幕間:帝国の或る平穏な一日
私の名前はウィンストン・ローレル。
名門ローレル公爵家の当主であり、現在は帝国の宰相も務めているとても偉い男である。
我々が生きているのは舐められたらおしまいの世界。
他の貴族に帝国軍のお偉方、果ては裏社会や他国の有象無象というように無駄にバリエーション豊富な敵たちがいる場所。
日々、そういった連中に自分の凄さや素晴らしさを示さねばならない。
自分に歯向かわぬように、あわよくば抱き込めるように。
そのために我々は様々なことに気を使う。
自身の服装に所作、言動の端々に至るまで整えるのは当たり前。
身内や使用人、領民が突拍子もないことをしないよう注視する必要もある。
常在戦場、軍人たちが精神的な在り方としてよく唱えている言葉。
それは我々も心構えとして持っておくべきと私は思っている
血がたまにしか流れないだけで、我々が今いる場所も戦場とそう変わりはないのだから。
夜半の私室で私はそんなことを考えながら、手元の報告書に目を落とす。
「これはないだろう」
思わず漏れたのはそんな言葉。
他人事ながら、私はサウスゲイト公爵に心底同情した。
報告書に書かれているのは、サウスゲイト公爵の長男……馬鹿息子が授業中に突然異世界人に対し私闘を挑んだ顛末。
しかも馬鹿息子自身は異世界人と戦ってすらいない。
自身の手下をぶつけ、それでは勝てないとわかるや否や無関係だったウォルコット伯爵家の次男坊を無理矢理引っ張り出したらしい。
そして最終的には、逃げたのだ。
「何がしたかったんだ……?」
私闘を挑むのはいい、若気の至りで済ませられる。
勝っていれば正当化のしようはあるし、負けたとしてもうまくやれば格もそう落ちない。
他人をけしかけた挙げ句自分は逃げるというのは論外だ。
馬鹿なのではなかろうか。
他ならぬ異世界人やその場にいた教授たちが乗り気だったため私闘は授業の一環……実技だったという扱いになり、特に処分は下されないことになっている。
それがなおのこと情けない。
あり得ない数値を叩き出した異世界人の”ワンド”の計測データや、凄まじい戦闘の様子が収められた映像も送られてきたが正直そちらには頭が回らない。
事の顛末があまりにも酷すぎる。
もし身内がこれをやらかしたとしたら、私は全てを投げ捨てて旅に出るだろう。
そのくらいあり得ない、不貞が可愛く見えるほどの醜聞だ。
サウスゲイト公爵は今どんな気分なのだろう、首とか吊っていないといいが。
考える。
帝国としてサウスゲイト公爵家やその馬鹿息子に何かしらの処分を下すことはない。
何しろ問題行動はなかったことになった以上、罰する理由がないのだから。
だがもしかしたら罰してあげたほうがサウスゲイト公爵家のためになるのではなかろうか。
悩む。
困ったことに本件を相談できる相手がいない。
異世界人の後援者でもある皇帝は本来相談を持ちかけるべき対象だが、間違いなく「取り潰せば良かろう」と返ってくるので不適切。
というかありとあらゆる事象の相談相手として不適切。
「もう本人に聞くか……」
そう思い至った私は通信用の端末を手に取る。
連絡先は、サウスゲイト公爵。
「また何かやらかさないといいのだが」
また何かしらあんまりにもあんまりなことを馬鹿息子がやらかした場合、サウスゲイト公爵家の風評は凄まじいことになるだろう。
もちろん家の方でも釘は刺すだろうが……他人事ながらに襲ってくる凄まじい不安。
そしてそれに対し「大丈夫」という言葉を返してくれるものはここにはいない、どこにもいない。
遅くなりましたがあけましておめでとうございます。
今年も拙作をよろしくお願いいたします。