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魔王と行く、一般人男性の異世界列伝  作者: ヒコーキグモ
第六章:一般人男性、探索する。
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第六章:メアリ・オーモンドと喪服の女 その2

「あなたは、誰ですか?」


メアリは意を決して問いを投げかける。

言葉を発するだけでも多くの勇気が必要な状況で、勇気を振り絞る。


《ヴィジェ子爵夫人とお呼びくだサイ、メアリさん》


その丁寧で優雅な挨拶は、まさしくメアリの知る貴族の所作。

彼女自身も多くの学習と練習をもって身につけた、もはや身に染みついているとすら言えるものを目の前の喪服の女は完璧にこなしている。

喪服の女が口にしたのは知らぬ家名であったが、もし名乗った通りの貴族ならばメアリも同様に挨拶を返すのが礼儀。

しかし、彼女にはそれができなかった。

動くことすらもできなくなるほどの恐怖に苛まれていたからだ。


「なんで、私の名前……」


しばしの後に絞り出した声は、ひどく震えていた。

メアリは喪服の女に自身の名を伝えていない。

にも関わらず、喪服の女はメアリの名前を知っている。

何故、という言葉が思考を埋め尽くす。


《そんなに怯えないデ》


優しい言葉。

だがそれはメアリの緊張を解くには、恐怖を和らげるには程遠い。


気付いてしまったのだ。

喪服の女が放つ気配が、先刻までメアリたちを包囲していた怪物たちに酷似しているということに。


怪物たちは彼女にとって恐ろしい存在だった。

怪物たちが襲いかかって来た時感じたのは、かつてテロリストたちに襲われた時のものとはまた違う恐怖。

「これは人として、あるいは生物として根本的に相容れない存在である」と、本能が訴えかけてきた程だ。


目の前に佇んでいるのは、間違いなくそれらと同質の存在。

しかも相手は一方的に自分のことを知っている。

恐怖心を抱いて当たり前の状況。


逃げ出したいと強く思った。

ついに脚が……身体が震え出し、瞳からは涙が零れそうだった。

それでも逃げずにいる理由が、メアリにはわからない。

勇気を出してこの場に留まっているのか。

恐怖に呑まれて動けなくなっているのか。

あるいは、どうせ逃げられぬと諦観に支配されてしまったか。

いずれにしても彼女の脚は重く、動かなかった。


そして、目が合う。

ヴェールの向こうにある、まるで血のように紅い色の目。

どこか優しげに自身を見つめるその瞳を見た時───メアリは不意に、どこかで同じ目を見たことがあるような気がした。


(何……?)


フラッシュバックする、まるで覚えのない光景。


こことは違う場所。

今と同じように静かに、優しげな笑顔を浮かべ佇む喪服の女。


脳裏にはっきりと浮かんだ光景は俗に”既視感(デジャヴ)”などと呼ばれるものではなく、間違いなく自分の中のどこかから掘り起こされた記憶。

何故だかメアリにはそんな確信があった。

だがそれがいつ、どこで見た光景であるのかが全くわからない。


《今日はアナタの顔を見に来ただけダカラ》


そして喪服の女の言葉がさらなる混乱を煽る。


メアリは自分が怪物たちに認知されるような存在であるとは思わない。

故に「顔を見に来た」などと言われる理由は全く見当がつかない。

どうして、何のためにと、さまざまな疑問が途切れることなく何度も頭の中を駆け巡る。

恐らく直接問えば答えは返ってくるだろう。

だがそれは聞いてはいけないことのような気がした。

何故だかそれらを知るのが、たまらなく怖かった。


気付けば震えは脚だけでなく身体全体、口にまでも及んでいた。

口が、舌がうまく動かない。

言葉を発するどころか、呼吸すらもままならないような有様。


二人の間に沈黙が流れる。


せめて、何か一つ。

何か一つだけでも問いかけようと、震えてカチカチと喧しい音を鳴らす歯を食いしばる。

知りたいこと、尋ねたいことは数多くあった。

この”狭間”と呼ばれている場所のこと。

あの怪物たちのこと。

他ならぬ、喪服の女自身のこと。


「あなたたちは……何、なんですか?」


そして辛うじて口にできたのは、ひどく漠然とした問いかけだった。

それが、現状のメアリにできる精一杯だった。


《我々ハ、アナタたちが魔力と呼ぶモノの意思》


だが返ってきた答えは、ひどく意味不明なもの。

平時であれば、もう少し落ち着いて思考できる状況であったならば、その言葉についての考察や推論を浮かべることができたかもしれない。

しかし恐怖と、それに基づく混乱がそれを不可能にする。

頭の中にはただ雑多な思考や無意味な反芻が浮かんでは消えていくのみ。


《また会いまショウ》


そして再びの沈黙が流れるかと思われた刹那、喪服の女が踵を返した。

これで終わりとばかりに、最後に柔らかな笑みを向け、ゆっくりと歩み去っていく彼女は───そのまま闇に溶けるように、消えた。

まるで最初から何もいなかったかのように消え去った。


「……さん、メアリさん!」


そしてまるで入れ替わるように聞こえてくる、自身の名を呼ぶ声。

メアリは弾かれるようにそちらを向いた。


「どうなさいましたの?急に立ち止まって」


そこにはウェンディ、ヘンリー、アンナ、そしてセラフィーナといった、先程姿を消した面々の姿。

彼女らが皆、心配そうにメアリを見つめている光景がそこにある。


その瞬間、メアリは自身の身体がわずかに震えるのを感じた。

原因は、強い安堵。

それが彼女がこれまで押し留めていたものを決壊させたのだ。


「ど、どうなさいましたの!?大丈夫ですか!?」


目から涙を溢れさせたメアリに、慌てた様子のウェンディが駆け寄る。


この得体の知れない場所で独りになる恐怖。

そしてそんな状況で、明らかに人間とは違う存在と相対する恐怖。


そこからようやく解放されたメアリは、ただひたすらに泣いた。


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