46風花
日曜日も暮れた頃、書記部にカン女官が迎えに来て部屋に戻る。着替えて、文机の前に座り、兄上に手紙を書いた。
殿下に気持ちを告げられたこと、王太子妃にと望まれていること、これは兄上の持ってきた縁談でもあること、そして、自分が将来の王妃となるのに、ふさわしいとはとうてい思えないこと。
つらつらと書き連ねる。私と出会ったことで、殿下は間違った選択をしようとしているのではないか。私と殿下は仲良しではあるが、それが一体何の役に立つのだろうか。
月曜日の朝、起きるとすごく冷え込んでいた。王女殿下の勉強会は前回で終わりだとのことで、勉強会も午後の遊びも年末はすべて終了となった。
しかし、パクジェイン先生の外国語はいつも通り行うと言うことなので、カン女官に送ってもらって教室へと向かった。教室ではいつも通り、パク先生と単語と文章の勉強をした。
午前中の講義を終えて、外へ出ると頬に触れる空気は痛いほどで、ぞくりと背中が寒さを訴える。今日は女官服で来たが、女官服だとしっかりと着込むことが出来る。確かに寒いが、いつもの冬に比べたら、温かい衣装でぬくぬくしていられて、本当に幸せなのだと思う。
「ク女官様、まっすぐに帰らないのですか?」
「……寒いけど、少し歩いてもいい?」
「……それは構いませんが。」
足がかじかんでいる。こんな寒い中、好き好んで歩いている人は殆どいない。池の周りを歩いて、椿を眺めたりした。空は曇っていて暗く、池はどんよりとした空を写している。そして、そんな中にそっと椿の赤と白が置かれている情景は何とも美しい。今日みたいに光の足りない日も、それはまた趣がある。
「……寒いわね、帰りましょうか。」
カン女官と部屋へと戻る。部屋へ戻ると、床が暖められていて、火鉢も温かく準備されていた。
「温かい。」
「冷えて帰ってくると思っていましたので。」
「……カン女官もこちらの部屋へ来なさい。」
「お昼食をとって参りますわ。」
「少し温まってから行くと良いわ。私の着替えを手伝ってくれる?」
「……わかりました。」
足が凍ってかじかんでいるのが、温かな床に少しずつ溶けていくような気がする。カン女官は私を迎えに来て、そのまま散歩させられたのだから、だいぶ冷えたかもしれない。
「散歩させちゃって、ごめんね。」
「いいえ、あの情景は確かに美しかったです。」
「王宮って、よくわからないほどに広いけど、美しい場所が多いわよね。維持するのに、どれだけお金がかかるんだろうって思っちゃうけど。」
「……そうですね。」
カン女官には髪まで結い直してもらって、もう温まりましたからと言われて、昼食を取りに行った。
「カン女官はいつから休暇なの?」
食事をとりながら、カン女官に話しかける。
「来週からです。23日に帰って、30日に戻ってきます。」
「家はどの辺なの?」
「一応、貴族街にあるんですよ。古くなっても、補修も出来ずに寂れていますが。」
「近いのね。兄弟とかっているの?」
カン女官は2男4女の長女だと言うことだった。下に2人、女官として上がっているらしい。弟1人は大学を受験中で、もう1人はまだ子供らしい。
「うちも父上が病弱で、稼ぎがなかったので、私ともう1人の妹が小さい頃から女官となり、家計を支えてきました。今は3人が女官をしているので、貧しさからは脱しましたけど。これから弟たちの学費がかかるので、女官をやめるわけにはいきません。」
「女官の給与って良いものね。」
「はい。」
「そうだ、12月分のお給金をもらってきて、兄上に渡さないといけないのだった。」
「では、若様とお会いする予定がたったら、その日に合わせて届けてもらいましょうか。」
「頼んでいい?」
「もちろんでございます。」
今週は兄上は試験中のはず。試験が終わってから、また会いに来てもらえるように手紙を書こうかな。とりあえず、殿下とのこと、伝えておかないといけない。
午後からはいつもは王女様たちと遊ぶ時間だったが、空いてしまった。仕事に行ってみようかと出かけてみたが、今日は休んで下さって構わないと言われた。一度、部屋へと戻り、筆記用具をもって、今度は講舎へと向かった。閑散とした昼間の図書室で、時間を過ごすことに決めた。
私たちは温かくなっている閲覧席へと向かい、席を確保すると、私は本を探しに棚へと向かった。カン女官は比較的明るい場所を陣取り、カゴに持ってきた針仕事を始めた。本を読んでいると、たまに人が出入りすることがあるが、たいていが先生である。本を選び、数冊まとめてカゴに入れると、静かに図書室を立ち去っていった。
暗くなりはじめると、明かり係の女官が火をもって現れた。
「もう帰るから、灯りはいいわ。」
「かしこまりました。」
誰もいないところを照らしてもらっても、もったいないから、必要な人が、必要な場所だけ灯りを入れて使うことになっているらしい。
「ク女官様、お部屋へ戻りますか?」
「えぇ。」
読み途中の本の貸出手続きをして、部屋へと戻っていく。日が暮れかけていて、ぐっと冷え込んできている。
「こういう寒い日は父上の体調が気になるわ。」
「お体が弱いとお話されていた?」
「えぇ。今年は薪を十分に準備したと、兄上から聞いているので、母上が温かくして下さっていると思いますが。」
「薪ですか……。」
寒い中、風呂をもらいに行く。風呂は宮内に何カ所かあるが、上宮女官は宮内に2名しかおらず、それぞれの場所で上宮女官用の時間が定められているので、その時間内に行けば誰かと一緒に湯を使うと言うことはないように出来ている。
脱衣所は広くて、多くの女官が一斉に使っているのがわかるが、私はゆったりと使う事ができる。カン女官が簪や紐を髪からはずして箱へとしまい、重ね着している衣を脱がせては衝立に掛けていく。他の人は洗うところも女官にしてもらう事もあるようだが、私は人にしてもらうのは馴染まない。
カン女官に一緒にはいることを提案したが却下され、脱衣所で待っててもらう事にしている。大きめな布を一枚、体に纏うと浴場へ入り髪や体を洗うと湯に浸かる。
今日のように寒い日は体が固まってしまっているので、熱めのお湯で体中がじんわりと溶かされるように感じる。
不意に殿下を思い出した。指をみる。簪とともに指輪も箱へと入れてきたので、何もついていない。殿下は執務中だろうか。殿下とは行政書庫で手伝いをするか、お食事に付き合わせられるかしか出会ったことがない。王太子と言う方がどんな生活を送られているのか、正直、想像もできない。
常にたくさんの人に付き添われている。国の将来の君主となるために学んでおくことも多岐に渡るだろう。すべてについて精通する必要はないが、全く知らない分野が多いことは付け入られる隙になるだろう。立太子しているのだから、国の儀式や祭祀にも、参加しているだろう。
「相当、忙しいんじゃない?」
独り言がぽつりとこぼれた。ちゃぽんと顔を湯につける。額のはえぎわに湯が当たって、髪が揺れて、きもちいい。
王太子殿下は、しばらく自由にしていていいと言ってくれた。正式に立后されてしまうと、幼くても役割に合わせて様々な行事に参加したりしなくてはならなくなる。でも、だからこそ、王太子妃の空位は政治的にも影響が大きいのではないか。政略的に王太子との婚姻を、強く望む勢力もあるのではないだろうか。
「ク女官様、そろそろ、湯あたりなさいませんか。」
カン女官が声をかけてきた。結構長く浸かっていたようだ。冷えていたから、じっくりと温まれた。湯から上がっても体の熱感が失われない。
脱衣所から乾いた布をもらい、全身を触って水分を吸い取る。髪の水気を拭い、布を体に巻き付けて浴室をでた。カン女官が乾いた布をもう一枚肩口に広げてくれ、濡れたものと交換する。
座ると、髪の水分をじっくりとふき取ってくれる。衣装を着てから座ると、七輪の熱を団扇で仰がれて、髪を急速に乾かしていく。髪が完全に乾くと、衣装を最後まで着た。そして、髪をきれいに結い上げてくれ、簪や指輪などの装飾品を身につけていく。忘れ物がないか、片づいているか、カン女官があちこちを見回り、浴場を後にした。
2人とも、衣を頭まで被って、部屋まで、数分の距離を足早に戻る。足が再びかじかんでくるが、体はホクホクとしている。部屋へと逃げ込むようにして入る。カン女官に少し暖をとらせてから、夕食を取りに行かせた。
水曜日、毎日少しずつ書いていた手紙を、カン女官に兄上に届けにいってもらう。木曜日の朝、起きると雪が舞っていた。
「手紙、昨日のうちに届けられてよろしゅうございました。」
「本当ね。今日だと、届けてもらうのに難儀したわね。そろそろ、積もったりするのかしら。」
「下働きの者たちが、総出で雪かきをするので、女官様が歩きづらくはならないですよ。」
「そうなの?すごいわね。」
午前中は外国語の学習にいつも通り向かう。まだ積もるほどに雪は降っていないが、さらさらと舞う雪に、ベールのように覆われた景色はいつもと違うように見える。
勉強が終わって、カン女官が迎えにくると、また宮内を散歩した。
「ク女官様、あちらに王女殿下が。」
「……あら、本当。」
その場で頭を垂れると、王女様も気がついたようで、手招きをされた。王女様に近づいていくと向こうからも近づいてきた。
「ウンジュ、何をなさっているの?」
「王女様、雪の舞う情景がとても美しかったので、散歩をしておりました。」
「私もですわ。皆もいないから、とても暇をしてましたの。丁度良いわ、ウンジュ、ついていらっしゃい。」
「……はい。」
「ちゃんと横を歩いて頂戴。」
いつもはミョンス様のポジションに誘い込まれ、恐れ多いと思いつつも横を歩く。昼食に誘われて、王女の部屋で昼食をともにとる。
「ウンジュって、食べ方が綺麗よね。」
「……祖母に仕込まれました。」
「私も散々、そこにいるチョ女官に仕込まれているのだけど。どうかしら。」
「……私は自分の食べ姿を見たことがないので、何とも申し上げられませんが、王女様の召し上がられ方に特に違和感もありませんが。とても美しく召し上がられていると思いますが。」
王女様が言うには、王女として嫁に出されるときに、申し分のない姫となっていなくてはならないと、王妃様に言い聞かせられているそうだ。直系王族って大変かもと思った。
「身分も高くて、品も良かったりしたら、ちょっと嫌みじゃない?」
「……あなた、お行儀がなってないわ、みたいな感じですか。」
「それそれ。ふふふ。」
「王女様に言われちゃったら、全員、凹むと思いますが。私などが言っても、あなた、何様?とか逆にいじめられそうです。」
「立場かぁ。」
「ふふふ。」
「気をつけなっちゃ。」
「さようでございますね。」
「でも、ウンジュは、身分もあるし、ソンイ様も出世なさるでしょうから、いいご縁に恵まれますよ。いずれ同じ道を歩むのですわ。」
「……。」
「ふふふふふ。」
王女様の言葉で、大岩のような水の玉が自分に落ちてきて、ずぶ濡れになったような残念感が自分の中に生まれた。
自分も、もし本当に王太子妃となるのなら、気をつけないといけないのかもしれない。自分の常識を口にするだけで、誰かが非難されたように感じるのかもしれない。
私に高位貴族の婦人のまとめ役が出来るのか。甚だ疑問である。そういう貴族女性としての素養がある人が、王太子妃には相応しい。私をと王太子は望んでくれたが、他の人は望ましいとは思わないのではないか。
あぁ、また、この思考。いやだいやだ。




