50年の瀬
神の前にさらされた自分を、人にどう評価されようとどうでもよくなって、ソ女官に緊張するのをやめた。それに、仕事を終えて部屋に戻ると、毎晩、入れ替わりで様々な部署の者がやってきては、その部署の仕事の話を聞くのにも残念ながら慣れてきた。何をさせられているのかがわからないが、言われたまま、何でも素直に受け入れることにしている。どうせもう終わるのだ。
日一日と、カン女官が戻るのを待っている自分がいる。本当に、心の支えだった。いなくなって気がついた。カン女官は私の言動に非常に寛容で、気持ちを大切にしてくれていた。王宮ではこうするものなのですけど、と言いながらも私のやり方を認めてくれた。そして、本当に忍耐強くゆっくりと王宮のやり方を教えてくれていた。だから、今、ソ女官の前で、上級女官を演じることが出来ているのだと思う。
「ク女官様、1週間、頑張られましたね。」
「……ソ女官の意図が私にはわかりませんでしたが、これでよかったのですか?」
「はい。王妃様と今後の学習について相談いたします。それと、新年の行事を見学されたいか、確認したかったのですが。」
「見学出来るのですか?」
「招待客とは行きませんが、礼部の一員として壁際で立って見学する事は出来るそうです。お勉強が進んでいるので、実際の儀式を見たいのではないかとス部長が話していました。」
「……それは是非に。」
「事前に内官に補習もさせてくださるそうです。」
「それはうれしい申し出です。借りた本は一通り読んだのですけど、イメージがわかなくて。是非、お話を聞きたいですし、儀式も見たいです。」
「そう仰ると思っておりました。では、そのように話を回します。」
ソ女官との1週間は、かなり忙しい印象だった。日曜日が来て、セリが迎えに来てくれてホッとした。行政書庫に到着すると、本も読まずに、殿下のくれた指輪をさわってぐるぐると指の周りを回転させながらぼんやりしていた。
「おはよう、ウンジュ。」
殿下の声を聞いて、涙がこぼれそうだった。
「何があった。」
殿下は何かを感じたようで、あわてた様子で私の側まで寄ってきた。そして、顔に触れた。
「ソンイは先週帰ったのだったな。寂しかったのか?」
「……カン女官も今週はいなくて……。」
殿下が袖の中に入れてくれた。心が暖められて溶け出すようだった。ここにも家族がいると思った。
「ソンイはまだしばらく戻らないだろう?」
「いえ、カン女官が戻るので大丈夫です。」
「そうか、それはよかった。」
「私が主人なのですけど、姉上のようです。大切に仕えてくれています。」
書架の立ち並ぶ奥で、殿下は座って、私を膝の上に抱えた。目を瞑って殿下に寄りかかる。頭に手を置かれていて、温かくてホッとする。
「殿下、ちょっとホッとしました。」
「お前のご両親が、早く王都に参られるといいのだけどな。」
「そうですね。でも、殿下は優しくして下さいますし、カン女官もいますし、いつもなら兄上も近くに住んでいますし。大丈夫です。」
「お前は、いつもは年よりも大人びた言動をとるから、何となく騙されてしまうが、幼いところもあるのだな。」
「……私は自分が幼くて未熟だという自覚しかありません。」
「ははは。そうか。気をつけよう。」
私の気分が一段落つくと、殿下は数名の者と私と簡単な作業打ち合わせを行う。そして、私たちは、相変わらず帳簿から品物の動きを把握しようと書物に向かう。色々な不審な点が見つかるが、すぐに動けるものでもない。利権とか派閥とか朝廷にも色々と難しい問題が山積みのようだった。
でも、知ってるのと知らないのとでは彼らとのつきあい方が変わってくるだろうと言う。不正をする相手だと知っていれば警戒もするし、逆に利を示せば従わせられる可能性も高い。時間のある王太子時代に、様々な文書にあたっておきたいらしい。
「殿下は武芸などもたしなまれるのですか?」
おやつを食べながら聞いてみた。
「色々、やらされているというのが正直なところだろう。弓も剣も、一通りは人並みには扱えるぞ。」
「それは、すごいですね。我が家では何一つ武芸に関することはなかったように思います。」
「ソンイはこの一年、武芸もかなり励んでいたよ。」
「そうなのですか?……確かに、兄上は身長もだいぶ伸びましたし、なんだか逞しくなられました。」
「大学の体力大会でも、きっちり順位を上げてきていたよ。」
「そうなんですか。ふふふ、実は自慢の兄上なのです。」
「自慢かぁ。うちの兄弟たちは、君たちのような育ち方ではなかったしなぁ。そういう尊敬は得られないだろうな。」
話を聞くと、全員乳母がついていて、仕える女官も住む部屋も少しずつ離れているらしかった。毎日、母上のところへ行き、ご挨拶をして兄弟で一緒に過ごしたりもするが、すぐ脇には何人もの女官が侍っている。何か揉めてもすぐに間に入ってくれる大人がいる状態のようだった。それでは、兄弟喧嘩とか出来なさそうだ。
近所の子と遊ぶ、と言うのもないだろう。ちょっと、特別な感覚の大人になるんじゃないかと心配だけど、殿下が変な人かと言われれば、きわめて普通の人に見える。誰かにかんしゃくをぶつけるでもなく、穏やかそうに見える。
「殿下は大人に囲まれて育った感じですよね?」
「確かに、内官も女官も大人だよな。勉強も博士たちは爺ばかりだしなぁ。最近では大学に潜り込んで、図書館なんかで話をしたりして、同世代の話せる相手を捜したりもしたけど。ソンイも、それで見つけた。」
「……大切にされてお育ちになられたのですね。」
「そうなのだろうけど、お前の方が楽しそうだ。」
殿下はなんだか納得がいかないという感じの表情をした。内官とか特定の女官とは非常に親しく生活している様だったし。しかし、殿下の育ち方とか、生活とか、そういうのを聞く機会は初めてだったような気がする。とても、新鮮な話題だった。
殿下のお手伝い読書を終えると部屋へと戻ることになった。部屋まではいつも通りセリがついてきてくれて、部屋に戻り声をかけてくれるとカン女官が静かに出てきてニンマリとほほえんでいる。
「お帰りなさいませ。」
「それはこちらのせりふよ。」
「はい、ただいま戻りましてございます。」
「おかえり。」
「さ、お入り下さいませ。」
寒い寒い屋外でおしゃべりをするのはいただけないと、カン女官は私の手を引いて中へと招き入れる。
「はしゃぎ過ぎだよ。」
ソ女官の苦言を初めて聞いた。
「ソ女官も、苦言を呈することがあるのね。」
「「え?」」
女官二人で疑問符を口にして、二人で目を見合わせる。
「……ク女官様は正直、文句のつけようがなく、残念ながら、私は本領を発揮できませんでした。」
「ソ女官に苦言を呈されない女官なんて、見たことがございません。」
「お前は主人の前でも、どうも口が軽いようだ。」
「なんだか楽しそうだわ。私も粗相をすればいいのかしら。仲間に入れてもらいたいわ。」
「……カン女官がいると、ここまで崩れてしまうのでございますか?」
「あ、苦言、出た!」
「ク女官様、立派な猫をお飼いになられている様でございますけど、逃がすことのないようにお気をつけ下さいませね。」
「ふふふ。」
「カン女官、そなたはなかなかいい仕事ぶりのようですね。今後も、ちゃんとク女官様にお仕えなさいね。」
「はい、もちろんでございます。」
カン女官が帰ってきただけで、なんだかホッとした。ソ女官とも上手にやってはいたけれど、それはそれ、これはこれって感じで別次元の問題だ。
「では、ク女官様、今後もお勉強や祭祀のおりにお会いしますので、よろしくお願いいたします。」
「えぇ、こちらこそ。」
ソ女官は挨拶をすると、あっさりと帰って行った。
「それで、家ではどうだった?休めた?」
カン女官に声をかけると、苦そうな顔をしながら、カン女官は家であった色々なことを語り始めた。弟が大学試験準備でイライラしていたとか、父親の体調のこととか、母親とのやりとりとか、話は尽きないようだった。
でも、昼の鐘がなると、カン女官は少し慌てたようにして、話を打ち切って昼食の支度をしてくれた。
「久しぶりに人と食べるような気がするわ。さっき殿下とお菓子は一緒に食べたけど。」
「あ、一緒に食事していたこと、ばれていませんね?」
「まかせて。完璧な上級女官を演じきったから。ソ女官も立派な猫だと言っていたでしょう?」
「驚かれていましたよね。さっき、ちょっと軽口をきいたのが、最後の最後で地を出した感じだったのでございましょうね。」
「私の地はもっと庶民よ?」
「猫に逃げられないように、ちゃんとつかんでおいてくださいませね。」
「確かに。これを逃がしたら、お祖母様に大目玉をくらいます。」
午後の仕事へ行くと、年始に使う文書で溢れていた。この一週間、いろんな部署の女官から仕事内容を説明されたのが、地味に役に立っているような気がする。
年の瀬、休暇をとる人が増え、王宮内で仕事をする人はだいぶ少なくなっている。書記部も人がまばらで、仕事じたいも少ない。時々仕事が舞い込むので、一応、誰かが待機していているが、仕事のない時間には写本をしたりしている。
仕事の後、カン女官が迎えにくる頃に、礼部の人が連絡にやってきた。ソ女官の連絡体制の緻密さに驚かされるけど、その日は夕方から2時間程度、礼部で大晦日の夜と新年の朝に行う祭祀の打ち合わせと、新年の王様たちの行われる祭祀の見学の打ち合わせをする事になった。
私が祈りを捧げる社はどこもこぢんまりとしている。でも、なんだかちょうどなようにも感じる。子供な私が、ほこらの前で練習させてもらっているような、そんな感じ。
大晦日の夜、雪が舞う中、王宮の裏山に面した祠の前で、傘をさしてもらいながら祝詞を奉納する。基本的に暗闇だ。祭壇に明かりを灯し、周囲に数名の女官が明かりを持って立っているが、そんな程度の明るさである。跪くので自分が立つ場所にだけ板と座布団がしかれ、その上で祝詞を捧げて祈りを捧げる。終わると、礼部で着替えて、部屋へと戻る。
部屋に戻ると、机の上に小さな箱と文が置かれていた。
「人のいない部屋に入るなんて。殿下の内官でなかったら許されませんよ。」
カン女官がぶつぶつとつぶやいている。
「殿下からだわ。」
祭祀のお手伝いを労う言葉とか、いろいろと書かれたお手紙だった。読んでいて心が温かくなってくる。
「さて、明日も早いのですから、本日はもうお休みくださいませ。」
「えぇ。カン女官、いつも本当にありがとう。来年もよろしくって言ってもいいかしら。」
「もちろんでございます。こちらこそ、至らない面もございましょうが、よろしくお願いいたします。」
カン女官はすっと跪くと丁寧にお辞儀をしてくれた。
布団に入ってから、この一年を振り返ってみた。去年の大晦日は、家族と過ごしていた。兄上の大学合格を祈りつつ、自分の身の振りをおもいつつ、そんな気分の中でも写本をし続けていた気がする。
そして、兄上の合格と奨学金の連絡を受けて、自分は売られなくてもよいのだと考えていたのだった。売られていたら、このふかふかの布団とは縁のない、また違う一年だっただろう。
上級女官として宮中に入ったが、書記部での仕事以外に、王妃様の計らいで色々な勉強をさせてもらっている。王女様ともおつきあいを許され、今は祭祀への導きもいただいた。宮中での自分の居場所を、作ってもらえている様に感じる。
ただ、王宮というのが自分の意志の通用しないところだと、皆が言っていた。医官補になりたいという私の希望は完全に無視された。殿下とのことも、思い通りには行かない未来も覚悟しておかないといけないのだと思う。
殿下の甘いお手紙と、それに心躍る自分がいる。でも、私たちに決まった未来は描けない。殿下は、自然災害ひとつで、政治的な影響を受けるのだ。未来の王妃を輩出することをもくろむ家はいくらでもあると思う。そして、私でない方が国にとって有益な場合もある。王様と王妃様が、殿下と私について、どのように結論づけるのかは、まだ全くわからない。
それでも、殿下からのお手紙は、本当に温かくて嬉しい。殿下をお慕い申し上げている、この気持ちも本当だと思う。ただ、この気持ちがどういう物なのか、私にはまだわからない。
願わくは、来年も平和でありたい。そして、家族と会いたい。




