5たまご
ウンジュは、朝起きると、今日も畑に出て、芽かきをしたり、うっかり伸びてしまった枝をかいたりした。そして、走って川へ行き、釣り糸を垂れた。数匹でもかかってくれるとありがたいのだけど。6時の鐘がなった頃、今日はダメかと思った頃に、引きがかかった。
「良かった。」
戦利品は1匹の小鮒。少しは父に栄養をつけないといけない。無いよりましだ。
帰宅して、小鮒を1匹、母に渡すと、母はすごくうれしそうにしてくれた。よかった。
身支度をして、7時の鐘までの時間に、兄が送ってくれた新しい本の写しを読み上げた。読み上げると父が講釈してくれる。それを私はメモ帳に書き写す。そして、もう一度読み上げ、2度目は父の講釈も読み上げる。この読み方は、注釈本を書くときにしていた読み方で、二人で気に入っているのだ。父の講釈ノートを兄に送ってあげたら、喜ぶに違いない。それに、これをほかの文献と併せて講釈していけば、また売れる本に出来るかもしれない。
「あ、鐘だ。では、父上、母上、おばあさま、出かけてきます。」
「しっかりとつとめるように。」
「はい。」
「走らないように。」
「はいはい。」
「お前は姫なのですから、どこで何をしてようとも、それを忘れては我が家の恥です。」
「……はい、しかと、わきまえております、おばあさま。」
「よし。行っておいで。」
「はい。」
医院に向かうと、今日は誰も門の前に並んでいない。
「ウンジュです、おはようございます。」
開かれている門を中に入り、半分開いている扉の前で声をかけた。
「お入り。」
「おはようございます。」
「あれ、大荷物だね。」
「今日までの写本ができあがったので、夕方に本屋に持って行こうと思って。」
「何の本?」
「これです。」
最近、父と注釈つけている原本を見せた。
「あぁ、これ、このあいだ買ったよ。これ。」
「あ、それ、私が写したものですね。お買い上げありがとうございます。」
「もしかして、それじゃあ、この本とか、読めたりする?」
先生はおもむろに立ち上がり、ごそごそと、納戸の方から本を数冊持ってきた。古く、繰り返し読み返され、赤い線やメモが挟まれている。
「医学の入門書で、衛生についてや人間の体や薬草について簡単にまとめられている本だ。医学っていうのは、取りあえず、暗記してから考えるという学問でね。これを覚えられるようだったら、是非覚えてもらいたいのだけど。」
「……わからない部分は教えていただけますか?」
「とうぜん。」
「家との往復時間、暇だと思っていたので、これを覚えてみたいと思います。」
「……じゃ、その本は貸すね。」
時間がくると、木札を持って門の前へと向かう。白い前掛けと三角巾を用意してくれ、ちょっと、医院のお手伝いっぽい出で立ちになっている。患者はご近所で知り合いだらけなので、からかわれたりしながら、木札を渡して待合いに移ってもらう。
診察が始まると、先生に言われるまま、色々なものをとったり、処方箋を写したり、出納帳を記入したり、お野菜を受け取って台所に持って行ったりした。
包帯の巻き方なども患者さんの協力の下、実地で練習させてもらいながら修得させてもらっている。
午後、患者さんが捌けると、洗濯物やナイフなどを煮沸消毒して、洗濯台に干していく。
「今日のウンジュの取り分はこれね。卵とか持っていく?」
「卵もらえるんですか。」
「たくさんもらったんだよ。温めたらひよこになるよ。」
「……鶏がいたら、父上が毎日、卵食べられますよね。卵もらってもいいのですか?」
「……孵すの?」
「はい。」
「卵は結構毎日もらうから、たくさんあげるから、孵すのは数匹にしてみたらどうかな。」
「父上に栄養をつけるために、小鮒を釣ったりしていたんです。卵の方が食べやすいですし、体にも栄養になりそうです。本当にありがとうございます。」
夕方、本屋に寄る。先生も一緒に行くと言うので、一緒に医院を出た。野菜や卵の入った背負い籠が荷物として増えた。医院と本屋は目と鼻の先である。
「お久しぶりです。店長いますか。」
「おぉ、ウンジュ、待っていたよ。おや、ホン先生まで。お噂を聞いていますよ。」
「ウンジュを預かれる幸運ってやつか。」
「当然です。」
「……?……店長、写してきたものを出してもいいですか?」
「あぁ、ここに出してくれ。」
隅っこの机に、いつものように座って、荷物から写本5冊ともう1冊と出していく。
「これが約束の写本です。それと、メモの清書がこれ、父上がこの本の注釈書を書いていて、ちょうどできあがった所です。注釈本は何冊くらい写しましょうか。」
「ジェモ先生の注釈本ですか、それは、10冊くらいお願いしていいですか。」
「わかりました。同じくらいの厚さなんで、出来上がり次第、お持ちします。ホン先生の所に毎日来るので、お急ぎの清書なんかもお引き受けできるかなと思っていますので、よろしくお願いします。」
「それは……明日の朝までなんだけど、今、筆者師を探していたんだけど、この本の清書頼めるか?」
「……明日の朝だと、医院があるので……。」
そこでホン先生が口を出してくれた。
「うちにくる時間は7時半くらいだけど、うちにくる前に本屋によってくるくらいはうちは全く問題ないよ。店長は?」
「うちは、それで結構です。たすかる!」
「なら、お受けできます。少しでもお金になるなら本当にうちも助かります。」
そんなこんなで、医院に通い始めてからは、緊急のお仕事を受けることが出来るようになってきた。明日までにこのメモ束を冊子にまとめて欲しいとか、このノートの写しを2部大至急、みたいな作業を請け負うようにしている。
夕方4時締め切りで、翌朝仕上がりの仕事を受注できるということになり、重宝されている。
医院での仕事も少しずつなれてきて、新しい生活に家族もなじんできた。
「ウンジュが色々と引き受けてくれるようになって、うちは商売上々だね。」
「私も夜忙しいですけど、すごくありがたいです。」
「ホン先生の所はどうだい。」
「ホン先生は本当にいいお医者様だと思います。少しでもお手伝いになればいいのですけど、私はまだ幼いので、お役に立てているか心配です。」
「いやいや、お役に立てているかどころか、今や、いつジェモ様に、そろそろ返して下さいと言われないかと、心配なくらいだよ。」
「あら、先生。」
本屋で店主と仕事の話をして、最後におしゃべりに花を咲かせていると、不意に話題の人が声をかけてきてびっくりした。その場にいない人の悪口は言ってはいけないと言うけど、悪口じゃなくてよかった。どきどきしながら、ホン先生の話を聞いた。
「この子は本当に利口だよ。ウンジュのことはソンイ君の妹として噂には聞いていたが。それより、ソンイ君は大学を楽しんでいるのだろうかね。」
「この間、兄上からお手紙が来たのです。寮では4人部屋らしいのですが、同室の方達はとてもいい方達らしくて、早々に友人が出来たそうです。お休みの日はいつも王都を散策することも書いてありました。様々な人が住んでいて驚いているとありました。」
「あぁ、王都を見学するのは良いことだね。僕も学生時代は色々と考えさせられたものだよ。」
「そうですね、先生も大学に行かれていたのですよね。……王都ですか。私は見たことがありませんので、大きな建物がたくさんある位の話しか知りません。」
「次期に、ソンイ君がご家族を王都に呼び寄せるときがくるだろう。」
「店長?」
「ソンイ君は優秀だから、いつまでも貧乏暮らしというわけはないだろう。この地域から官僚を出せるということに、我々は期待しているんだからね。」
ホン先生が店長の話を継いだ。
「……そうですか。私、生活のことばかり考えていましたけど、兄上や父上は政のことをよく話し合っておられました。私も、兄上や父上の役に立てる娘にならなくてはいけませんね。」
「私が出来るのは、君に少しの医学知識を付けることだけかな。」
「ホン先生、医学を仕込んで、あなたはお嬢様をどうされるおつもりなのでしょうかね。」
「この子にとっては、医学の知識はきっと生き抜くのに必要な知識となると思うよ。王宮は恐ろしいところだから。」
「……。」
「王宮ですか?」
「君は取りあえず、勉強と仕事に励むように。」
「はい。そういたします。」
「では、そろそろ、お帰り。明日までの仕事があるのだろう?」
「はい、ではまた、明日。失礼いたします。」
家路への道、いつの間にか春の花々が終わり、新芽の淡い色合いだった木々は、くっきりとした新緑で染まっている。小さな虫も飛び交い、少しうるさいときもある。
家までの道はいい匂いのする道である。家々から様々な夕食を作るにおいが漂ってくるのである。肉を焼いている家もあれば、魚を焼いている家もある。うちは食べ物が今日もあればいいなぁなどと思うレベルなのだが、先生に数個の握り飯と菜っ葉、卵を持たされている。家に帰ったら、母に調理してもらって、雑炊を作ってもらえるかもしれない。
家に戻ると母が何かを作っていたが、こっそりと入って、もらってきたものを静かに渡す。
「ありがたいわ。」
「そういえば、この卵、温めると雛が孵るって。」
「……鶏になったら餌は草でいいのかしら。」
「たぶん。」
「うるさくないかしら。」
「父上に相談して、良ければ。お米やお野菜は取りあえず、少しはあるんでしょ?父上の体力をつけるのに、肉とか魚とか、そういうのが不足しているんだよね。」
「そうなの。」
父上は鶏のことは了解してくれた。
「父上、申し訳ないのですが、この籠、父上の布団の中に入れてもいいですか。」
母上と祖母が、私の申し出に、盛大に吹き出した。父上は苦そうな顔をしたが、どうぞとばかりに布団をはがした。父上には悪いが、父上の布団の中が一番暖かいだろう。
「よろしくお願いします。」
「あいわかった。」
父上が卵達と仲良く同衾する日々が、その日始まったのだった。




