第六章:その11
「何もいなかったんだけどどゆこと?」
「俺に聞かれてもな!?」
トイレから出てきたメアリの第一声は、俺に対する文句。
どうやら花子さんやそれに類するものは何も出なかったが故の文句らしいが、俺は必ずいるなどとは言っていない。
むしろいたら困るとすら思っていたんですが。
「切り替えて次に参りましょう!ホソダさん、次はなんですの?」
「そうそう次々」
ウェンディとメアリはずっとこのテンション。
こいつらを見ていると女性のほうがホラー好きってマジなのかもしれないと思う。
何も出なかったことに心底ホッとした俺やヘンリーくんとは対照的、見事なまでに男女で反応が分かれている。
まあもしかすると何かが出る出ないはあまり問題ではなく、夜の学園探索自体が楽しくて仕方ないのかもそれないが。
「じゃあ次は階段踊り場の鏡だな」
「すぐそこにありますが、何が起こりますの?」
「何だっけ、吸い込まれるとかだった気がする」
「それは楽しみですわね!!」
少しも楽しみじゃねえわ。
やはり俺には女子……というかこいつらの感覚は理解できない。
理解者を求めてヘンリーくんの方を見ると、電動になったのかってくらいの勢いで首を横に振っていた。
たぶんこれ俺よりヤバい。
君、もうギブアップしても許されると思うぞ。
もう何度も繰り返したせいで答えはわかってるのでもうあえては聞かないが、何が彼にここまでさせているんだ。
後日落ち着いた時にでも聞いてみよう。
そんな訳で元気いっぱいな令嬢どもにげんなりしつつ、微妙に震えてるヘンリーくんを心配しつつという感じで向かった先は一階から二階に向かう階段の踊り場。
そこの登り階段手前にあったのは、人が二人くらい余裕で収まるサイズの大鏡。
だいたい設置されてる位置もサイズも元の世界と同じ……想定内と言っていいもののはずなんだが、そこに映り込んだ自分の姿を見た瞬間ゾワッとした。
いやまあ別に変なものが映ってたとかそういうわけではないんだが、暗闇の中にある鏡ってなんでこんな怖いんだ。
「特に何もないね」
なおそんな俺をよそに令嬢どもは意気揚々と鏡に接近し、何ならペタペタ触ったりもしている。
こいつらどういう肝の据わり方してんだ。
恐怖心とかそういうものはどっかに置き忘れてきたのか。
俺なら何もないとわかってても触れたくないし、できれば直視したくもない。
どうにも映ってはならないものが映りそうで怖いのだ。
「訓練場にある鏡張りの練習室ならどこかに繋がってるかもしれませんわね」
「じゃあ次回行ってみましょうか!」
いや繋がって欲しいのかよ。
この鏡の時点で怖いのに鏡張りの部屋とか断じて入りたくねえわ。
あわせ鏡とかになってたらそれだけで怖すぎる。
あれも大概ホラーの定番だし。
「今更だし当たり前だけど、お前は鏡に映らないんだな」
そんなことを考えつつふと鏡に目をやれば、傍らに立つベルガーンの姿が映っていない。
鏡が光を反射するものである以上、実体のないこいつが映らないのは当たり前といえば当たり前なのだが……これはこれで怖いな。
『気にしたこともなかったが、そのようだ』
言いながらベルガーンが始めたのは、ポージング。
いや映らないのに何やってんだこいつ。
「筋肉が闇を照らしてますね」
そしてそれに対して背後からよくわからない合いの手が飛んできた。
案の定としか言いようがないのだが、アンナさんがそれに乗ったのだ。
本当にこの人は筋肉が絡むと面白い人になるんだな。
ここまでの筋肉好きになった原因は何なんだ。
これまでのクールなメイドさん像とのあまりの落差にウェンディもメアリも、ヘンリーくんも珍妙な表情でそちらを見ながら固まっている。
初対面の令嬢二人はもとより話した事自体はあるヘンリーくんにとっても割と衝撃的だったらしい。
気持ちはわかる、俺も初めてこれを見た時はマジで反応に困ったからな。
ちなみにその後ベルガーンによる闇夜のボディビルショーは数分間続いた。
どうやらこいつ、アンナさんに筋肉を褒められると”ノる”らしい。
あまり知りたくなかった雑学だ。
あとこんなあまりにも特異なロケーションでやらないでくれ。
まあそんな変なイベントを終えた俺たちは、些か微妙なテンションで学園探索を再開した。
再開したが……あまり盛り上がる出来事には遭遇できなかった。
中庭に実際に動くゴーレムが存在する以上インパクトとしては弱いが一応、と見に行った保健室の人体模型は動かない。
十二段の階段は何回数えても十三段に増えることはなかったし、近いのでついでにと寄ってみた通称開かずの間は鍵を直したらしく普通に開いた。
美術室にはそもそもモナリザどころか人物画がなかった。
「うーん、何も起こりませんわね!」
「起こらないほうがいいんだよ……」
正直俺としては、ここまで怖い体験をせずに済んでいることに深く安堵している。
このまま「雰囲気だけだったな」と言って帰りたい。
「次が最後でしたわね」
俺たちが向かう本日最後の目的地は、音楽室。
勝手に鳴るピアノだとか、壁に掛けられた音楽家の絵が動くとかそんな話がある場所だ。
というか音楽室だけなんかやたらとバリエーション豊富な気がする。
「……何か聞こえるんだけど」
道すがら、不意にそんな言葉を漏らしたのは、少尉。
ここまでこの探検に対し、なんの興味も抱いてなさそうな態度でついてきていた少尉である。
「よりによって」と言わざるを得ない人物からの言葉だ。
「突然変なこと言うのやめてくれない?」
「聞こえるんだから仕方ないでしょ」
俺の苦情に対し、少尉は淡々としていた。
俺たちを怖がらせるために言った嘘や冗談の類ではなく、ただ事実を述べているだけだと言わんばかりの対応。
嫌な予感……というかもはや悪寒が俺の背筋を駆け巡った刹那、俺の耳もまたその音を捉えた。
確かに、遠くでピアノの音がする。
断続的に、何度も聞こえて来る。
当たり前の話だが夜間、許可を得なければ入れないような時間帯の校舎に学生や教師がいるはずがない。
万に一つ、億に一つだが俺たち同様許可を取って入ってきてピアノを演奏している変人という可能性もなくはない。
なくはないが、もしそうなら明かりくらいはつけるだろう。
音楽室があるらしき方向は真っ暗、これでは鍵盤も楽譜も見えはすまい。
メアリとウェンディが目を輝かせる。
ヘンリーくんが顔色を急激に悪くし、小刻みに振動し始める。
いや本当に大丈夫かキミ。
「行きますわよ!」
ウェンディの号令の下、俺たちは音楽室への歩みを早める。
既に、音は演奏としてはっきりと俺の耳に届きはじめていた。