44告白
試験週間も無事終わり、昨夜は兄上にも会うことができた。私に縁談があるという話だった。
朝、カン女官は決まった時間に、部屋に声をかけて入ってくる。朝起きてから、布団を上げて、女官服に着替えた後に、文机前で肘をついてぼんやりしてしまっていた。
「兄上が、私の縁談の話をしていたの。」
「え、どなたと?」
「まだ教えてくれなかった。」
「(殿下に伝わったら、どうなるのかしら……)。あ、そうでした、今日はク女官様にご報告なのですけど、月末に1週間ほど、私、休暇を頂くことになりまして。」
「年末年始は皆、順番に休むの?」
「はい。私は今年は年末組でして。」
「ご家族にお会いできるのは楽しみね。」
「私はありがたくていいのですが、ク女官様にはご不便をおかけします。代わりの者が参りますので、後日、ご挨拶と引継をします。」
「代わりの者?」
「上級女官様が連れも付けないでは、外を歩くことも出来ません。必ず誰かがお世話することになります。」
カン女官が言うには、上級女官が自分で食事を取りに出てきたり、外を一人で歩き回ったりはしないとのことだった。部屋への来客に引継がいないということもないから、誰かがつかないと生活が立ちゆかないということなのだ。
確かに、ヤンイニョン上級女官様は私を呼びに来るときでも、誰か女官か内官が一緒にいた気がする。
カン女官以外の女官に世話される感じがぴんとこないが、少し背筋が伸びるような思いだ。カン女官なら、だらけた姿でも見逃してくれているが、そうもいかないよな。
「担当が決まりましたら、ご挨拶に伺わせます。」
「……わかりました。お願いします。……私はお休みってあるのかしら。」
「どうでしょう。でも、雪で山を越えるのは難しいのでは?」
「……その通りだわ。」
食事をすませて、部屋で外国語単語の暗記復習をしていると、セリが迎えにきた。ちゃんと指輪をしているか、指輪を撫でて確認した。昼間は付けているが、夜は外して文机の上にハンカチの中に包んで置いてある。朝、着替えて文机につくと、指輪も付けることにしている。うっかり忘れたら、きっと何か意地悪を言われるに違いない。
セリと行政書庫へと向かい、身分証を見せて中へと入る。いつもの待ち合わせ場所へと行くとまだ誰も来ていなかった。
いつも見る以外の場所にどんな本が置かれているのか、書庫をふらふらと歩いて眺めてみた。セリは少し離れた位置でついてきてくれている。大体が税金がらみの文書であったり、新しい道路や街開発のための調査がまとめられていたりしている。
「ク女官様、殿下がいらしたようです。」
「……あ、そう?」
「参りましょう。」
「わかりました。」
しばらく雑多な文書類を眺めていたが、セリが急に声をかけてきて我に返る。そうだった、殿下を待っていたのだったと頭を仕切り直して殿下の所へと伺う。
「待たせたな。」
「いえ、本を見ていましたので大丈夫です。」
殿下は近づいてくると、左手をぐいとつかみ、指輪をしているのをみて満足そうにほほえんだ。
「よし。ちゃんと言うことをきいているな。」
「……。」
「じゃ、仕事に取りかかろう。」
殿下はやたらと近づいてくる。手を握られたり、背後から抱かれるようにして、一緒に本をのぞき込んできたりするのだ。
「今日はこのくらいで終わりにしよう。」
作業を続けていると、殿下が終わりにしようと言い出した。あんなに午前中はと言い張られたような気がしたのだが、おやつもとらずに終わりにしようと言うのが何とも不思議な感じがした。
「まだ働きたいのか?」
「いえ、もう、終わりでよろしいのですか?」
「今日は他に行きたいところがあるのだ。」
「さようでございますか。」
片づけを済ませて、殿下へと向き直り、静かに頭を下げた。
「では、今日はこれで失礼いたします。」
「……いやいや、これから行きたいところがあると言っただろう。」
「……はい。」
「お前も行くのだ。」
「……あ、私もご一緒するのですか?」
「お前に見せたくて準備したのに、お前が行かないと意味がない。ほら行くぞ。」
殿下は私と歩き始めて、私が急ぎ足でついて行こうとするのに気がついて、一度立ち止まった。
「お前、歩くのが遅いな。」
「……申し訳ございません。」
「いや……お前はまだ小さい。当然だった。私の配慮が足りなかった。お前の速度で歩こう。」
「え、それでは遅くなってしまいます。」
「いや、それは構わん。」
私の速度で殿下が歩いてくれるので、急に歩きやすくなった。連れて行かれたのは自分の部屋だった。何を見せたいというのだろうか。
「カン女官、ク女官様をお連れしました。急ぎ、お召し替えを。」
セリがカン女官に声をかけると、中からあわててカン女官が飛び出してきた。そして、殿下の一行を見て更に仰天していた。
「王女たちと会うときに着ている、それなりの衣装に着替えてこい。」
殿下に言われて、すぐに部屋へと入り、とにかく脱いで適当にきれいな衣装へと着替えた。髪を整え直され、いつぞやの殿下の櫛を差し込まれる。可愛らしく着飾らされると外へと出た。
「よしよし。いつもそうしていればいいのだ。ほら行くぞ。」
頭をポフポフと撫でられながら、殿下に袖を引かれる。
「隣を歩くように。」
「……それは、殿下、後ろをついて参ります。」
「ならん。ほら行くぞ。」
結局、袖をひかれて、横を歩かされながら宮殿を北の方へと向かっていった。
歩いて行くと、通りかかった女官や内官がその場で立ち止まって頭を下げて道を譲ってくれる。カン女官と歩いていると、やはり道を譲られるが、これほど丁寧に頭を下げられるのは初めてだった。
人々が頭を垂れる宮殿群から、殿下は更にはずれの方へと歩き続ける。結構、歩いている気がする。小高い丘を登り始め、こじんまりとした楼閣へと案内された。上ってみて驚いたのだが、宮殿が一望出来るのだ。宮殿からも楼閣は見えていたはずなのだが、あまり印象にない。質素な佇まいのためか、遠くからは木々に紛れ、全く気にならなかったのだった。
「ここの眺めはなかなかだろう?」
「はい。なんて素晴らしいのでしょう。このような美しい景色は初めてでございます。」
「そうかそうか。今日は、ここに食事を用意したのだ。昼食を一緒にとろう。」
すでに準備されていた食事の席へと案内された。給仕の女官が2名、入口の付近で控えており、内官は楼閣への階段の上に立ち、他の者は楼閣の階段の下に待機している。
「さ、皆は外に出たから、無礼講だ。お互い、食べたいものを自由に食べよう。」
「……はい。美味しそうです。」
殿下が食事に箸を付けたので、私も遠慮しないで食べることにした。
「ソンイから、私の事で何か話は聞いたか?」
「昨日、兄上とは会いましたが、殿下の話はしませんでした。」
「……なかった?」
「……?」
「いや。何でもない。」
殿下はふっと目を王宮の方へと向けた。つられて私も遠景を見る。王宮の向こうに街まで見える。
「この煮物は美味しいんだぞ。食べてみよ。」
気がつくと、殿下の箸に刺さった芋が唇に触る。ほら、食べよ、という殿下の箸の動きにあわせて口を開く。芋が口の中へと押し込まれ、もごもごと端っこをかじる。
「それだけか?」
噛みしめて飲み込むと、ジッと殿下をねめつける。殿下は私の食べかけを自分の口へと運んで、かぶりつく。実に美味しそうに食べるものだ。
「殿下、はしたのうございます。」
「ふふふ、そうだな。でも、うまかろう?」
「……美味しいです、けど。」
それからも、殿下は時折、箸で鼻元まで食べ物をつきだしては食べさせるのだった。
十分に食べた頃、食事を下げさせるた。
「殿下?」
さっと背中と膝の後ろを捕まれ、抱き上げられると、外からは見えない御簾の内へと連れて行かれる。抱えられたまま殿下は敷物の上にあぐらをかき、私は殿下の膝の上に載せられたまま、頭は殿下の胸に預けられるように抱き抱えられている。兄上に抱っこするときと同じ姿勢になる。
「殿下、何を……?」
「……その、私はお前を好いている。だから、お前を王太子妃にしたい。お前は私が嫌か?」
「……殿下、私には縁談があると、兄上が。」
「ソンイが言ったのなら、その縁談は私だ、安心しろ。」
「……では、その縁談なら、お受けしましたが…?」
「お前の意見は?嫌だったか?」
「……嫌では……ございません……。」
「……そうか、なら、よかった。」
殿下は私を抱く力を強めた。額に殿下のあごが当たり離れる。そして、額に殿下の唇が触れて離れた。
「お前が嫌でないのなら、お前のお父上に、時期をみて、正式な王様からの命令書を送る。ただ、対外的には、お前が成人するのを待つ。王太子妃内定者となってしまうと、お前は自由でなくなるからな。稼げなくなるのも辛いだろう。」
「……ご配慮ありがとうございます。」
「しばらくは、こうやって、時々、会えればいい。」
そのまま、しばらくの間、殿下は私を膝に乗せて抱いていた。殿下の胸の音が右の耳に響いてくる。聞いたことがないくらいに、強く、早く脈打っている。自分に思いを伝えてくれて、それで、こんな大人の人が走ってきたみたいに緊張しているのかと驚いてしまった。殿下の脈を取ったらどんなだろうかと、ちょっと思ってしまった。
「殿下の心拍音がすごいです。」
「……そりゃ……まぁ、お前とこうやって近くにいられて嬉しいし。(その微笑み、可愛いすぎるだろ!)」
殿下はもう一度、額に接吻してきた。
「こういうの、初めてで、どきどきします。」
「……そうでなかったら、逆に僕が驚いてしまうよ。」
「ふふ、そうですよね。」
二人で顔を見あわせて笑んでいると、御簾のすぐ外にいた内官が声をかけてきた。そろそろ昼食休憩時間が終わるらしい。
「もう終わりかぁ。来週まで待ち遠しいよ。」
一緒に丘から降り、殿下は部屋まで送ってくれると、自分も部屋へ戻ると言って帰っていかれた。
「女官様、殿下とどちらへ?」
「丘の上の楼閣があるでしょ、そこで昼食を頂いてきました。」
「お昼?楼閣で?」
「……その、今日はデートでした。」
「それは、いつものとはどう違うのですか?」
「内緒よ?……その、告白されました。」
「それは、かなりレベルの高い機密事項ですよね。殿下はしばらく内密にするとおっしゃられていませんでしたか?」
「……あぁ、確かに。正式な話になると、私が働けなくなるから、内々にと言っていたかも。」
「では、ク女官様、お兄さま以外には話してはなりませんよ。私も沈黙します。」
「……えっと、了解です。」
書記部に顔を出し、仕事にせいを出す。筆を走らせながらふと思う。
王太子妃とかいわれた。その役割を思って、しまったと思う。恐怖に似た感覚を覚え、背中に冷たいものを感じた。ちょっと、気が遠くなる。兄上のためと、気軽に了解してしまったけど、そんな安易に返事をしてしまってはいけない場面だったのではないか。浮かれていて即答してしまった。
こんなことになるなんて。
でも、指輪を撫でると心が温かくなる。殿下の心音が耳元でよみがえる。殿下だって、無理強いはしないと言っていた。私は無理だとあきらめられるのか。頑張ってみるという選択肢は無いのか。
今年の春にお金がなくて奉公も考えた。でも、必死に写本をしてお金を貯めたではないか。兄上も優秀な成績で奨学金を得たではないか。出来るとこまで、頑張ってみても良いのではないか。
歩んでみれば、道は開けるかもしれない。




