第七章:その16
「本ッ当に大丈夫なんだろうな!?」
『その問いで何度目だ』
通算五度目の問いかけ。
それまでは「大丈夫」と返ってきていた答えは、ついに返ってこなくなった。
大きく息を吸い、吐く。
俺は今、めちゃくちゃ緊張している。
どのくらい緊張してるかと言えば手足が震え、心臓がめちゃくちゃバクバク言ってるのがはっきりとわかる程。
俺の掌から数センチの距離には、結界とか呼ばれている魔法の壁が存在している。
そして残念なことに、今のようにそれに向かって両手をかざしたところで終了とはならない。
俺はこれに触れろという明確な指示を受けているのだ。
ちなみに「やる」と言い出したのは他ならぬ俺自身。
ベルガーンの提案に「何か少しは役に立てるなら」と乗っかったのは、他の誰でもない俺自身だ。
にも関わらず何度も何度も「大丈夫なのか」と尋ねてばかりで実行に移す気配が全くないせいで、場は何とも言えない微妙な空気に包まれつつある。
正直すいませんでした。
「……せーのッ!」
いい加減やらないと怒られそうな雰囲気になってきたことを察した俺は意を決して、覚悟を決めて手を伸ばす。
「何だこれ」
そして若干震える手が魔法の壁に当たった瞬間返ってきたのは、何とも言えない奇妙な感覚。
そこには確かに何かがある、それは間違いない。
だがなんというか、触れているという感覚が全くないのだ。
その場で手が何かに押し止められているとか、そんな感じ。
まあ何にしても、とりあえず電流とか流れてこなくて良かったとホッとする。
『そのまま魔力を流し込め』
そんな俺に向けてベルガーンから次の指示が飛ぶ。
魔力を流し込むというのは、魔力の測定の時のようにだろうか。
それなら得意だ、何しろ水晶玉を二つも割っているのだから。
なんか「それはむしろ苦手だからでは?」という思考が脳裏に浮かんだが、即座に脇に追いやる。
実際、少なくとも魔法の行使よりはよほどまともにこなせるタスクなのは確か。
学園に入学してはや数カ月、使えるようになった魔法なんて灯りを作り出す奴くらいだし。
ゆっくりと呼吸しながら、掌を通して魔力を流す。
「結界に」という指向性をきちんと持たせられているかに関しては、正直自信がない。
何しろきちんと触れられているのかどうかすら判然としないのだから、これに関しては駄目でも俺のせいにはしないで欲しい。
「どのくらいやればいいんだこれ」
『出来るまでだ』
「すげえブラック」
なんて酷い達成目標だ、目安くらい教えてくれよ。
それともまさかわかんねえのか。
一時間とか二時間やるのはさすがに嫌だし、それ以上ならもう最悪だぞ。確実に肩と腰が死ぬ。
「結界に魔力を注ぎ込むとは貴重なサンプルだな、弟よ」
「どうなるか気になるね、兄さん」
間近に立ち、俺の手元をまじまじと観察しながらダブルジョンが交わす会話も不安を煽る。
貴重なサンプルって要するに人柱じゃねえか。
こいつら、完全に実験の結果を待ってる研究者のノリだ。
しかも若干とはいえマッド入ってそう。
そんなダブルジョンやその他面々の好奇の視線に晒されることしばし。
魔獣の襲撃もなく、ただ静かに時が過ぎていくこと数分。
俺はふと、結界の感触が変わったことに気付いた。
手になにか硬い物が触れている───そんな先程まではなかった感触が生えてきたのだ。
「なんか感触変わったぞ」
報連相は大切だ。
そんな信念の元、とりあえず現状を報告した俺の言葉に周囲がざわつく。
ダブルジョンなどはさらに近寄って左右から俺の手元を……指の間を覗き込んできた。いくらなんでも近いわ。
「「おお」」
覗き込んでも目に見える変化は何もないだろうと思っていた矢先、ダブルジョンが何かに感嘆する。
「おお」
二人に気を取られて手元をまるで見ていなかった俺はそれにつられるように視線を移し、同じような言葉を漏らす。
そこにあったのは、目に見える変化。
周囲の森を映す実体のない陽炎のようだった結界が、まるでセメントのような白っぽい灰色に変わっていく。
その頃になるともう完全に物理的な感触があった。
「俺は今壁に手をついている」と、確かにそう思える感触が。
「どうすりゃいいんだこれ」
唯一この問いに答えてくれそうな人物、ベルガーンに問いかける。
どうしたらいいのか、最終的にどうなるのがいいのかさっぱりわからない。
詳細を全く教えてもらえないままにこの作業をやらされているので当たり前ではあるんだが。
というかそんな指示に素直に……ではないにしても普通に従う俺はだいぶどうかしている気がする。
『まだそのままだ』
「一発ぶん殴ったら割れないだろうか」などと考えていたが、どうやら殴るのは駄目らしい。
まあなんかこの徐々に確実に広がっていく変化も楽しくなってきたので構わないんだけど。
むしろ俺よりダブルジョンのほうが触りたがっているように、お預けを食らっているように見える。
そうしてまた少しの時間が経った。
結界はセメント化……今俺が勝手に名付けた変化が順調に進行中。
今はもう人ひとり分より大きな面積まで広がっている。
「パキ」という硬い音が響いたのは、その時。
俺の手を中心に、セメント化した結界にヒビが入っていた。
「なんかヒビ入ってきたぞ」
言うが早いか、もう一度パキという音。
ヒビは音とともに徐々に、だが確実に広がっていく。
そしてもう一度、さらにもう一度と音は続き、ヒビはもうセメント化した場所を埋め尽くさんばかりになっていた。
───これはもう殴ってもいいのではないか。
───いや、これたぶん自然に割れた方が気持ちいい。
そんな気持ちの悪い脳内会議をしている俺は今、きっとニヤニヤしていることだろう。
ドキドキとワクワクが止まらない。
───ちょっとくらいなら。
一瞬、そんな魔が差した。
ほとんど出来心で、腕と指に力を込める。
何かを期待しての行動ではあったが、果たして何を期待したのかは俺にもわからない。
そして俺の指は、セメント化した結界にめり込んだ。




