55赤さま
「お母様、赤さまができたそうよ。」
いつもの王女様達との会合で、王女様が語った。
「まぁ、おめでとうございます。」
口々に私たちは言祝ぐ。
「そういえば、昨日、皆で母上をお祝いしていた時に、父上がウンジュに会ったと言っていたわ。祭祀を一緒にしたって。」
「……あ、はい。私は恐れ多くて王様のことは拝見できなかったですけど、お近くに侍らせて頂きました。」
「まぁ、ウンジュ様も緊張なさるのね。」
ミョンスが意外なことを言う。
「え、私、結構、いつも緊張してます。」
「「「「そうなの?」」」」
皆が意外そうだと声を出す。
「えっと、皆様との歓談でも、私はまだ緊張してしまってて、変なことお話していないかとドキドキします。」
「ウンジュ様は、ゆったりお話しされるから、緊張とかそういうのとは無縁なのだと思っていたわ。」
スリョンが言う。
そこから、全員で王宮の緊張話が始まった。王女様でも、礼儀正しくしないといけない緊張感あふれる場というのがあるらしい。
「上級貴族の婦人達が集まるような場所は、本当に怖いわ。母上もいつもよりも数倍怖い雰囲気になって、掛け合う言葉もほめているのに、どこか緊張感があって。」
「私は王女様には大変気安くさせていただいていますが、王子殿下や王妃様にお会いするときは今でも、頭の中で悲鳴があがりますわ。」
ミョンスが語る。
「ミョンス様もですか?」
ソンジンがそれを受ける。
「それに、王族ではないお嬢様方とご一緒するときも緊張します。何というか、王族だと家族の延長のように思うのです。でも、そうでない方は礼を尽くして下さいますけど、本音はどうなのかしらっておもってしまって。」
ミョンスが珍しく言葉を重ねる。
でも、みんなが同じように王宮に緊張感を持っていることを知り、そして、王族外の貴族の思惑がわからない不安があることを知った。
「王太子妃は、ジニ様なのかしら。」
スリョンがふと口にした。
「ジニ様、殿下のことお好きよね、きっと。」
ソンジンが言葉を継ぐ。
「王太子妃がソウォン様に決まるまでは、ソウォン様とジニ様、どちらが王太子妃になるのかと、噂で持ちきりでしたものね。ソウォン様が廃された今、ジニ様でなければ、どうなるのかしら。」
ミョンスは不安げに語る。
「ミョンス様はジニ様がいいの?」
スリョンがきく。
「ここだけの話ですわよ?」
ミョンスが、私たちの目を一人ずつ、じっくりと見つめてきた。
「当然ですわ。」
ソンジンが目を見開いて、ぐっと顎を引いて応えた。
「私、ジニ様でもいいのですけど、可能なら、王族から選ばれる方が気安く感じるのです。」
「私も……私もミョンスに賛成だわ。母上は今でこそ王妃然とされてらっしゃるけど、政略的な意味合いも強い輿入れだから、王宮でさぞかしお辛かったのではと思うの。」
王女様が口を挟んだ。
「それに、次の王妃が王族だと、私も王宮に里帰りし易いわ。」
「王女様は小姑になるのですものね。」
「まぁ、スリョンったら、小姑ですって?」
「間違いないですわね。」
ソンジンも笑いながら言う。
話をしながらも、皆、刺繍の手を進める。私は兄上の科挙及第のお祝いに帯の刺繍をさしている。いつもは花や草を重ねていくように刺繍するが、今回は決まったパターンで繰り返される幾何学模様を刺繍している。以前に数学の本を借りたときに、端っこに幾何学模様が描かれていて、美しいと思ってたのだ。四角の重なりが波打つように繰り返される模様になっている。
刺繍の会が終わって、夕方部屋に戻る。いつも通り外国語の復習をして、夕食や入浴をすませる。夜は先生が来て、後宮の勉強をする。
「この数字、間違っていませんか?」
「え?」
帳簿を見せられて、厨房の食材管理状況を見ていて、違和感を感じた。じっくりと話を聞きながら帳簿をめくる。ページを繰りながら数字を書きだしていき、何度も確認したが、やはりおかしいと思い口を開いた。先生をしている女官が驚いたように帳簿と私の作ったメモを見直して、震えるように怯えた様子で私を見る。
「……私には何の権限もないですが、このままではいずれ誰かが気づくのではないかしら。」
「……直ぐに調査します。」
「それが、よろしいわね。」
「はい。」
気がつかないふりをすべきだったのかもしれない、と思ったが、口に出してしまったのだから仕方ない。厨房長のクム女官は非常に誠実だった。その後も、用意してきた文書を、ありのままで私に差し出し続けた。私も彼女の誠意に応えようと、一緒にその文書を見直していった。
どうするつもりなのかと尋ねると、お許しいただけるならば、穏便に済ませたいと言う。
「10年分の帳簿と、名簿の照会をしましょう。せめてこれ以上の横領は止めさせないと。ばれたらただでは済まないのでしょう?」
「……ク女官様、それでお許しいただけますか?」
「私の管理外のことですから、私はあなたのお手伝いをするだけです。ただし、もしもの時にあなたを助けてあげられるような力はありません。何とか補填の方法を考えましょう。」
「……よろしくお願いします。」
夜の勉強時間の後に、こっそりと厨房長のクム女官の部屋へと伺い、クム女官の信頼する子飼いの女官数名とで帳簿の洗い出しを始めた。
横領の全体像はすぐにはっきりとしてきて、特定の派閥で横行していると言うことがわかった。ただ、金額的には可愛いものだったので、本人達の俸禄から分割して天引きして補填させることも可能かもしれない、ということになった。
「……上級女官様、あなた様に気付いていただけて、助かりました。」
「後は、頼みましたよ。」
「はい。何とかします。」
クム女官は速やかに処分などを行ったようで、後日、配置転換や降格などの処分内容について報告に来てくれた。穏便に済ませると言っていたので、処分などはないと思っていたが、この機に古くからの派閥を解体したかったのかもしれない。
夜の講義では、お話を聞くだけでは理解が出来ず、結構質問をすることになる。その者が直ぐに答えられなかったりすると、翌日以降に、「より詳しい者」という実務担当者がやってきて、さらに詳しい資料を提示してくれて話を聞くことができた。
上級女官がヤン様しかいないので、上級女官の教育がどのように行われるものか殆どの者が知らない。この詰め込み教育が、上級女官として後宮を把握するための教育だと女官達は考えているようだった。
最初、女官達は、私に取り入ろうという気配をさせていた。でも、丁寧に話を聞き、問いかけるうちに、皆の態度が変わってきた。やはり幼く感じるのだろう。変な緊張感は和らいでいき、若い女官の間で流行している話題などを教えてくれる年輩の女官などもいる。信頼関係が築けたからか、子供相手だから、なぜかいろいろと内部情報を教えてくれる。
子供とはいえ、身分的に私の言葉は絶対なところがある。時折、彼らには自浄作用を期待すると、絶妙な是正案を提案してくれる。うなずくと、なぜかホッとしたようになる。
「……カン女官、ク上級女官様はいつもこの様なのですか?」
「はい。かなり謙虚な御方です。」
「ヤン様といい、お嬢様といい、上級女官にあげられる王族の姫君は恐ろしい程に優秀ですね。お仕えするに十分な方で安心いたしました。ク上級女官様、私、どこまでも、あなた様について参ります。」
暮れに始まった私の上級女官講義は、スケジュール調整がされながら、昼食休憩と夕方から夜にかけてと行われている。カン女官とソ女官が時間を調整してくれていて、入れ替わり立ち替わり、様々な部署の女官がこの部屋へと出入りするようになっていた。
対話の中で気がついた後宮での悪習は、よく話を聞いていくと、彼女たち自身によって緩やかに是正された。
そして、最近、後宮を歩いていて気がついた。以前にまして、なんだか丁寧に扱われているような気がする。
「カン女官。なんだか、最近、私が歩くと、女官達が緊張している気がするのだけど、気のせいかな?」
「……この一月で、あなた様は全ての後宮部署の長を、配下に置かれたのに気がついてらっしゃいますか?」
「……何のこと?」
「あれだけ内情を吐露させられて、皆様、あなた様に忠誠を誓ったではないですか。」
「……そう言うことになっているの?」
「無自覚なところが恐ろしいというか。」
「どうしよう。」
「特に問題はないと思いますよ。ク女官様は上級女官様ですし。」
「……そうなのかしら。」
ある早朝、礼部から遣いがきた。急いで身支度をして呼び出しに応じる。
「先の王妃様が危篤とのことでして。」
「……回復祈願?」
「はい。」
「……因果なものね。」
「え?」
「……先の王妃様は、私の祖母やその姉や家族を迫害したと聞いております。」
「……左様でございましたか……その……。」
「よろしくてよ。私は神に祝詞を捧げるだけです。私は媒体で、神威は神から出るのですよね。」
「左様でございます。」
身支度が済むと、カゴが用意された。王家の先祖代々の墓と王家と縁の深い社が一緒に置かれている場所へと出かけるのだ。それは王宮の外にある。王妃様の予想通りで、こんなに早くに外出の機会が訪れるとは。
女官に扮したセリとハンソルもついてきている。他にも、見るからに護衛武官と思われる者達や、礼部の者達を引き連れて、早朝から外出する事となった。
今日は幸いなことに、冷え込みは強いが、日差しがでている。雪でも舞えば、どんな罰ゲームかという感じになるところだった。
カゴの中からちらりちらりと町並みが見える。やはり、王宮を一歩でると、街は混沌だと思う。立派な建物や朽ち果てそうな老朽建築物が重層的に混然と立ち並び、身なりの良い者から、物乞いまで、様々な状態の人々が存在する。食堂の前を通り過ぎるときなどは、何だかとてもいい匂いがしてきたりもした。
私はカゴに乗ったままだが、皆、かなり歩いたと思う。王都を外れ、田舎町を進んで行くと、ようやくたどり着いた。なぜこんなに遠くに墓を作ったのだろう。
「到着いたしました。」
礼部の担当官がカゴの外から私に伝えた。そして、カゴはおろされて、静かに開けられた。
「どうぞお手を。」
セリが手を差し伸べてくれたが、しばらくすわりっぱなしだった私は直ぐには立ち上がれなかった。足をさすりながら、セリの手にひかれてゆっくりと立ち上がる。
そこは平らな石が一面に敷き詰められていて、北側に数十の社が並んでいた。私が立ち上がれないでもたもたするうちに、礼部の人たちが一番豪華な社の祭壇に供え物を盛り、私が祝詞をあげられるように板を敷き、防寒のためか薄い座布団も置かれた。
「お社、たくさんあるわね。」
「はい。」
「全部、やるのよね?」
「はい。」
本当に因果なものだ。悪縁というのだろうか。王太子妃として輿入れして、子が出来ないまま過ごす年月はいかばかりなのだろう。
妃に期待されるのは、優しさとか穏やかさとか後宮を上手に治めるとかそう言うことではない。後継を妊娠すること。男児をなすこと。子がなければ、側室を許さなくてはならない。側室が子をもうければ、喜ばなくてはならない。
自分も同じ運命にあると思う。私も子をもうけられなければ、殿下に新たに女性を添わせなくてはならない。それは、どうなんだろう。私を大切だという殿下が、他にも大事だという方を選ばれたら、私は何を思うだろう。
先の王妃様は危篤だという。彼女が祖母たちにしたことは残念なことだが、彼女にも言い分があるように思う。崇高な目的のためなら、あるいは貴人の安寧のためなら、どのような手段をとってもいいというものではないが。
一つ目の社の前に跪く。静かに頭を垂れ、祝詞を捧げる。先王が王妃以外にかけた情けを尽く潰えただけだ。どこの家の正妻だって同じことをする。夫の妾はことごとく追い払うものだろう。しかも、先の王妃様はなさぬ仲なのに、王様を立派に育てられた。王様の治世に何か悪影響を与えたという様子も聞かない。
祈りくらい捧げよう。
頬が痛む程に、冷えた空気が、あたりに張りつめている。祝詞を捧げ、跪き、そして、また立ち上がる。繰り返し繰り返し、一つ、二つと順番に社を巡っていった。




