プロローグ:その1
自分は特徴の無い人間だという自覚がある。
運動も並、勉強も並。
……もしかすると並以下かもしれないが悲しくなるのでやめよう。
ゲームは好きだが上手くはない。
間違っても他人に見せられるプレイではないし、口が裂けても得意とは言えない。
難易度はだいたいノーマルを選んでます、すいません。
取り立てて特技と言えるようなものもない。
履歴書を書くときにやたらと苦労した記憶が蘇る。
このように自分は凡人である。
毎日仕事をして、ご飯を食べて、風呂に入って、適当にダラダラして寝る。
そんなどこにでもいるモブとしか言いようのない男だ。
「なんだこれ」
そんな俺が、気づけば何かよくわからない場所にいた。
広がるのは闇の中にいくつもの小さな光が瞬く星空の様な景色。
上下の感覚はなく、奇妙な浮遊感を感じるよくわからない空間だった。
ここに至るまでの経緯を考えるが、まったく思い当たる節が無い。
昨日は仕事でくたくたになって帰宅した。
それ以上のことは思い出せない。
服はワイシャツにスラックスという仕事用の服装だし、何なら靴も履いたまま。
もしかして玄関でぶっ倒れでもしたんだろうかと不安になる。
あるいは……玄関を開けた瞬間宇宙人に拉致されたとかだろうか。
そしてやっぱイラネと宇宙空間に放置されたのだろうか、いやそれなら家に戻してくれよ迷惑すぎる。
でもここが宇宙空間ならとっくの昔に死んでるよな俺。
呼吸も普通にできるし宇宙空間ではないのか……?
「とりあえず移動してみるか…」
どれだけ考えても何もわからない。
ならば行動あるのみだ。
歩いてみると、感覚は変だが進んでいる感触はある。
泳いでみると、感覚は変だがこちらも進んでいる感触がある。
「いや本当に何なんだこれ!?」
叫びたくなる気持ちを分かってほしい。
進んでいる感触はあるが、まったく進んでいる実感がないのだ。
もしかするとちゃんと前に進んでいるのかも知れないが、地面を踏んでいる感触もなければ景色が全く変わらないので全然わからない。
「よし、これは夢!決定!!」
そうして俺は諦めの境地へと至る。
これは夢に違いない、疲れて寝落ちしたせいでわけのわからん夢を見ているだけだ。
夢に抵抗したところでどうせ無駄、それならば寝直すほうが有意義。
そんな思いと共にその場に寝転ぶ。
「寝れる気がしないんだよなあ……」
何とも言えない浮遊感に気持ち悪さを覚えながら目を閉じる。
寝れる気はしないが寝なければならないという使命感。
それに触発された羊たちが脳内で強めのウォーミングアップを始めた瞬間───
「喧しい」
背後から低い声。
その低いながらも良く通る声が耳に届いた瞬間、俺の背筋をぞわりとした悪寒が駆け抜けていった。
原因の半分、いや三分の二は誰かに見られる予定の全くなかった奇行を見られたという焦り。
家族が突然部屋に入ってきた時に感じるアレである。
残りはその声が怖いおっさんのそれだったこと。
機嫌を損ねるのはあまりよろしくない方々のお声だ。
今回の場合はモロに『喧しい』と言われてしまっているのでアウトの可能性がある。
「何をしとるんだ貴様」
貴様、よりによって貴様呼び。
相手が何者であれ、これは可及的速やかに謝罪せねばならないという結論に達した俺は意を決し―――
「大変申し訳……」
振り向き、口にしようとした謝罪の言葉が途中で途切れる。
そこに居たのは、ゴリラにだって余裕に勝てそうなひとりの巨漢。
銀色の髪。
褐色の肌。
鋭い目つき。
雄牛のような角。
隆々とした筋肉。
「すっげ」
思わず感想が漏れた。
すごい、とにかくすごい。
俺は筋肉界隈には全く明るくないが、目の前の人物の筋肉がすごいというのはわかる。
露出した腕や首は丸太のように太く、胸板は服の上からでも岩山のように隆起しているのがはっきりと分かる。
俺とは生物としてのランクが間違いなく違う……というかスルーしかけたけど角生えてるじゃん、これもしかして人間じゃないのでは?
「得体の知れぬ大きな魔力を感じた故出向いてみたが……」
混乱して固まっている俺を見下しながら、男が口を開く。
何やら微妙に呆れの感情が含まれているように感じるのは気のせいだろうか。
「奇行を繰り返し、意味のわからんことを口走る奇妙な人間が一人。いったい何なのだ貴様」
気のせいではなかったようだ。
確かに奇行を繰り返しているし、独り言が多い。
どこから見られていたのかはわからないが、たぶんどこから見られても俺は変人にしか見えないだろう。
「お見苦しいところをお見せしました……」
もともと謝罪するつもりではあったが、男の見た目に気を取られて回り道をした。
そして回り道をした結果、俺は心に大きな傷を負う羽目になった。
いやまあ自業自得なんだけど。
「まあよい、それで貴様は何者だ。如何なる技を用いてこの“狭間“へとやってきた」
気を取り直して、という様子で彼はこちらに問いを投げかけてくる。
“狭間“とはおそらくこの場所のことだろう。
しかし残念なことに俺に心当たりのある単語ではなく、如何なる技を用いてと言われても―――
“狭間“……?
「あのー、もしかしてここって次元とか世界の狭間とかそんな感じの場所ですか?」
「そうだ」
怪訝な顔をしてらっしゃる。
そんなことも知らんのか、とでも言いたげな顔だ。
「ここは世界の狭間、実世界から隔絶された虚無の地平だ」
ウッソだろお前。
これが夢やドッキリではないのなら……もしかしたら俺は、異世界転生に片足を突っ込んでいるのかもしれない。