43流感*
かつて無いほどに集中を欠いていた。試験を前にして、何故、殿下の告白を聞かなくてはならないのだ……。思い出しては困惑する自分がいて、時間がたつにつれ、殿下に対して八つ当たりではあるが、腹立たしく感じるようになってきた。
ウンジュがどう思うかは直接聞かないとわからないし、どう聞けばいいのかもわからないし、そもそも僕が聞くべき事かもわからない。父上に会うにしたって、試験が終わらないと、帰るに帰れない。
部屋に戻ってから、復習をしていたがやはり思考が昨日の殿下の話を繰り返している。
「ため息がうるさいんだけど。」
「あぁ、悪い、テスク。」
部屋に戻っていたのはテスクと僕だけで、僕はどうやらため息をついていたらしい。
「この間、ヒョンオンがお前の所に行ったって言ってたよ。」
「あぁ、サム先輩ね。」
「大丈夫なのか?アイツは勉強している割に全く試験とかダメなんだよ。」
「こう言っちゃ何だけど、金蔓です。」
「え?」
「あの人、相当な知識人だから、科挙、間に合うと思うんだけど。」
「……本当にそう思っているのか?」
「たぶん。」
「……まぁ、何とかなるなら何とかしてやってくれ。まじめだから、いい加減、見ている方もツライ。おばさんも喜ぶよ。」
「父上を上京させるのに必要な旅費を持ってくれるって話なんだ。僕も本気だよ。」
「……下心をありがとう。」
テスクとサム先輩は、似たところを感じない。優秀さは似ているかもしれないが、母親が姉妹なら、もう少し姿形が似通ったりしないものかと思う。母親が姉妹と言えば、この理屈だと王様と父上は似ているとなってしまう。そんな話は聞いたことがないから、やはり従兄弟というのはそんなに似通ったりはしないものなのか。
いや、今は試験だ。再び、机に向かってノートの確認を始める。
部屋の外を行き交う使用人達の足音が響いて聞こえる。重いものを運んでいるようなしっかり踏みしめられたような足音だったり、枝や落ち葉を踏んだ音や、テンポよく走る足音だったりと色々な種類の音が聞こえてくる。
さっきまでそれほど寒いという感じではなかったのだけど、急にぞくぞくする。冷え込んできたのだろうか。なんかくらくらするなぁ、などと思っていると、ジョンミンとグァンシクが慌ただしく部屋の扉を開けて入ってきた。誰かが歩くとこの部屋は揺れる。何か、ぼんやりする。机に頬杖をついた。
「おい、ソンイ。」
ジョンミンの声がする。
「聞いてないのか?……うぉ、熱い。」
ジョンミンが声をかけながら肩に手を触れてきた。そして、グァンシクも。
「……熱か?大丈夫か?」
急に二人に触られて驚いた。
「……なんだい?」
「ソンイ、大丈夫か?」
心配そうなグァンシクの声が聞こえた。
「……何だか寒い。」
すぐに部屋に布団が敷かれて、寝かされてしまった。実家にいたときには結構頻繁に風邪をひいていた気がする。父上に風邪をうつさないために、すぐに隔離されていた。ここに来て栄養状態が改善され、体力もついて風邪をひいても寝込むほどはひかなくなっていた。
布団をかぶせられると、少しは寒さが和らいだ。うとうととしてきて、そのまますぐに寝てしまった。
朝、目が覚めると全身がだるく、のどにも痛みを感じた。これはやばいヤツだと残念な気持ちになった。のどが渇いて起きあがると、枕元に握り飯と急須が置かれていた。ありがたいと思いながら、湯飲みに注ぐと水が入っていた。
水を飲むと空腹を覚え、夕飯を食べていなかったことを思い出した。皿にのった握り飯をつかみ食べた。かぶりつくと冷たくて堅くて、おにぎりの形が崩れそうになる。こぼさないように気をつけて食べた。
食べ終えるとやはり全身の重さに耐えられず、そのまま布団に横になる。今回は、どのくらいの間、寝てないといけないんだろう。試験前なのに。
実家にいたときには、寝込むとお祖母様の部屋に押し込まれ、お祖母様は母上やウンジュと一緒に休むようになった。そして、たいがいウンジュにも風邪がうつって、数日の間、二人でお祖母様の部屋で寝ていたものだった。
うとうとしていると、他の3人がいつものように動き出した。不意に額にひんやりとしたゴツい手が当てられた。
「こいつ、まだ熱いよ。今日は無理だな。」
「グァンシク?」
「おう。握り飯は食べたな。後で朝飯を持ってくるから、起きたらまた食べておけ。」
「……ありがとう。」
「気にするな。」
大学ではどうも風邪が流行り始めていたらしく、甲斐甲斐しく面倒を見てくれたグァンシクが、翌日同じ症状で寝付いてしまった。
ジョンミンとテスクはしばらく避難すると隣室へ逃げ、隣室の発病者がこの部屋へと送り込まれてきた。
3日程寝込み、4日目位から起きあがれるようになったが、食事も運んできてもらえていたので、部屋でゆったりと過ごしていた。
熱が下がるまでは、熱に浮かされながら、夢現をもたもたと過ごしていた。そして、熱がさめてみると頭は鮮明になっていた。余計な意識や感情が洗い流されたようになっていて妙に心地よい。
病人部屋も土曜日には解放されて、ジョンミンとテスクも戻ってきた。
「ソンイ、おまえ、試験勉強、最後寝込んで出来なかったのに、余裕そうな顔に見える。」
「ジョンミンが提出物を代理で出してくれたから、特に問題はないと思うよ。」
「……余裕なのか?」
「余裕というか、しておくべきことは終わっているし。」
「グァンシク、ソンイが余裕発言しているぞ。」
「……俺の方はもうダメかもしれない。」
「そうだよなぁ、その反応が普通だ。」
よくわからない事でジョンミンに絡まれつつ、部屋でゴロゴロしたり、大学構内を散歩したりして過ごした。
「クソンイ、あった。手紙が届いていますよ。」
「……いつ?」
「さぁ。」
「……ありがとうございます。」
事務の受付に久しぶりに顔を出し、手紙などが届いていないか聞いてみたら、ウンジュからの手紙が届いていた。
ウンジュの手紙を懐に入れ、図書室の側にある大きな楡の木の下に置かれた切り株に腰をかけた。ウンジュの手紙は自分宛と家族宛と二つ入っていた。自分宛の手紙を開くと、今週は試験週間で忙しくしているという内容で始まった。殿下に指輪をもらって、お礼をどうすべきかとか書かれていた。日曜日は殿下のお手伝いと仕事があるから、会いたいけど会えないとあった。
今は土曜日の夕方だ。とりあえず、王宮を訪ねてみようと思い、そのまま手紙を懐に入れると受付を通って大学構内から街へと出た。王宮の受付でウンジュを呼んでくれるようにと身分証を見せて頼むと、1時間程たってカン女官が現れた。
「若様、大変お待たせいたしております。女官様はお仕事の最中ですが、お会いされたいとおっしゃられて、しばらくまた待っていただくかと思いますがよろしいでしょうか?」
「……部屋で待たせてもらってもいいかい?」
「はい。では、ご案内いたします。」
カン女官は斜め前を静かに歩き、道案内をしてくれている。
「ほんの先程、手紙に気が付いたのだけど、持ってきてくれたのはいつ頃だったの?」
「……はい、木曜日にお届けいたしました。」
「そうか。僕は今週は流感にやられて寝込んでいてね。ようやく落ち着いた所なんだが、後宮では流行ってはいない?」
「そうですね、ぽつぽつと休暇願をだす者があるように思いますわ。」
「カン女官も気をつけてね。」
「ありがとうございます。」
ウンジュの居室へと案内される。縁側には可愛らしい靴があり、部屋にはウンジュが戻ってきているようだった。
カン女官が僕を部屋の中に案内しつつ、部屋の中へと声をかけていた。
「ク女官様、いらっしゃいますか?」
「あぁ、カン女官、ありがとう。兄上様、お忙しいのに、来てくれてありがとう。」
「……仕事はいいのか?」
「……ちょっと休みをもらってきたの。」
「大丈夫ならいいが。」
ウンジュに部屋の中央へと導き入れられた。二人で座ると、カン女官は部屋を出ていった。お茶でも持ってくるつもりなのかもしれない。
「……ウンジュ、手紙をさっき読んでね。今日、あえてよかった。」
「はい。」
ウンジュはクッションを抱えて、ぐったりとクッションにもたれている。
「……お前に縁談があって。」
クッションを抱いて、もぞもぞ動いていたウンジュが、ぴくりと反応すると動かなくなった。
「この話はちょっと断りづらくてね。」
ウンジュはクッションから顔を上げ、こちらを見上げた。
「……兄上のお役にたつ縁談ですか。」
「……そういう視点で考えてなかったが、どうだろうかな。悪い縁ではないが、お前が喜ぶかはわからんな。」
ウンジュはまたクッションを強く抱きしめて顔を埋めている。ウンジュの後ろまで近寄って、おもむろに腰を下ろした。
「ほら、ここにおいで。」
「……うん。」
声をかけると、クッションに顔を埋めたまま頷き、そろそろと僕の右の膝に腰をかけてきた。そして定位置である右肩に頭を乗っける。久しぶりにウンジュを膝に乗せて抱っこしてあげた。
「兄上、なんだか私、子供っぽいですね。」
「子供なんだから、当然なんじゃないか?」
ウンジュは右肩の頭を擦り付けてくる。頭をなでてやると大人しくなる。小さい頃からの甘え方は変わらない。
「……兄上、縁談ですが、すすめて下さい。私は兄上の役に立つ縁談を受けると、前から決めていましたから。」
「……そういってくれると助かるよ。」
しばらく甘えていると、ウンジュは急に膝から降りて、クッションを抱えたまま僕に微笑みかけてくる。
「カン女官、兄上と一緒に夕食とれるかしら。」
ウンジュは障子の向こうに控えていると思われるカン女官に声をかける。
「はい、ただいま準備いたしますね。」
「兄上、女官の賄いはかなりおいしいのです。是非食べていって下さい。」
ウンジュの方が落ち着いているようで、僕の抱えていた問題はとりあえず解決されたようだった。しばらく何かって事もないし、殿下の恋心に関しては殿下の問題だ。僕が仕切ってさしあげる必要などない。
カン女官が見繕ってきた食膳を一緒に頂いた。カン女官も誘ったが、さすがに今日はと遠慮してしまった。カン女官には、本当に、いつもいつもありがたいばかりだ。




