第七章:メアリ・オーモンドと喪服の女
そこは、とうに更けた夜の中。
村そのものもまるで眠りについたかのように明かりが消え静まり返っている。
聞こえるのは風の音と、夜に鳴く鳥の声くらいのものだ。
同行した者たちも皆、明日の探索に向けて身体を休めているだろう。
そんな静寂の中で一人、令嬢は星空を眺めていた。
令嬢は特段星が好きなわけではない。
むしろ狭間の一件以降は苦手意識を持ってしまっている。
あの満天の星空を思い出すたび、心の中に僅かなざわつきが生じるのだ。
今現在、こうして寝るべき時間帯に目覚め屋外にいるのも、それに似たざわつきが原因だった。
得も言われぬ不安。
”闇の森”の探索への同行が決まってからずっと存在した感覚は、この村に到着してからより強くなった。
より正確に言うならば、”闇の森”を実際に目にしてからだろうか。
令嬢にはその感覚の理由がわからない。
初めは危険に対する恐怖かと思った。
オーレスコでテロリストに拉致されたことと、狭間で未知の怪物たちに遭遇したこと。
それらがトラウマになったのだろう、と。
だがこの名もなき村に到着して気付いた。
この不安は恐怖には由来しない、と。
で、あるならば一体───
《ダメよ、眠らなキャ》
不意に聞こえたその声に、令嬢の心臓が跳ねた。
所々おかしなアクセントと、頭に直接響くような言葉。
恐る恐る声のしたほうを見れば───そこにいたのは、喪服の女。
狭間にて出会った、ヴィジェ子爵夫人を名乗る得体の知れない何かだった。
「なんで、ここに……」
一歩後退る。
彼女はあの時と同じく星空の下に佇み、令嬢を見つめていた。
どこまでも優しい視線とともに。
されどそれは令嬢の恐れを消すどころか、増幅させる。
《あの森に行くんでショウ》
喪服の女が指差す先には、”闇の森”がある。
そしてその場所は何故か───先程までより、暗く淀んで見えた。
《アソコではきっと、アナタの記憶が役に立つ》
そして投げかけられたのは、奇妙な引っかかりのある言葉。
知識や経験や能力でなく、記憶。
当然ながら令嬢は”闇の森”を訪れたことがない。
故にその場所に関する記憶など、あるはずがない。
知識や経験、能力ならばあるのかと問われればそれも首を横に振らざるを得ないが、記憶よりはよほどマシだ。
「どういう───」
どういう意味か、という問いを最後まで口にすることが出来ない。
自分があの場所の何を知っているというのか。
そして、喪服の女は自身の何を知っているというのか。
それらの疑問は、令嬢の心中のざわつきを強める。
知りたいと思う。
同時に知ってはいけないとも思う。
知れば何かが壊れる。
それは予感や不安ではなく、確信だった。
《───頑張ってネ》
最後にそんな言葉と、柔らかな笑顔とともに喪服の女は消えた。
残されたのは静寂と、安堵。
令嬢には喪服の女の意図がまるでわからない。
応援や期待、言葉を素直に受け取ればそうなるだろう。
だが素直に受け取るのは不可能だ。
何しろ令嬢は喪服の女のことを、まるで知らない。
自身と喪服の女───人ならざる者とのつながりに、全く見当がつかない。
(私に、何があるんだろう)
魔王ならば、何か知っているだろうか。
あるいは、何か見当をつけてくれるだろうか。
しかしそれを尋ねる勇気は、湧いてきそうにない。
人ならざる者だけが知る、自身すら知らない自らの秘密。
それが、確実に存在するであろうこと。
一人の少女でしかない令嬢にとってそれは、あまりにも重い荷物であった。