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58引越

 兄上が父上の引っ越しの算段について話をしにきた。


 兄上は官舎をと考えていたが、殿下が貴族街の外れの小さな屋敷を貸与すると申し出てくれたらしい。次期に王太子妃の父親ともなるから、受け入れてくれと言われたらしい。結局、もう手入れし始めているらしく、春には入れると言われたらしい。


「見に行ったが、王宮からも歩いて20分程度で便利だし、立派じゃない感じがうちらしくていいと思ったよ。」

「王族の持ち物なのに、立派じゃないの?」

「あぁ、どうやら、身分の低い下働きから側室になった方が、王様の代替わりでお移りになった家だそうだよ。だいぶ、古くなっているが、手を入れてくれて。我が家には十分過ぎる。」

「それは、ありがたいですね。」


 王様が代替わりされると、王族扱いの王妃以外の側室達は、後宮から外に出るのが習わしとされている。王様の菩提を弔って、寺に入る者もいるし、実家に帰る者もいる。下働きからの入宮となると帰る場所もなく、寺でもそれなりの持参金がないと引き取り手もない。市井へと戻る以外にないのかもしれない。


「雪が少なくなったら、父を動かせる。引っ越しに関しては、サム先輩が手伝ってくれると言ってくれている。」

「人を出してくれるということですか?」

「あぁ、家から何人か連れてきてくれるらしい。あと、父上や家財道具を乗せる、荷車を手配してくれる。」


 兄上は週末にやってくると、引越計画について状況説明をしてくれる。実現に近づいているのだと思うと、胸が締め付けられるような、涙がこみ上げてくるような、なんとも言い表しがたい気持ちになる。



 夜は、相変わらず女官が訪れて、上級女官教育が行われている。ただ、これは王太子妃教育なのかもしれないと、最近思い始めている。毎日数時間の教育の成果として、後宮の全ての部署についての、一通りの業務内容を理解しつつある。後宮の仕組みについて全貌が見えつつある中で、更なる詰め込み教育が施されている。


 こんなに性急に、こんなにも詳しく、私ごときに後宮の内情を教えられるのは、すべては王妃様のご意向だと思う。王妃様のご意向でない限り、知ることは許されないような内容なのだ。

 身分も位階も、完全なる上位者ではあるけど、実際のところ、私に人事権はなく、裁量権のようなものもない。

 女官達と率直に話をすることができるのも、上位とは言え私があくまで女官だからだ。向こうは後輩に教えを授けるというつもりで接してくれている。


 私は王妃様の意向に従って、ただ学ぶように指示されたことを学ぶしかないのだ。王宮にいる限り、王族に関わる限り、王妃様の意向は絶対なのだから。


 それにしても、興味のなかった分野まで幅広く深く教えられることを、一つ一つ理解して覚えていくのは実際しんどい。もっと、読みたい本もあるし、のんびり過ごしたいとも思う。



 日曜日になると、セリが迎えに来てくれて、行政書庫に行く。


「母上の代理で、父上と祭祀をしているって本当?」

「はい。何度か。赤さま、楽しみでございますね。」

「生まれたら見に行こう。」

「殿下と?」

 髪を一房とられ、そっと口づけられた。驚いて殿下を見つめる。ちょっと嬉しそうにしながら、ふいと視線を逸らされた。

「さて、作業だ。」

「さようでございますね……。」

 ふと視線を殿下の側近に移していくと、順番に目をそらされた。こんなところで、こんなことをしていたら、当然だけど、見られていたらしい。恥ずかしい。



 あたたかな、春の日差しがさし、雪が消えて小さく緑が見られるようになってきたころ、兄上から父上たちの上洛を伝えられた。寝たまま乗れるような大きな荷馬車が準備されて、寝具ごと運ばれてくるらしい。


「支援下さった方々には感謝しかないわ。父上が移動で疲れてしまわないといいのですけど。」


 兄上から届く手紙を読んでは、気をもんでいた。でも、何もできないまま、日々の仕事に取り組んでいた。


 夕方、仕事が終わり部屋へと戻った頃に、兄上が急に現れた。


「ウンジュ!」


 兄上らしくもなく、外から大きな声が響いた。すっと立ち上がり、女官の制止もむなしく、私は縁へと自分から出てしまった。


「父上のご容態は?」

「ゆっくりと移動したから、大変時間がかかったが、父上への負担は少なかったようだ。殿下から貴重な薬湯を譲ってもらって頂いてもいる。落ち着いているよ。」

「左様でございますか……。」


 へなへなと座り込んでしまった。


「母上も、お祖母様も、ご無事のお着きですか。」

「あぁ、あの二人はピンピンしているよ。」

「よろしゅうございました。」

「近いうちに、外出できないか?」

「……カン女官、調整をお願いできる?」

「はい。明日にでも動けるように、ご用意いたします。明日の9の鐘でお迎えに来ていただけませんか。」

「了解した。ウンジュ、皆が会いたがっている。いよいよ明日だ。いい子で寝るんだよ。」

「……はい。」


 カン女官はあちこちへと連絡を始めた。

「ク女官様が、ご実家を訪問されるのは時間の問題でございましたから、いつでもお時間を作れるように準備は整えておりました。」

「そうだったの?」

「付き添う者達の衣装も、準備万端です。」

「衣装?」

「商家出身の女官とその実家の従者という感じでいかがでしょうか。」

「……。」

「上洛は、今しばらく伏せよとの王妃様のご判断でございます。ですが、ク女官様から、護衛が離れるわけにはいきませんので。」

「ご面倒をおかけします。」


 王太子殿下や王様にご迷惑をかけないように、自分勝手な行動は控えなくてはならない。改めてそう思った。私は、姫としてケチがついては妃と遇しづらくなる。目立って槍玉に挙がるのも愚かだし、とにかく問題を起こさないように静かにしているのが賢明だ。


 翌朝、カン女官による手配で、勉強も仕事もすべてお休みになった。綿の白い単衣に裳をまとい、一番上に鮮やかな深紅に金の刺繍で縁取られた衣を一枚を羽織る。

「これは?」

「殿下から反物や糸をいくつか頂いております。仕立てるように命じられていました。」

「……刺繍がすてきね。」

「誉めてくださいませ。」

「いや、崇めるよ。」

「それは……。」

 にやりと、二人は視線を交わす。


 兄上が王宮の門で待っていると連絡が入り、カン女官と外へでると、すでにセリ達が待機していた。数名の女官といつもの2名の護衛官、他にも初めて見る男性が2名がいた。

 カン女官に目配せしたが、当然というような顔つきで、参りましょうと案内されては、大勢で歩いていくしかなかった。

 門の前まで行くと、兄上が呆然としたように私を見て目で会話をする。

(マジか?)

(マジですよ)


 今回は目立たない女官用のかごだ。30分くらい歩いたか、一つ一つの屋敷が立派な石塀で覆われ、中を伺い知ることのできない感じの華やかな貴族街を抜けた。石塀が尽きて、その先は荒れ地と田畑が続く丘陵地帯へと続くそんな場所だった。

 通りから石塀脇のあぜ道をはいる。その奥に、若干、朽ち気味の石塀が存在していて、荒れ地に面して古めかしい壊れそうな門が建っている。


「ここだよ。いい感じに、ボロいだろう。しかも、何とか僕が用意できそうというのも決め手らしい。」

「……絶妙だね。」

「ありがたいよ。」


 貴族街のはずれともなると、人通りはない。隣の村との行き来をする商人や農民位しか通らない。しかも、街道から奥に入るから余計に人目に付かない。


 古めかしい門をくぐる。敷地は広かった。門からはいると左右は草地になっている。まっすぐに進むともう一度門があり、左右に生け垣が巡らされている。そして入ると左手に屋敷がある。外から見た朽ちかけた石塀とは違い、屋敷は壁も障子も手直しされていて、寒さがしっかりと防げそうだった。

 縁側を見ながら、玄関へと回る。かごが下ろされ、兄の手を取ってかごを降りた。護衛官の4名は最初から打ち合わせてあったようで、玄関の前で私たちに礼をすると持ち場へと移動した様だった。女官たちは控えている。

 玄関から中に入ると、知らない女性が出迎えてくれた。


「こちら、パクさん、母を手伝ってくれている。」

「え?」

「……私の家は、代々、ク家にお仕えしてきたと伝え聞いております。ここ数代は、王様のご配慮で王宮でお仕えしておりましたが、このたび再びお仕えせよとのことでございました。」

「そう、よろしく頼むわ。」


 入ってすぐ右側に部屋があり、覗くとさらにその奥には台所が見えた。廊下は先に続くが、廊下を挟んで左側にも部屋があり、ふすまで仕切られた小さな2間を挟んで、その奥に父上が横になっている部屋があった。奥の間に兄上が私を促す。

 床に伏している父と父の頭側に母上とお祖母さまが座っていた。

 床に手をついて挨拶をして、顔をあげた。

「……父上様、お祖母様、母上様、大変、ご無沙汰いたしております。ご健勝のようで、お喜び申し上げます。」

「ウンジュ、元気だな。」

 父上に声をかけられた。

 そして、母上が駆け寄って来て、抱きしめられた。

「母上。」

 しばし、母上に抱きしめられて、なんだかとてもホッとした。


「父上がお元気そうで、安心いたしました。そうでした、カン女官を紹介しないと。」


 カン女官は居間で控えていたが、一つ前の間まで進み、その場で父上に挨拶をした。父は短く感謝の言葉を告げた。カン女官は私に居間にいると伝えると下がろうとしたが母上が遮った。


「カン女官殿、ウンジュはちゃんとお勤めできていますか。」

「……奥方様、ク女官様は大変熱心に日々お勤めされていらっしゃいます。幼いのにと、私ども、感心いたしております。」

「そう。それならいいのですけど。」

 母上は何だが疑わしそうに私をのぞき込むので、言い返した。

「お祖母様仕込みは、王宮でも万能だよ。」

「……おまえのはにわか仕込みだからな、わしは心配じゃよ。」

 今度はお祖母様が声を出す。

「お祖母様~。」

「おや、おまえ、大事な猫はどうした。」

 兄上が小突いてくる。

「今は縁側です。」

 家族が、吹き出した。

「逃げられたらどうするんだ。」

「護衛の方々が見張ってますよ。」

 カン女官まで吹き出した。

「もー。」

 膨れっ面をすると、兄が膨らんだ頬をつぶした。ぷひっという変な音を立ててつぶれた。

 父も苦しそうに笑った。


 私たちはカン女官が持参した菓子と茶道具、茶葉を使ってお茶をする事にし、パクさんとカン女官で支度をしてくれると、彼らは居間へと下がった。


「おまえの給金のおかげで、生活には困らなくなったよ。」

 お祖母様が言う。

「……そうなの?」

「それと、この家の入り口の所の荒れ地に畑を作る。ソンイが。」

「え?僕が?」

「じゃあ、ババがやるのかい?」

「いえ、僕にやらせてください。」

「ありがたいね。」


 お祖母様たちは、相も変わらず縫い物仕事をしているらしい。前の取引先に、王都で取り引きしてくれる商人を紹介されているらしい。続き部屋には作業中の衣装が掛かっている。庭にでて、祖母がここを畑にすると言う場所を確認したり、母の手料理を食べたりして一時をすごした。


「ク女官様。」

「……わかったわ。では、そろそろお暇しなくては。」

「また、こられるだろう?」

「はい、父上。近いうちに。」


 兄上は今日はここに残るらしく、私だけかごに乗せられた。商人風の護衛官を従えて王宮前までかごに揺られて戻っていった。


「お疲れですか?」

 部屋に戻るとカン女官が尋ねてくる。

「お寂しくなってしまわれましたか?」

「……ちょっとね。……お茶、入れてくれる?」

「はい、温かいお茶を飲みましょう。差し入れに菓子がありましたから、お出しします。」


 少し、お茶を飲んでいると、いつものように、何人かの女官がやってきた。勉強として話を聞いていたが、話を重ねるうちにその時の話題についての経過を報告しに来てくれるようになり、また話をすると報告に来てくれてと、エンドレスなルーチンとなってきている。私がどこにいるかがなぜか皆に把握されていて、部屋に戻ってくるとさっそくと言う感じで人が入れ替わり立ち替わりやってくる様になっている。


 蝋梅が終わり、梅が香り、足下には蕗が出てきている。池の氷は溶け、春である。

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