第五章:”鉈の切れ味”
三人称視点です。
ヘンリー・ウォルコットという青年は、間違いなく強い。
年齢を考えれば破格を通り越して異常とすら言えるほどに。
そしてそんな彼の特徴である素早く、そして鋭い動きは”ワンド”という巨人と同調して尚健在。
それどころか成長期の肉体という縛りから解放された分、さらに速くなってすらいる。
彼が矢継ぎ早に、次々と放つ斬撃や突きを目視できる者はこの場にもうほとんどいない。
だが彼の動きが見えずとも、観衆には一つ確かに理解できることがある。
それは彼と相対する者───魔王ベルガーンを名乗る人物は、それを一蹴してしまえる程の強さを持っているということだ。
轟音が響く。
それはベルガーンが振るった鉈の一撃がヘンリーを捉え、辛うじて展開された魔法障壁ごとその身を吹き飛ばした音。
ずっと、同じことが繰り返されている。
ベルガーンは雨の如く降り注ぐヘンリーの連撃を二本の鉈で完璧に捌き、そして時折針の穴でも通すかのような正確さでヘンリーの動きの間隙を突く。
『続けるか』
「ウス……じゃなくはい!」
そしてそんな短いやり取りの後に戦闘は再開されヘンリーが挑みかかる───といった光景が、ずっと繰り返されている。
二人の実力差は、誰の目にも明らかだった。
何しろヘンリーの繰り出す攻撃はその一切が魔王に届いていない。
それどころかベルガーンを”動かす”ことすらできていないのだ。
初撃以降、ベルガーンは極めて狭い範囲の中で全ての行動を完結させている。
身を捻る、軸足を変える程度の動作はあるが、跳びも歩きもしていない。
まるで大地に根を張ったかのように、あるいは難攻不落の城塞のようにその場を動かず、降り注ぐ攻撃のことごとくを捌いている。
ともすれば無謀、あるいは無意味と評されかねない戦い。
『リズムが単調になっている、それでは簡単に動きを読まれるぞ』
「ウス」
だがヘンリーにとってこの戦いは、とてつもない意味と価値がある。
『貴様はまだ、技術を血肉にしたとは言い難い』
ベルガーンから見ればヘンリーは多くの技、多くの知識を身につけてこそいるが、それらを自分のものにはできていない。
剣術に体術、歩法。様々なものを高水準で身につけていながら、それらが上手く噛み合わないのだ。
そしてそれが原因となって、僅かな隙、継ぎ目とでも言うべきものが動きの合間合間に生じる。
無論それは常人には見えず、理解など望むべくもない。
だがベルガーンがそうであるように、そこを突ける者は確実に存在するのだ。
そしてヘンリーが目指しているのは、そういった領域。
そういった者たちに挑み、勝利できるような強さを、彼は求めている。
そうして幾度目かの轟音が響いた後───ヘンリーはついにその場に膝をついた。
攻撃自体は何とか防げているため、皆無とは言えないまでも肉体に負ったダメージはそう多くない。
ただ体力と魔力の消耗があまりにも激しい。
攻めと守りの両方で全力を求められたのだから、当たり前の話だ。
『今回はここまでだ』
そしてその様子を見たベルガーンはそう告げる。
これ以上は意味がない、と。
『最後に、一つ手品を見せてやろう』
だが、その言葉には続きがあった。
僅かながらも楽しそうな、生身であれば笑い顔が見えていたかもしれない声音とととに得物を構えたベルガーンに対し、ヘンリーもまた居住まいを正して剣を構える。
何が来るのか、期待と不安を同時に感じながら。
『行くぞ、避けてみよ』
ベルガーンが前に出る。
初撃のように猛烈な圧力はなく、特別速い訳でもない。
繰り出された右の一振りについても同様。
動きがはっきりと見え、特段の脅威が感じられない。
「どうとでも対処できそう」という思考に至ってしまったことが、むしろヘンリーの不安を煽る。
どうすべきかと少し考えた後、ヘンリーは後ろに跳んだ。
受けではなく、回避を選択した。
避けきれるかという不安と、何が出るのかという期待。
異変が起こったのはその時だった。
様々な感情、そして警戒とともに見つめる視線の先で突然”金色のワンド”の姿が霞のようにぼやけ、消えた。
少なくとも彼にはそう見えた。
「は?」
間の抜けた声が出る。
思考が追いつかない。
目の前に確かに存在する、”金色のワンド”の姿。
ただしそれにはこれまで見えていたものとは明確な違いがある。
位置はおよそ一歩分遠く、それでいて振りかぶっているのは左。
───自身が今まで一体何を見ていたのか。
そんな混乱が故に、ヘンリーの対応が遅れる。
ただ、もしかするとその場でできることなどなかったかもしれない。
警戒していたのは右からの攻撃。
意識も重心も、そして当然剣も、そちらからの攻撃への対応に向けられていた。
左からの攻撃に対しては、無防備とは言わないまでも間違いなく防御は薄い。
一度始めてしまった回避行動も、そう簡単に修正などできはしない。
何よりも混乱が故に、思考が追いつかない。
そうしてベルガーン攻撃は何ら遮られることなく一直線に頭部へと迫り───直前で、ピタリと止まった。
『気配を飛ばした』
ヘンリーはベルガーンが何を言っているのかがわからなかった。
あまりのことに呆然としていたというのを差し引いても、だ。
霞み消えた魔王の幻のことだろう、という思考には到れる。
だがそこまでだ。それ以上は理屈も原理も彼の理解のできる範疇にはない。
『また余と仕合う時まで、励むがよい』
「ウッス」
かくして、二人の戦いは終わった。
果たしてこの戦いがヘンリーの道にどう活きることになるのか。
それはまだ、誰にもわからない。