第六章:その17
「……野次馬?」
「キミ珍獣みたいなものだし、あり得る話だね」
そんな訳ないでしょとかそういう感じの否定を想定していた俺の心に、少尉の言葉が突き刺さる。
珍獣みたいなものって何だ。
否定しきれないのが腹立つ。
「襲ってきそうな感じ?」
「そうならないように祈って」
言葉こそ投げやりだが、少尉の表情は真剣そのもの。
腰の剣に手をかけ、すぐにでも戦闘態勢に入れるような状態で周囲に目を向けている。
それだけ状況がよろしくないということだろう。
俺たちのことを取り囲み、遠巻きに視線を向けてくる無数の眼。
数は間違いなく十や二十ではきかない、下手をすると百など軽く越えていそうな気すらする。
それらが闇の中からじっと俺たちをみつめてくるというのは正直、だいぶ怖い。
殺意だとか敵意だとかは俺にはわからないが他の面々が明らかな警戒を向けているあたり、あまり良くない連中のようだ。
何者なのか、どんな見た目の連中なのかは魔法で強化した視力をもってしても見えない。
『先ず、貴様は”オルフェーヴル”を呼び出せ』
「大丈夫なのかそれ」
周囲にいるのが敵であったなら、生身の俺は完全な戦力外だ。
なので先んじて”オルフェーヴル”を召喚しろというベルガーンの指示はわからなくもない。
しかし周囲にいるのが敵であったなら、そのタイミングで一斉に仕掛けてきやしないだろうか。
最近は変身ヒーローですらその手のタイミングで攻撃される機会が増えている、敵は待ってくれないのだ。
それとも、もしかして俺が認識してないだけで”魔法の杖”は召喚中無敵になるとかそういうのがあるのだろうか。
『それはわからぬ。が、事態が動く前の今やっておくべきだ』
ベルガーンからの返答は、安全や安心を保証するものではなかった。
つまり無敵時間などという都合のいいものは存在しないということだろう。
それでも”オルフェーヴル”を今召喚しろと、こいつは言っている。
「わかった」
ならば、その指示には従っておいたほうが賢明だ。
実際召喚するなら今しかないような気はする。
逃げながら隙を見て召喚、とかになったら目も当てられんし。
というか怖いので今すぐ召喚して同調したいという本音もある。
そして俺が魔石をかざし、召喚のための呪文を唱え始めた瞬間───ぞわり、と悪寒が背筋を駆け抜けた。
俺にはやはり、敵意とか殺意とかそういったものはわからない。
それでも、今の悪寒がそのどちらかに由来するのだろうというのは理解できる。
そしてそれは誰から向けられたものか、というのは俺ですらわかる。
「来ますわよ!」
よく通る声だった。
声の主の方を見やれば、大振りなハルバードを構えたウェンディの姿。
お前さっきまでそんなもん持ってなかっただろ、どこから出したとツッコミたいがそんな暇はない。
闇の中で無数の赤い目が揺れ動く。
そしてまるで闇の中から這い出すかのように姿を現したのは、怪物としか言いようのない者たちだった。
鬼のような怪物、狼男のような怪物、人間の戦士のような怪物。
それらが赤い目を爛々と光らせながら、バシャバシャと水音を立てながらこちらへと駆けてくる。
そのどれもこれもに「ような」と付けたのには理由がある。
それらが皆、ひどく歪な姿形をしているからだ。
例えば鬼のような怪物は、肩から人でも生えているのかというくらい巨大な、しかも気持ち悪いくらい脈打つ右腕を振り回している。
狼男のような怪物は、腕が四本ある上に腹にもう一つライオンのような顔がある。
上下で違う鳴き声を発してて、大変やかましい。
人間の戦士のような怪物は一見普通だ。
だがよく見ると剣と鎧が身体と……肉とくっついてるかのようなビジュアル。
一番気持ち悪い、勘弁してほしい見た目だわお前。
それ以外にも多種多様、どれもこれも恐ろしくて気持ち悪い見た目の怪物の群れが俺たちの方に向かってくる。
見た感じ同じ姿のものはいない。
グロさのバリエーションとか誰も求めてないんだよ。
あの無数の赤い目は全部これかと思うと心底げんなりする。
そんな中で俺は、ひたすら心の中で「落ち着け」と繰り返しながら呪文を唱え続ける。
俺はこの時「パニックホラーって実際遭遇するとこんなに焦るんだな」という得たくもない知見を得た。