シオンが駆る”ワンド”は次々と魔獣を切り裂き、穿ち抜き、両断し……形状も、大きさも、固さすらも関係がないとばかりにその命を刈り取っていく。
「……多いな」
そんな圧倒的な活躍を見せながらも、彼女はポツリとボヤキを零した。
───魔獣の数が多すぎる。
砂煙の幅と舞い上がる量から群れの規模が極めて大きいというのは、兵士の誰もが覚悟していたこと。
だが実際にその群れの中に突っ込んだシオンは、その想定ですら甘かったと知る。
果たして自身はどれ程の深さまで切り込めたのかすら分からないほどの規模。
結果的に彼女は、その圧倒的な”数”に包囲される形となっている。
女は破格と言えるほどに強力な魔導師だが無敵ではない。
体力や魔力が無限にあるわけでもない。
何らかの理由で敵を倒しきるまえに行動不能になれば、そこで終わり。
そして今回はその「倒し切る」がどうしようもなく遠い。
「どこまでやれるやら」
戦闘開始直後にそんな不安が首をもたげるほど悪い状況。
それでもシオンは力強く剣を振るい続ける。
サンドストーカーの外殻を穿ち抜く。
サンドワームを両断する。
得体の知れない蟹のような魔獣を蹴り飛ばし、鳥のような魔獣を叩き落とす。
次々と、次々と魔獣を屠っていく。
その動きに淀みはない。
「時間を稼ぐ」ではなく「倒し切る」という強い意志すらも感じるほどだ。
後方からは銃声が聞こえ始めた。
続いて爆発音が鳴り響いたが、シオンは音の正体を確認することはしない。
ひたすら前の敵に集中し、戦い続ける。
群れは所々から次々と青黒い煙が立ち上ぼり、その進軍スピードは大幅に鈍った。
まだ殲滅には程遠く、状況が改善されたとは言い難いものの……兵士たちの尽くす”最善”は、間違いなく一定以上の成果を上げていた。
その中心的存在と言えるのは、やはり白銀の騎士。
シオンの駆る”ワンド”がこの場で最も多くの魔獣を倒し、最も効果的に立ち回っていることに疑いの余地はない。
その戦いぶりは細田隆夫でなくとも見惚れるほど強く、そして美しいものであった。
「ッ!?」
そんな彼女に向けて───魔獣の群れの中心に向けて飛来したのは、数発の光の玉。
恐らく狙いをつけたものではなかったのだろう、周囲の地面、あるいは魔獣に着弾したそれが引き起こしたのは───大きな爆発。
周囲の魔獣を諸共に吹き飛ばす程の爆発が砂を巻き上げ、一時的に視界を奪う。
───一体何が起こったのか。
思考と視線を巡らせたシオンが砂煙の向こうに見つけたのは闇のように黒い色をした一体”ワンド”……否、”ワンド”に似た何か。
「気配がずいぶん邪悪じゃないか」
第一印象は、その言葉に尽きる。
彼女がその存在をほとんど直感的に「”ワンド”ではない」と感じることができたのは、まるで邪悪や悪徳を煮詰めたかのような気配故にだろうか。
何しろ”ワンド”がそのように強く、そして悪い存在感を放つことはありえないのだから。
嫌悪としか言いようのない感情が心の中に浮かぶ。
それはどうしようもなく相容れない存在だと、本能が強く警告する。
果たしてこの”ワンドもどき”とでも呼ぶべき存在は何者なのか、という疑問の答えをシオンは持ち合わせていない。
だが、敵であるということは断言できる。
それは戦うには十分すぎる理由。
シオンが強く地を蹴ったのと、”ワンドもどき”が周囲に無数の光の玉を生み出したのはほぼ同時。
砂塵の中、いくつもの光が交錯し───そして爆発が巻き起こる。