54代理
暮れにソ女官が世話を焼きに来てくれていたが、新年が明け、日常が始まると、その続きが始まったことに気がついた。夜の医官補の勉強会に参加しないことになったので、時間があくかと思いきや、ソ女官が手を変え品を変えと言う感じで、夜に様々な部署の女官達を連れて現れるようになった。
夕方5時頃に仕事が終わると、すぐにカン女官によって入浴や食事をすまされる。6時半頃に女官達が見えて、話を聞いて、8時半頃に終了する。とりあえず、今は後宮の仕組みを学んでいる気がする。
日曜日の午前中、セリさんが来て、行政書庫へと向かった。
「おはよう。」
「殿下、おはようございます。」
殿下は先に来ていたよう。
「この間のお茶会は、衣装を届けようかとも思ったのだけど、いいこと思いついたね。簪は気に入ってくれた?」
「これ、頂いて良かったのでしょうか。」
ウンジュは髪に挿してある梅の簪に手を当てながらきいた。
「ウンジュに、お茶会の衣装を揃えてあげると以前言っただろう。」
「……そうでしたっけ?」
「そうだよ。で、実際準備させていたから内官を行かせたんだ。キム内官は十分な準備をされているので、今回は簪だけで大丈夫だと伝えてきのだよ?」
殿下はギュウッと抱きしめてきて、最後に額に接吻すると、なんか納得されて私を手放した。
「さて、作業しようか。」
「……は、はい。」
殿下との時間は楽しい。調べ物自体も楽しいし、殿下が私を好んでいると感じるのもなんとも嬉しい。
おやつの時間にセリさん以外にもう一人、武官である護衛の女官を紹介された。
「お前にもう一人、護衛のできる者を付けることにした。シムハンソルだ。」
セリさんの隣にいた女官だと思っていた女性が、サッと武官の礼をした。セリさんもハンソルさんも素晴らしい擬態だ。
「ハンソルさん、よろしく。」
「はい……。」
「母上が必要だと言ってきたのだ。礼部の祭祀の絡みで、今後は王宮をでることもあるそうだ。お前が王宮からでる時には、女官以外にも、護衛官としての女官も必要だ。セリ以外にも、もう一人準備しておいた方がいいと言うことだ。」
「外のお社にお出かけですか。確かに、文献によると王宮の外にも、あちこちにお社がありましたね。」
「お前が行かなくても何とかしてきたのに。」
「私は、王妃様の下さったお役をしっかりと勤めたいと思います。」
「お前は真面目すぎるぞ。」
殿下との行政書庫でのひとときを終えて、午後は仕事へと戻る。書き物をするという行為がそもそも好きなので、どんな仕事がきても楽しい。
年が明けてから、ぽつぽつと、書記部での仕事時間中に、割り込みで礼部からのお仕事依頼が来るようになってきた。王妃様案件と考えられていて、「どうぞ行ってきて下さい!」と書記部を追い出される流れになっている。
呼び出されると、短い打ち合わせを行い、すぐに王宮内の社へと連れて行かれるのだ。毎回、「次はこの社に行く予定です」的な簡単な説明を受ける。それを受けて、以前に渡されていた冊子を読み込んでちゃんと覚えておくのだ。そして、突然に呼び出しがかかって、これからお願いしますと言われる。なんなのだろう、この無茶振り。
昼頃に呼び出され、礼部へと行き軽い打ち合わせを行い、今回もいきなりお社へと連れて行かれる。途中で急に空が暗くなり、バケツを返したような勢いで降ってきた。
「ご無礼お許し下さい。」
内官が一人近づいてきて、私を抱き上げると、広い袖で頭を覆ってくれ、近くの建物へと走って運び込まれた。その建物は普段何に使われているのかわからないが、私たちの集団以外にも、急に降られて困った人々が雨宿りに来ていた。
内官がかばってくれたおかげて、ほとんど濡れていない。私を台の上に置き、内官も文官も女官もわたわたとし始めた。
「ふふふ、冬なのに雨にぬれるなど。」
はたと私の声に気がついて皆が耳を傾けてくれた。
「しばらく、ここで、雨が過ぎるのを待ちましょう。」
おそらくこの中でもっとも身分が高いのは私だと思う。私が指示を出さないと、全員が動けなくなってしまう。
「……もう少しやむまで、動かないようにしましょう。今日伺うお社のお話でもしませんか。」
今日、予定していたお社に今日お参り出来るのか怪しくなってはきたが、打ち合わせは終わっている。私が祝詞をあげて、男性2名が神楽を奉納する予定だった。祭祀に詳しい、年期の入った文官や内官が、それぞれにかつて行った時の祭祀について、思い出しながら皆に話をしてくれた。
皆で話を聞いているうちに、傘をさした礼部の者たちが救援にやってきた。
「よかった、助けがきてくれましたね。あなたたち、お話ありがとう。では一端、引き上げましょう。」
いったん礼部の方へと引き上げ、皆が髪を乾かしたり、衣装を整え直して、1時間後に再度、今度はちゃんと傘をさしてお社へと向かうことになった。
夕刻になって、書記部へと戻れた。若干の寒気を感じて、湯をもらって飲んだりしてしのいでいたが、夜に湯をつかってもその寒気が抜けず、しまったと思った。夜のお部屋での講義を何とかこなすと、頭が少しふらつくような感覚が現れた。こんな時はあの薬を煎じて飲めばすっきりすると勉強したなぁ、などと思いながら早めに寝る支度を整えてもらう。
「今日はお早いのですね。お疲れですか?」
「今日はなんだか疲れたの。」
「でしたら、お早くお休み下さいませ。……寒くないですか?」
「えぇ、大丈夫。おやすみなさい。」
その日は自分の勉強とかそう言うのは全部置いておいて、早く寝ることにした。
高熱になり、全身が痛くて、頭痛もして苦しい!母上、助けて!
明け方、そういう夢をみて目が覚めた。目が覚めてから全身をくまなく動かしてみたが、全身の痛みも頭痛も無く、脈も至って普段通りだった。寒気もなくなっていて、暖かくしてゆっくりと休んだので、風邪はひかずに済んだという感じだ。起きあがると、カン女官が声をかけてくる。いつもより少し早いようだが、朝の支度をした。
なんだか、最近、勉強や仕事に追われている気がする。いや、以前からずっとそうだった気もするけど、要求水準が高くなった気がする。お給金分の要望には応えなくてはと思うが、何か緊張感がある。王宮にきてほんの2ヶ月。生活様式の変化になれ、人になれてきた。身分のせいだが、本当に皆、親切にして下さるし。
頑張らなくてはならないと思うが、何しているんだろうと思うことがある。それでも流されるように、要求されたことを学び、振る舞い、こなしている。
これは、不満なのか。不安なのか。怠惰なのか。何なのだろう。何かに絡め取られていくような感覚。
「そろそろ、お支度下さい。」
「あぁ、えぇ。」
ぼんやりと考え込んでしまっていた。カン女官に追い立てられて支度をし、いつも通り書記部へと向かう。仕事をしているうちに少し心が整ってくる。
さっきの思考はなんだったのか。そもそも、あれは思考だったのか、あの感覚は感情なのか。どちらにしても、不愉快になるならば、無駄だと考えるべきなのか。
「女官様、筆が止まられていますが、何かございましたか?」
「……いえ。」
「珍しいことでございますね。」
「そう?」
「あ、恋煩いとか、そういうのでございますか!?」
「……恋?」
「女官様の恋!」
「やだぁ、どなた様に?」
「すごい貴族様とか?」
その場の女官たちがなぜか色めき立った。
「いやいや。」
「女官様、少しは盛り上がりましょうよ。」
「女官様ぁ。」
午前中の仕事を終えると、礼部からまたお使いがきた。
「……あの、お急ぎを。」
昼食を食べる間もなく、焦った使いに急かされるように礼部へとやってきた。他の者も慌てていて、速やかに部屋へと案内された。
「女官様。」
「どうなさったのですか?」
「……その、今日は、その、王妃様の代理を。」
「はい?」
「王妃様が急にお出ましになれなくなってしまいまして。ヤン様にとなったのですが、生憎と体調が思わしくないとのことで、お宿下がりされていまして。あなた様しかいらっしゃいません。」
「……できるのでしょうか。」
「……今なら、1時間練習できます。」
「そう。なら、早く始めましょう。」
「……はい。」
祝詞を渡されて、儀式の流れを追っていく。王様が祝詞を唱えるという説明が入る。
「王様がいらっしゃるのですか?」
「はい、左様でございます。」
心の中で「ひょえー」と叫びながらも、皆の前では祝詞を唱えて儀式の流れを追う。色々な儀式を勉強してきたおかげか、初めてな文言は殆どない。ただ、王様との掛け合いの場面があったりするので、きっちりと押さえていく。似せて作られた祭壇の前で、動きも確認する。
「では、お時間ですのでお支度を。」
「……。」
いつもは白い衣装だが、今日は王妃様の代理ということだからか赤い衣装だった。
「ク上級女官様、お支度整いました。」
流れ作業のように、サクサクと皆が立ち働いている。先導者がいて、どこかの礼拝所へと向かう。祭壇へと案内され、しばらく待つと、王様が来た。
「……王妃は?」
「お加減が優れないとのことでして。」
「大丈夫なのか?」
「大したことはないと伺っています。」
「ならよいが。……ヤン女官は?」
「お宿下がりをされておりまして。」
「……この子が代理なのか?」
「こちらはクジェモ様の長女のウンジュ様です。王妃様のお許しは頂いております。」
「……そうか。じゃ、さっさとやるぞ。」
打ち合わせ通りにことは進む。すべてが終わると私は静かに礼をとる。内官が王様に次の予定を話し、王様はいくつか応えると、そのまま踵を返し、部屋から出ていかれた。
私とその他の礼部の者たちはその場で王様が退室されるのを待っていて、王様がいなくなると全員が片づけを始めて動き出した。
「……大丈夫だったかしら。」
長官が満面の笑みで側に近寄ってきたので、少し尋ねた。
「ク上級女官様、お見事でございました。王様と同席となると、いつもとは違うと思いまして、どうなることかと思っていましたが、無事に済みましたね。」
「……そうね、私も大変緊張しました。」
王様は、顔は見えなかったが、声は聞こえた。父上に似たところは感じなかった。殿下と似ていたのかと言われても、やはりよくわからなかった。
赤い衣装のまま、石の敷き詰められた前庭をシャリシャリと音を立てて歩いていく。後ろから礼部の者が付き従う。王妃様の代理だったのでいつもよりも大人数での大移動である。
我々が通ると、女官たちは当然、道をあけてその場に控えた。
王宮内での直系王族と言うのが、大変な権力を持っていると改めて思った。
礼部で着替えると、書記部へと戻る。まだ、微妙に仕事時間が残っていた。
「初めて王様に会いました。恐れ多くて、顔は見ませんでしたが、声は聞きました。」
「初めてだったんですか?」
「年始の宮中祭祀では、遠すぎて、ちゃんと見えなかったし、声は風にかき消されてしまって聞こえなかったし。」
書記部へと戻ると、いつも通りな雰囲気があって、少しずつ緊張がとれてきた。ぽつりと言葉を落として気がついた。王様の声聞いちゃった的な、なんかすごいことしちゃった的な単純な喜びの感情があった。
しかい、殿下のお父様とお母様が、遙か高み過ぎる。うちの両親の平民ぷりと比べても、全く意味がないが。王宮では何もかもが自分の常識とか想定とかを越えていく。
この国の基盤は、良い悪いを越えて、堅固な身分秩序にある。この秩序によって、すべてのバランスがとられている。人間を生まれで分ける発想はどうかと思う。でも、この秩序を壊すことは革命と同義で、社会の治安から税制度からすべての秩序が失われかねない気もする。
私自身に、こんなに丁重にかしづかれる理由はない。かしづかれる対価はなんなのだろう。




