第六章:その12
夜の学園に物悲しいピアノ演奏が響いている。
どうしよう、ガチで怖い。
まさか最後の最後に本物が出てくるとは思わなかった。
とりあえず他の面々に目を移せば、まずメアリとウェンディはやる気満々。
ようやく探し求めていた物が来たとばかりにズンズン前へと進んでいる。
少尉とアンナさんは表情こそ変わらないが若干警戒の色を強くしているだろうか。
ベルガーンはいつも通り腕組んでる。
「ヘンリーくんは帰りなよ」
「自分も残るッス!」
そんな中でヘンリーくんは本気でヤバい。
声は裏返り唇は紫色、ここまで特に何も起こらなかったお陰で落ち着いてきてたっぽい恐怖が全力全開だ。
さっさと切り上げて帰してやるべきだったんだろう、すまんな。
俺としても今すぐ逃げ帰りたいところだが、「年下の子たちを置いていくわけにもいかない」というショボい義務感かプライド的なものが邪魔をして実行に移せない。
あと地味に「せっかくだし何がどうなっているのか見たい」という気持ちが心の片隅で僅かながら暴れている。
所謂怖いもの見たさって奴だ。
もしかするとヘンリーくんもこのあたりの感覚が原因でここに残っているのかも知れん。
そうこうしているうちに俺たちは音楽室の前に到着したわけだが、室内はやはり真っ暗。
光源の類は全く確認できず、とてもではないがピアノを弾けるような環境とは思えない。
にも関わらず演奏はあいも変わらずはっきりと聞こえてくるので、”何か”がピアノを弾いているのは確定。
できれば空耳であってほしかった。
「まずは私が」
そう言って最初に音楽室を覗き込んだのは、アンナさん。
これまではメアリとウェンディの二人が好き放題見たり触ったりしていたが、さすがに確定で何か居る場所を先頭切って確認させるわけにはいかないのだろうか。
「女の子がピアノを弾いていますね」
どうやらすげえそれっぽいのが居たらしい。
聞いた瞬間「ヒッ」て言っちゃった気がする。
二人の令嬢が色めき立ち、ヘンリーくんは……ついに立ったまま気を失った。
お疲れ様、良く頑張った。
帰りは俺が運んでやろう。
「私たちも見てよろしいですか!?」
アンナさんの許可を得、令嬢たちが音楽室を覗き込む。
なんでお前らそんなテンション上がってんだ。
俺はもう脚がプルプル震えているくらい怖いと言うのに。
「いた!」
「いましたわね!」
どうやら二人の目にも女の子の姿がはっきりと見えたらしい。
交わす言葉自体は小声だが興奮気味……というかもうテンション的には最高潮なんじゃなかろうかってくらいの笑顔。
良かったなお前ら、気絶したヘンリーくんを見るのに忙しくて中を見ることはできない俺の分まで存分に見ておいてくれ。
いやごめん、取り繕うまでもなく怖くて見れないです。
とりあえず室内を覗き込んだ三人によると、女の子の見た目の特徴はこう。
まず体格は小柄で細身、髪は黒髪でロングヘアー。
身にまとっているのは学園の制服だがデザインがとても古く、少尉やアンナさんの在学中よりもさらに前のものではないかとのこと。
顔は残念ながら角度的に見えないらしい。
うーんお誂え向きとしか言いようのない特徴だ。
顔が見えないというのもシチュエーションとして実に”らしい”。
だいたいこの手の幽霊って顔がめちゃくちゃ怖いか、可愛らしい顔だったとしても顔色が悪すぎて怖いとかなんだよな。
そして振り返ったり顔を上げた瞬間それがわかる、的な流れ。
一応「真っ暗闇の中でピアノを弾くのが趣味の、たまたま古い制服を着ている人」という可能性も無くはないが、流石にこの奇人で溢れた学園にもそこまでの変な奴がいるとは思えない。
というかそこまで行くと不審者を通り越して異常者なので普通に怖い。
そんなのに会うくらいなら幽霊の方がまだマシかも知れん。
「てかさ、ピアノすごく上手いよね」
ふと、メアリがどこか感心したようにそう呟いた。
「確かに上手いな……」
これまでは”居た”ことに気を取られてまともに聞いていなかったが、落ち着いて聞いてみれば確かにその分野に明るくない俺でもわかるくらいに演奏が上手い。
おそらく耳が肥えているであろうメアリが頭に「すごく」とつけて褒めるのだから相当なのだろう。
そしてどうやらそのおかげで令嬢二人は急いで音楽室に突入することはせず、しばらくはこの素晴らしい演奏を聞く方針になったらしい。
進むことも帰ることもできない俺も、とりあえずヘンリーくんを介抱しながらそれに倣う。
そうしてしばらくの間、夜の校舎に様々な曲が流れた。
物悲しい曲に勇ましい曲、明るく元気が湧いてくるようなものまで本当に様々だ。
扉の前にいる三人、アンナさんとメアリとウェンディはこれはあの曲だとかアレンジがすごいとか盛り上がっているようだが、俺には何のことかさっぱりわからない。
ただでさえ音楽関連の固有名詞はわからないのに、異世界独自の単語も混じった会話を聞いて理解できるはずがない。
「すごいなあ」とか「上手いなぁ」くらいの死んだ語彙でしか演奏を評価できないのが若干申し訳なくなる。
気付けば恐怖心は薄らぐどころか綺麗さっぱり消えていた。
あれほどバクバク言ってた心臓ももうすっかり落ち着いている。
こうしてみるとやはりBGMが心境に与える影響は相当大きいということがわかる。
そして演奏が終わった時、俺たちは拍手をした。
皆で盛大に拍手をした。
夜の学園、真っ暗な音楽室の前で幽霊と思しき存在に拍手と称賛を送る俺達はたぶん変人に分類されるだろう。