第六章:ベルガーンとオレアンダー
『何の用だ』
翌日、夜半。
中庭で独り、静かに思索に耽っていたベルガーンがゆっくりと振り返る。
「まずは妾がこんな夜更けに会いに来てくれたことに歓喜し、むせび泣くのが礼儀と思うが?」
『この国には随分と珍奇な風習があるのだな』
そこにいたのはメイドの服を着、白い仮面を付けた一人の女。
しかしベルガーンは知っている、その女がメイドなどという身分ではないことを。
さらに言えば、人間という種族ですらないことを。
「もしやお主に他人を敬うなどという良き心根を期待するほうが間違っておるのか?」
『貴様に対してはその通りだ、ようやく理解したか』
巨大帝国の皇帝であり、長い時を生きてきた竜。
オレアンダーと名乗る女は、そういう存在だ。
「ふん、まあ良いわ───”デーモン”のことじゃ」
まるでスイッチが切り替わったかのように、声のトーンが変わる。
じゃれ合いと言うには剣呑そのもののやり取りではあったが、それはここまでという明確な意思表示。
その日は朝からと言わず、日の出のはるか前から大騒ぎが続いた日だった。
それも学園のみならず帝国中が、だ。
学園の一室に”狭間”……得体の知れない危険な場所へと繋がる空間の歪みが発生していたのだから当然といえば当然だ。
七不思議部の面々の帰還後すぐに大至急という前置きで軍と王宮に連絡が入り、その瞬間から大勢の人々が慌ただしく動き回った。
貴族部と平民部の校舎は即座に閉鎖、その日予定されていた授業や行事もすべて中止。
校舎には帝国軍や様々な機関から集められた人員で構成されたチームが送り込まれ、彼らによる調査と処理は現在も続いている。
校舎の閉鎖がいつ解かれるかは、現時点では全くの不明。
そのため多くの人間が強い不安を感じている、そういった状況だ。
「詳しく聞かせよ、妾はそれについてよく知らぬ」
オレアンダーは長い時を生きてこそいるが、それでもドラゴンの中では比較的新しい存在である。
そのため残念ながら”デーモン”に関する知識は乏しいと言わざるを得ない。
彼女が本格的に活動を始めた頃、既に”デーモン”は姿を消し過去の存在となっていたからだ。
当然、実際に遭遇した経験もない。
既存の生物が歪んだような、怪物としか言いようのない見た目をした有象無象たち。
あるいは”ワンド”によく似た巨人たち。
旧い竜たちがそれらを”デーモン”と呼び、幾度となく戦っていたという話は知っているが、知っているのはそこまで。
また人や亜人種の資料や伝承には、不自然なほど”デーモン”は登場しない。
まるでそんなものは存在しなかったかのように、だ。
故に彼女の知識が増える機会など、これまでは皆無であった。
ベルガーンと、そして隆夫が現れるまでは。
『余も詳細に知っているわけではない』
とはいえベルガーンは、自身が知る情報に関しては公爵領にてそのほとんどを語った。
魔石を核とする、魔獣や”ワンド”とは似て非なる存在であること。
召喚には生贄を用いた儀式が必要であること。
そして、強い力と魔力を有していること。
それらは既にオレアンダーの耳にも入っているだろう。
ならばこれ以上何を語れと言うのかと彼女を見据える。
『むしろ余から貴様に問いたい』
「なんじゃ」
『令嬢二人が”狭間”にて、聞き慣れない言葉を使う人間のような輩と出会ったと言っている。心当たりはないか?』
メアリとウェンディ、二人はタイミングこそ違えど”狭間”にて人間の形をした何かと出会い、言葉まで交わしている。
そしてそれは間違いなく人間ではないと言う。
ベルガーンはそのような存在に心当たりがないし、自身が直接出会った訳ではないため推測も立て難い。
長い時を生きてきたドラゴンであるオレアンダーならば何かを知っているのではないか、望み薄とは感じつつもそう期待しての問いかけであった。
「これは伝聞じゃ、どの程度正確な話かすらわからぬ」
そして答えは、そんな前置きとともに返ってきた。
「”デーモン”には上位の存在だか支配者階級だかが存在すると聞いたことがある」
曰く、ドラゴンすらも上回る戦闘力と無尽蔵の魔力を持つ強力な者たち。
曰く、人間など及びもつかない狡知でもって世を狂わせる凶悪な者たち。
それはドラゴンたちの間でおとぎ話のように扱われていた、現実感のない話。
何しろ旧いドラゴンですら出会った、見た、戦ったと述べる者は皆無なのだ。
故にそれは人間にとっての神話のように創作と脚色に満ちたものだろうとオレアンダーは思っていた。
「それが得体の知れぬ言語を喋る、人の形をしたバケモノどもだという話じゃ」
この瞬間、二人は共に出したくもない結論を出した。
遠い遠い過去ですら語られるのみだった脅威は、現実に存在する。
そしてそれらは再びこの世界に現れようとしている、と。
これにて第六章は終了となります。
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次回も1章分書き上がり次第投稿させていただきますので、よろしくお願い致します。