49祈る
日曜の朝に兄上とそのお友達を見送ると、その足で行政書庫へ行き殿下の手伝い仕事をした。午後は昼食を終えるとソ女官がやってきて交代を告げた。カン女官が下がり、ソ女官がその場に残る。てきぱきと昼食の準備をされて、独りで食べることにする。ソ女官が泰然と構えてその場に座っている。お祖母様曰く「平然とした顔をしていないといけない」のだが、沈黙が怖い。
「ク女官様、そのように緊張されなくてもよろしいのでございますよ。」
「……はい。では、今週の予定を教えて下さる?」
「はい。夕方まではいつも通りお過ごしください。今夜、少し、お話をお聞かせいただきたいのですが。」
「話?」
「はい。それと、明日の午後は宮中祭祀と作法についてお勉強をと思っています。」
「宮中祭祀?」
「はい。王宮にお住まいの王族は少なく、ク女官様に担っていただけるとありがたい儀式がいくつかございます。明日の午後にお話をさせていただければと思うのです。」
「……わかりました。」
宮中祭祀か。礼部の年間行事や王室の祭祀について読んでいるが、小さな祭祀も細々と行われてきているようだった。王様や王妃様が行う大がかりなものから、王女や王子でも出来るようなものまで様々である。
そして、その時々の王族の人員的キャパ、その時代の要請で、行ったり中止されたりして来ている。国土と、そこを治めてきて神となった人々を、あるいはそこで祟り神となった神々への祈りが、連綿と捧げられ続けてきている。
上級女官と言う制度は、そもそもは宮中祭祀を補う為にあったのかもしれないと最近思っていた。私は書記部の人手不足を補うと言う意味で重宝されてはいるけれど、これは何も王族を雇う必要はないのだ。
それ以外にも、上級女官となると1人までは女官を侍女として使用できることになっている。身の回りの世話を、王宮での公務員たる女官にさせるのだ。給与をもらいつつ、世話までしてもらえる。破格の扱いだ。
書記部へと行く時も、迎えの時もソ女官の動きはカン女官と変わらなかった。いつも通りだ。カン女官は気安くしてくれていたが、勤めは果たしていたのだと思った。ソ女官の方がどうとか、そういう違いのようなものはなかった。
入浴だけは手伝いを固持したが、時間をかけて説得されてしまい、結局は若い女官をつけられた。母上や兄上以外の人に体を洗ってもらうのは何だか恥ずかしい。
王太子妃になったら、こう言うの断れなくなるんだろうなと思った。仕事を奪うことになってしまうだろうし。それに、私が嫌がる理由を女官側に求められて、何もない不手際を指摘されて、処分されちゃったなんてなったら目も当てられない。
夜になると、ソ女官が声をかけてきた。話をする予定になっていた。
「女官の教育係の者を入れてもいいですか?」
「……どうぞ。」
教育係と呼ばれた女官が3名、たくさんの本を抱えながら部屋に入ってきた。1人が中央で挨拶をはじめ、その側に他の2人は本を積むと頭を下げながら退出していった。それからは、その教育係の女官との会話だったが、基本的には学び落としがないかという確認だった。各種の本を暗唱させられたり、解説を加えさせられたりした。
その中で完全に学び落としとなっている箇所として、女官規則があった。
「生活が落ち着かれたらと、後回しにされていたのでございましたね。」
ソ女官がそうだった、と言う感じで言う。
「この本には、女官制度や部署について、女官としての振る舞いの規則などが載っています。ただ、ク女官様は礼を受ける側なので、あまり関係ないかもしれませんが。」
「……いいえ、王宮内の女官の職階やそれぞれの規則を知っておいた方がいいと思います。是非教えて下さいませ。」
教えると言うほどのものではないということで、本を借り受けた。後日、ご理解いただけたか確認をいたしましょうという話となった。その夜は予定通りに話せたようで、本を一冊渡されてお開きとなった。
教育係の女官が下がると、ソ女官に着替えをさせてもらい、布団も敷いてもらう。少しの間、文机で外国語単語の復習をしていると、そろそろ就寝をと促される。それに従って布団に入ると、灯りが落とされた。
何だか久し振りに1人になった気がする。兄上も家についているだろう。殿下のことを父上達に伝えたのだろう。何を言われているのだろうか。何か、恥ずかしい。
目を開けて天井を見る。目が慣れてくると暗闇ながらぼんやりと形が見て取れる。
以前、寝付きが悪くて、ため息をついたり動いたりしていたら、カン女官が一緒に寝てくれたっけ。カン女官は今頃、家で少しはくつろげているのだろうか。
色々と考えたりしながら、いつの間にか寝たようだった。朝、自分で起きようとして思いとどまった。起きていいという許可が出てから起きるのが正式だった気がする。気がついてもらえるように、寝返りを打ってみた。
「ク女官様、お目覚めでございますか?」
「えぇ。」
「では、お召し替えなどをお手伝いいたします。」
私の寝返りの音に気がついて、ソ女官の声がかかる。部屋に入ってくると、さすがに手を借りないで起きあがる。
布団から出ると用意されたたらいで顔を洗って顔を拭く。座って待っていると髪を整えてくれ、着替えをさせてくれてる。そして、文机で本を読み始めると、ソ女官は布団を片づけてくれる。
「朝食はすぐに召し上がられますか?」
「……そうね。いただこうかしら。」
「では、お待ち下さいませ。」
本を読んで待っていたが、ソ女官はすぐに食事係の女官1人に部屋まで膳を運ばせた。さすがに重くてもてないのと、やはり人を使う立場にずっといたので人の使い方がうまい。昨晩もそうだったが、色々と盛りつけられていて、絶対に4人分くらいある気がするし。
ちょこちょこともったいないと思いつつ、まんべんなく箸をつけて食べ過ぎないあたりで箸を止める。食事が終わるとお茶を入れてくれて、それもいただくと後は読書タイムだ。
「パク先生の授業までここで勉強しようと思います。」
「さようでございますか。では、私は次の間におります。行かれる頃にお声をかければよろしいですか?」
「お願いね。」
学習の基本は音読である、と言う気がする。パクジェイン先生の語学もひたすら音読して耳に変な音を馴染ませるしかない。ひたすらの意味のない単純暗記は疲れる。いつもの本を暗唱するよりも、繰り返しが要求されるように感じる。ある程度の量を覚えるまでは、これが続くのだろうか。それとも永遠にこのままなのか。
外国語の本を読めたらと浮き足だった時もあったが、今はなんだかはずれくじをひいたというか。王妃様の許可がでているので、今更、やめることも出来ず、すっかり飽きてしまって楽しさを見いだすことも出来ず、ひたすら暗号を暗記している気がする。
鐘の音で現実に引き戻される。そろそろ出かける支度をとソ女官が入ってきた。
講義へ行き、昼の鐘の音で授業を終える。パク先生はいつもほめて下さる。そして宿題をたくさんくれるのだ。ため息しかでない。
「どのくらいで習得できるものなのでしょうか。」
「……ふふふ、まだまだ、しばらくは努力あるのみという感じかしら。」
「さようでございますか。」
「頑張って下さいね。」
「かしこまりました。」
基本となる文型を覚え始めているが、記号の羅列を覚える。単語を使い始めたので、ちょっとパズルのような感じでもある。
講義を終えて部屋へ戻ると昼食である。昼食をすませると、午後のお話は別の部屋でしたいとソ女官が伝えてきた。
連れて行かれたのは後宮の礼部だった。結構広い建物で、年末だからなのか、人が少なくて、数人の内官が打ち合わせたり、書類をチェックしたりしている様子が見られた。
「こちらです。」
大きな8人掛け位のテーブルとイスが並べられた部屋へと通された。一番の上座をすすめられ、そこに座った。
「こちらの石板をご覧下さい。」
「……これ、きれいねぇ。」
ソ女官は、棚に置かれていた数枚の石板を、丁寧に机に並べていった。
「これ並べ順が違うわ。最初の部分はこれね。」
「……ソ女官殿、ク女官様にご紹介下さい。」
一緒に入ってきて、壁際で侍っていた内官がソ女官に声をかけた。
「ク女官様、こちら、内宮礼部の部長をしているスユファ部長です。」
「よろしく。」
「スと申します。よろしくお願いします。早速なのですが、こちらの石板ですが、正しい順に並べ直していただいてよろしいでしょうか。」
「……えぇ、よろしくてよ。」
意外と軽い石板を、落とさないように丁寧に順番を入れ替えた。不思議な板で、古そうなのに黒々とした美しい墨が光っている。そして、それは丁寧な細工で貝が填められているのか、虹色に艶めく花と蔓が描かれている。
「何が描かれているのか、お話いただけますでしょうか。」
「……?……神話ね。この板で、神が生まれる話、これが国作り神話、こちらが神々の物語。この板は礼部で作っているの?誰の筆跡なのかしら、すごく美しいわ。この虹色の細工も素晴らしいわ。これは国の宝ね。」
「……。」
「ス部長、申し上げました通りでございましょう?」
「えぇ、えぇ、ソ女官殿、お話には聞いておりましたが、これが読めるのであれば、十分にご理解をいただいて、儀式を執り行っていただけるのではないかと思います。」
石板はひとつの試験のようだった。
話は実際の儀式に移っていった。儀式の流れや実際の動き、物の配置も全て明文化されている。そして、儀式自体はどれもシンプルで、祭壇の前で祝詞を読むだけであった。
「祝詞を覚えていただけたら、何度か練習をして、実際に一度、儀式を執り行って頂きたい。」
とりあえず、今日出来る儀式として、まず説明を受けたのが、峰明殿という殿閣で行われる、太陽と月をまつる儀式だった。太陽と月を、王と王妃になぞらえて忠義を示す儀式のように感じた。
祝詞を覚えると練習室へと連れて行かれ、祭壇を峰明殿と同じように配置し、礼のタイミングや、祝詞のタイミングを繰り返し練習した。そして、合格が出ると、この寒い中、水浴びをさせられて、白衣に着替えさせられて、峰明殿へと向かった。
雲が垂れ込めていて、いつ雪が舞ってきてもおかしくないようなお天気だ。午後もだいぶ日が傾いていて、昼間のほのかな温かさも薄れ、冷気があたりを包んでいる。練習に時間をとられ、すでに3時の鐘が鳴った後である。
峰明殿に入ると暖房が焚かれていて暖かかった。ちょっとほっとしながら、礼部の者に導かれて祭壇へと近づいた。先ほどまで練習していたのと同じような配置の祭壇が整えられている。
「ク女官様、お始め下さい。」
「……えぇ、わかったわ。」
大きく手を挙げて、ひざまずいて礼を捧げる。祝詞を奏上し、王権の安泰と、国土の豊穣を太陽と月の神に祈る。祈りを捧げていると、頭の中がすっきりとしてきて、ひとつのイメージがわいてきた。それは、祈りが神に触れ、神威は大水のようにこの殿閣から外へと溢れ出し、それは王宮を満たし、王宮からも溢れ出たそれは、いずれは国土をも満たすのだ。それは生きとし生けるもの全てのものに、大いなる活力を与えてくれるというものだった。
祈りってささやかな行為だけど、神への捧げものである。神の影響力は全地へと及ぶ、偉大な影響力のあるものなのだ。
儀式を終え、控え室でお茶を頂く。初めて式を執り行ってみて、気が高ぶっているのか、鎮まっているのか、自分ではわからない。変な感じがする。熱いお茶の器から指先に熱が伝わり、それが現実に引き戻してくれるようだ。
「いかがでございましたか?」
ス部長が声をかけてきた。
「この儀式、私がしていいのかしら。」
手の中で茶器をころがしながら、ス部長に視線をあげて小さく問う。
「どうかされましたか?儀式は、非常に上手に執り行われたように見えましたが。」
「……祈ってみて、祈ると言うことの意味を感じたの。祝詞や所作を通して、言葉や思いを神へと届けると、神は生きとし生けるもの全てに恵みを与えて下さる。私のような小さな者が介在するなど畏れ多くて、かえって神の怒りを買うのではと思ったの。」
「ク女官様、この式は直系傍系王族の男系女子が担ってきました。ク女官様は十分に相応しいお立場です。」
「……そう。わかったわ。」
これは一種の役割なのかもしれない。生まれながらに担う役割というのがある。田舎町でも祭りの担い手として、代々同じ役を受け持ったりするものだ。相応しからぬ重大なお役目に感じるけど、精一杯つとめよう。相応しいなんてぜんぜん思えないけど。
外へ出て、礼部の内官の案内で礼部へ戻ることとなった。
「あら、ウンジュじゃない。ヤン女官だと思ったわ。どうして、そんな格好をしているの?」
「王女様、今日は礼部のお仕事を手伝っておりまして。」
ミヨン王女と美しい少女が共に歩いているところに出くわしてしまった。
「ウンジュは、色々とやるのねぇ。そうだ、ウンジュ、こちらサン ジナ。ご病気で廃されたソウォン王太子妃の従姉妹なのよ。時々、遊びに来てくれているのよ。ジナ、こちら、クウンジュよ。」
「サンジナでございます。」
「クウンジュでございます。」
挨拶を交わす。
「今日はもう送っていくところよ。じゃ、ウンジュ、またね。」
「はい、お気をつけて。」
「失礼いたします。」
場所柄なのか、王女様に会ってしまった。廃された王太子妃の従姉妹さんだった。ソウォン様には妹はいないが、年下の従姉妹が1人いると聞いたことがある。政略結婚なら、ソウォンの代わりに同じ家から継室をだすのが普通だ。この子が本来だったら王太子妃だったのかもしれないと思った。
見た目では性格まではわからないが、とても美しい人だった。振る舞いに品があって、着ているものも実家の権勢を伺わせるようなものを身につけている。
王女様とはその場ですぐに分かれて、礼部に戻り身支度をするとソ女官と部屋へと戻った。
「なんだか、初めてのことばかりで疲れたわ。」
「今日、祭祀まで出来るとは思っておりませんでした。」
「……そうなの?がんばり過ぎたかしら。」
「ス部長は次に向けて準備すると仰っていたので、そのまま頑張り続けて下さると助かります。」
夜になって、布団に入り眼を閉じると、祝詞を捧げていたときの感覚が戻ってきた。そう、強制的に清めを受けている感じ。思いも行いも見透かされるようで、全てがその場にさらけ出されるのだ。




