48帰省*
試験が終わり、学内は気の抜けた学生があふれている。今週末の試験結果を確認してから皆それぞれ帰省する。
僕は講義から解放されて、心行くまで図書館で過ごしている。主に科挙での出題されてきた本の詳説を読み直している。たまに、サム先輩が来ると作文を見せてくれる。作文の内容について、2人で話し合ったりするのも楽しい。
週の途中でウンジュから手紙が来た。帰省する前に見送りたいから王宮によってもらいたいとあった。見送りもいいが、とりあえず、土曜日の夕方に王宮へ行っていいかと手紙を書いて、王宮の門で届けてもらえるように渡してきた。
週末、試験の結果が発表された。今回のご褒美は図書券だった。
学長先生曰く、現金を渡すと、全員での飲めや歌えの宴会になってしまうと思ったので、図書券とした、とのことだ。いい案だ。受験した教科に関しては、主席を維持した。今回は空き時間も多くしたので、全教科制覇、みたいな感じにはならなかったが、十分な図書券をもらうことができた。
土曜日に王宮を訪ねると、カン女官が時間を見計らって出てきてくれたようで待ってくれていた。
「カン女官殿、いつもありがとうございます。」
「お待ち申し上げておりました。女官様もお待ちでいらっしゃいます。どうぞ。」
「寒い中来ていただいて、申し訳なかったですね。」
「お心づかい、いたみいります。」
カン女官はいつも通り、裳をバサつかせず、早いのに静かに歩かれる。ウンジュが家ではお祖母様に散々に躾られていた動きだ。ペタペタ歩かない、バサバサさせない、真っ直ぐに歩きなさいという言葉が頭に焼き付いている。僕は言われたことがないが、ウンジュは散々に言われていた。
女官達は同じ衣装を着ているのに、立ち姿や所作で、それぞれに品の有る無しがはっきりと表れていた。カン女官は非常に品があるように感じられる。たまに軽口をたたくようなことをするが、しっかりと躾られているのを感じる。
「兄上、お待ちしておりました。」
ウンジュはここでは基本的に、お嬢様の振る舞いを続けている。部屋の中から自ら飛び出してくることはなくなり、物音で私たちに気がついていても中から大きな声をかけてきたりもしない。
カン女官が外から室内へ声をかけると、静かにゆったりと言葉をかけてくる。僕が部屋の中に入ると、滑らかに立ち上がって、するすると近寄ってきて、すっと跪いて頭を垂れて挨拶をしてくれた。
「所作が美しくなってきているね。」
「そうでございますか?周囲の人にどのように見られるか気になるので、部屋の外での動きが自然に見えるように、いつもの動作も一応、気をつけているのですけど。」
カン女官がお茶と菓子を運び込むと部屋を出ていった。
「兄上、隣に座っていいですか。」
「……ここに来るか?」
「はい。」
ウンジュは美しい所作というのはその場に投げ捨てたらしい。ペタペタと近くまでやってくると、すっぽりと膝の上に乗っかってきて、丸まって体をあずけてきた。
「品格はどこに捨ててきた。」
「そこのお座布団のところです。」
「お祖母様の雷が落ちる場面だな。」
「……私も一緒におうちに帰りたいです。」
「僕も連れて帰りたいよ。」
「むー。」
ウンジュは腕の中で両手を顔に当てて泣いた。そして、僕が帰っている間に寂しくなったらどうすればいいのだとちょっと文句を言う。それから気を取り直して、僕がいなくたってちゃんと女官として過ごすことが出来ると強がって見せた。
「お見送りしたいとお手紙に書きましたが、どうですか?」
「明日、帰ろうかと思うのだけど。」
「……はい。」
「朝の9時の鐘に王宮の門のところへ来るようにしよう。」
「9時の鐘ですね。」
翌日、日曜日の朝、荷物をすっかりそろえて、防寒対策ばっちりな格好となる。
「もう行くのか?」
部屋の片づけをしていたジョンミンが声をかけてきた。
「ウンジュに会ってから帰る。9時の鐘に王宮の門で待ち合わせしているんだよ。」
「え、ウンジュちゃん、お見送りにくるの?」
グァンシクが布団をくるんでいる手を止めて大きな声を出す。
「しばらく会えなくなるからな。見送りたいって言われたんだ。」
「当然、僕も見送りに行くよ!」
「は?」
部屋の仲間の反応が意味不明だったが、全員が僕の見送りについて来ると宣言して身支度を整え始めた。
時間が押しているし、ウンジュとカン女官を門で待たせるのは可哀想なので、放置して早々に部屋を出ることにした。3人は大急ぎで防寒具を身につけて部屋から駆けだして追いついてきた。
王宮の門の列に並んで受付に声をかけると、門の内側に案内されて、近くの部屋で待っていた様子のウンジュ達がすぐに案内されて出てきた。
「兄上……まぁ、みなさま、おはようございます。」
ウンジュはお祖母様仕込みの振る舞いを存分に見せてくれた。寒いので私服ではなく女官服を着ている。不特定多数の目につく場所であるので、完璧な上級女官の所作でのご挨拶だった。3人もそれぞれに挨拶をした。
12月分の俸禄と家族への手紙の入った袋を手渡されて、年末年始の家族への挨拶を僕が受け取る。ウンジュはそれでは、とそれほど時間もかけずに、その場から後宮へと戻っていった。
「……ウンジュちゃん、しばらく見ないうちに、もう立派な女官だね。」
ジョンミンが驚きの声をあげる。
「ミョンスとのこの違いは何なんだ?」
「……何か、雰囲気が変わったよね……?」
3人が口々にウンジュの成長をたたえてくれた。
「あれはうちのお祖母様の躾の賜物だ。入宮までの期間、日常動作すべてを徹底的に執拗に矯正されるんだよ。出来ないままでは終わらないから、農民っぽかったウンジュもとりあえずお嬢様だよ。」
「……あの風格はなんなんだ。」
グァンシクが呻くようにいう。
「風格?……ないない、仕事をして俸禄をはんでいるからじゃないかな。」
「……女官服がしっくりきていたな。」
テスクも独りごちる。
「……おまえ等、何か気持ち悪いぞ。」
「可愛いウンジュちゃん見るつもりでついて来たんだけど、何か雰囲気変わってて。」
ジョンミンがつぶやく。
いい加減、面倒くさくなってきて、話を打ち切る。ウンジュが何だというのだ。どうでもいい話だろう。
「じゃ、僕はこれで帰るから、それじゃ、よい年を迎えてくれ。」
帰り道は、山にさしかかると道に雪があった。結構大変そうだ。降ってからも人が道を踏みしめているので、道を見失うほどではなさそうだが。下げてきた長靴を履くと、ざくざくと雪道へと分け入っていった。
ウンジュが帰りたいと言っていたが、山ルートは無理だな。雪解けはいつになるのやら。川を通るとなると船代がかかる。なかなか連れ帰るのは難しい。春に王都に引っ越すのが先かもしれないな。
家に帰ると、家の中から美味しそうなにおいが漂ってきていた。いつも、本屋から帰るときに色々な家から漂ってきたいい匂いが、家に近づくとなくなってしまっていたのを思い出した。ウンジュのお陰で、両親はゆったりと生活出来ているようだった。
「ただいま帰りました。」
家に入り、父上に挨拶をして、お祖母様、母上と挨拶をする。父上にウンジュからの手紙と12月分の俸禄を手渡す。
夕食も終わり、声をかけると父上の布団のそばに皆が集まってきてくれた。
「父上、ウンジュの縁談の件でお話があります。」
「……縁談?」
「はい。王太子殿下より、ウンジュを王太子妃にとの話がありました。」
「……王太子妃はどうしたんだ?」
「はい。11月頃に、ご病弱を理由に廃されました。」
「……なぜ、うちから?」
「王太子殿下がウンジュをお気に入られているように感じますが。」
「ウンジュを……?」
全員の顔に“なぜ”という疑問符が浮かんだ。
「僕だってよくわかりませんが、毎週、ウンジュを図書室に召されて、一緒に調べ物などをしていらっしゃいます。」
「あまり利益のない縁組みとなるが、陛下はどう考えていらっしゃるのか。」
「王妃様はご賛同いただいていると聞きましたが、王様については存じ上げません。」
「じゃあ、まだ、水物だな。王命が下るまで、決して外に漏らしてはいけないよ。王様にお考えがあったら申し訳ないことになる。ウンジュは、どこへ行ってもしっかりやれるだろう。」
父上はちょっと遠くを眺めるように何かを考え込まれた。宮中に出して、2ヶ月も経たないうちにこのような話になっているのだから仕方ないのかもしれない。
「あの日焼けた農民風の娘が、女官服を着ただけで王太子殿下のお眼鏡にかなってしまうとは、王宮には女性がいないのかい?」
お祖母様の毒舌がポロリとこぼれる。
「ウンジュは家に帰りたがっていました。雪がなければ休みは取れそうなのですけど。」
「……川を渡って来たらどうだ?」
父上が不思議そうな顔でそうつぶやく。
「旦那様、結構なお金がかかります。」
生活を支えている母上が即座に答える。
「……そうか。……ソンイが科挙に通ったらどうするつもりなんだ?」
3人して僕を見つめてくる。
「あの、官舎でいいでしょうか。」
「「「いいよ。」」」
3人の声が重なった。
「……よかった。それだけが若干気がかりだったんですが、官舎でよければ、今、科挙の勉強を見ている先輩がいるのですが、受かったら旅費は全部見てくれると約束してくれている方がいるのです。」
「科挙に受かったらって。」
母上が絶望感を漂わせながら、ついて出てしまった言葉を途切れさせる。
「母上、あの先輩は絶対に受かります。」
「……ウンジュが泣いてないか心配なのよ。どんな方法でもいいから、早く王都に参りたいのです。」
今まで、母上がウンジュへの心配を、言葉に表すことはほとんどなかった。それをみてお祖母様は母上のそばに近寄り、肩を抱いて頭をなでた。
「ヘスク、ウンジュはいずれは嫁に出す娘だ。泣きながらでもうまくやっているはずだよ。大丈夫だよ。あの子は強くて賢いはずだ。」
「お祖母様、そうでございますよね……。」
お祖母様は母上を実の子のように扱っているように見える。何だかしんみりしてきてしまった。
「これで、ソンイが科挙に及第しなかったら大笑いだがな。」
しんみりした感じは、お祖母様の言葉で盛大に吹き払われた。皆が苦そうな笑いを見せる。
お祖母様は話は終わったとばかりに立ち上がり、母上と今縫っている衣装について話しかける。母上もそれに答えながら2人は部屋を出ていった。急ぎの仕事でもあるのかもしれない。
「さて、ソンイは私と少し勉強でもするか?」
「お願いします。」
父上と科挙に問われやすい本について、繰り返し今までも議論してきたが、それを再び繰り返す。大学で友人たちが語った論理を提案すると、父上は場合分けをしながら論破していったりする。逆に、父の論理を崩したりと、2人で言葉遊びのような体で語り合った。
夜半から再び降り出したようで、翌朝、扉を開けると外は新雪が柔らかそうで、朝日にすべてがきらきらと光り輝いている。母上に従って家の周りの点検をして、通路の雪かきを終えると自由にしていいと言い渡された。
長靴を履くと、綿入れをしっかりと着込んで外へと出た。山へとつながる道を踏み入ると、岩が突き出た開けた丘に出る。危ないので岩には踏み入らないが、そこからの景色はどこまでも白く続く平原と、太陽に照らされて黄金に輝く川、そして空は広く深く青い。
腕を高く高く伸ばして、そのまま、後ろへと倒れ込む。柔らかい雪の中に包まれて、空だけが目に入る。青い。夜の闇の色を淡く水に溶いたよう。
眩しくて目を閉じると、赤く自分の瞼が見える。雪が音を吸い込み、何の音もしない。世界が自分だけで構成されているかのように感じる。




