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40しあわせの形*

「クソンイ殿、おられるか。」


 日曜の夕刻、部屋の外で、知らない声がした。扉を開けて縁へ出ると、やはり知らない者がいたが、衣装からして内官だ。王宮からの使いと見るのが正しいだろう。


「手紙でございます。」


 手紙は大学の受付にいつもは届く。毎日、一度は受付に名乗り出て、届いていないか確認をすることになっている。それなのに、受付をすっ飛ばして直接手紙が届くというのは、普通ではない。


 手紙を受け取ると、さらにその者は続ける。


「いらっしゃれるようであれば、ご案内せよとのことです。」

「……ちょっとお待ちを。手紙を見ます。」

「はい。」


 ウンジュに何かあったのだろうか。手紙には出来るだけ早目に会って話をしたいとだけある。差出人は王太子殿下だ。


「(こちらの都合を考えないんだから、まったく。)今参ります、お待ちを。」


 とりあえず、手紙を懐にしまい、身なりを整え、縁側に出て草履を履いた。こちらの都合を考えていないか、こちらの都合を考えても急いだ方がいいという案件か、後者でなければいいが。


 王宮への近道の門を越えて、王太子府へと向かっていく。


「殿下、クソンイ様、お連れしました。」

「……通してくれ。」

「はい。どうぞ、中へお入り下さいませ。」


 通されたのはいつもの学習部屋だった。正式な礼をすると、今日はちゃんと敷物が用意されていて、そこに座るようにと言われた。お茶や菓子が運び込まれると、側仕えの者たちは部屋から外へと出て行った。殿下は手ずから茶を入れてすすめてくれる。


「……何か後ろめたいことでもあるのですか。」

「え!……いや、そういうわけではなく、いや、その、あのだな。」

「……何ですか。」

「……そうだな。その、ウンジュのことなのだが。」

「……ウンジュがどうかしましたか。」

「……。」


 殿下は完全にグダグダだったが、しばらくして深呼吸をしつつ告げてきた。


「その、王太子妃にウンジュをくれないか。」


 今、何と言った。いぶかしむように殿下を見つめる。


「ウンジュはまだ子供です。」

「数年で女性となる。」

「王族では政略上、益がありません。」

「サン家からは遠慮したい。」

「ウンジュは何と。」

「……ウンジュにはまだ何も言ってない。」


 殿下が自身の席から立ち上がり、僕の前まできて膝をついた。


「これは、決定事項で命令ですか、それとも検討の余地があるのですか。」


 冷たい声が出た。すっと頭が冷えていくのを感じ、妙な冷静さが自分を支配する。


「……ソンイ。」

「……命令には従います。」

「……気まぐれに遊んでいるんではないよ。こんな感情は初めてで、恋をしたのだと思う。」

「……(また恋か)。」

「絶対に守るから、協力してくれ。」

「……。」


 王の寵愛など吹けば飛ぶようなものだ。信じるに値しない。女官にしたのが間違いだったのだ。とりあえず、殿下がこのように世迷い言を言い続けているということは、ウンジュは王太子妃になるのかもしれない。そして、廃されなければ次期王妃となる。王宮などという混沌とした世界で、幸せに生き抜くことが出来る人間がはたしているのだろうか。


「お二人の間に、何か決定的なことがあったと考えた方がいいのですか?」

「……残念ながら一方的な片思いだよ。」

「……はい?」

「まだ、何もしてない。本当だ。ただ、放っておいて誰かと婚約ってことになってしまうと、僕にとっては非常にマズイと思って。」

「私の了解を取っておきたい、と言うことですか?」

「あぁ。」

「そんなことのために、今日、呼んだのか?」

「……すまない、都合も聞かないで。」

「……あの子はまだ子供です。変に手を出したら、よそに嫁がせますからね。」

「やめて、お兄ちゃん、厳しい。」

「……。」


 用意されていた菓子を摘まみ、口に放り込んだ。品よく入れられた茶を口に含む。


「うまいな。」

「修行の成果。」


 もう一つ、菓子を摘まむ。ここの菓子も茶も相当に美味しい。不労所得というか、命がけとは言え、いいご身分だ。


「……それでだな。」

「まだ何かあるんですか。」

「……日曜の午前中はウンジュと過ごしたい。」

「だめです。」

「瞬殺だなぁ。」


「嫁入り前の娘相手に、何言っているんですか。」

「いや、だから、行政書庫で一緒に作業する位ならいいだろう?」

「……まぁ、それくらいなら。」

「……よかった。ということで、お兄ちゃん、よろしく。」

「……ウンジュがなびかなかったら、ない話だからな。」

「……それが一番難しい。」


「しかし、なんでウンジュなんだ。」

「僕だってまさかと思ったんだが、何度か会ううちに、大人になるのを待ちたいと思うようになってしまって。こうなると完敗だ。」


 なに照れ照れしているんだ。幸せそうな顔をして。


「しかし……ウンジュ、僕のこと、全く眼中にないみたい。……あの無邪気さ……子猫と遊んでいるような気分になるよ。」

「そうなのか?」

「お前は誰かそういう人いないのか?」

「……絶望的に出会いがない。」

「……お互いに精進しよう。」

「……。」


 帰り道も内官が道案内をしてくれる。ここはたくさんの殿閣が立ち並ぶ、内宮と呼ばれる場所で、王とその妻たちと直系未成年の王族だけが住んでいる。殿閣の数は多く、一種の街を形成している。それぞれに名がつけられていて、誰それが使っていたという由緒があるらしい。

 うちのお祖母様の姉という人は、先の王様の側室としてここのどこかに住んでいたのかもしれない。ウンジュはサンソウォン廃妃の住んでいた、王太子妃が住むとされる王太子妃宮に住むのだろうか。

 実際、うちは三間で祖母、父母、兄妹の5人で住んでいて、それほど不便ではなかった。こんなに家は必要ないだろう。これだけの部屋を暖める薪の量だってハンパないだろう。家族で揃って住めばいいのに。


 ふと、前を歩く内官をみる。小柄で少年のまま成長が止まったようななりをしている。内官とは、後宮で仕官している男性たちで、王族の身の回りの世話から、後宮内の雑務全般を取り仕切ってきた存在。この男も人の良さそうな笑みを浮かべている。


「名前を聞いても?」

「キムともうします。」

「キム内官、あなたは殿下に仕えて長いのですか?」

「……はい、殿下がお小さい頃からですから。」

「殿下は、惚れっぽいのですか?」

「……はい?」

「たくさん恋人を作るタイプなのかと。」

「……それは、ご心配ないでしょう。こちらが心配になるほど、女性については慎重ですから。姫君が入宮されてよりのご執心、前例のないことで、私どもも正直驚いております。」

「……気の迷いということはないのかな。」

「……ひとたび口に出されたこと、感情で覆される方ではありません。」

「……。」


 つまりは、賽は投げられたのだな……。


 彼は大学の門まで送ってくれると、静かに頭を下げて帰って行った。門から部屋へ戻る道を歩く。もうすっかり日も暮れている。ウンジュを守るにはどうしたらいいのか。進退窮まった。試験が終わったら、父上に相談するしかない。お祖母様なども妙案があるかもしれない。


「おい、皆、捜していたんだよ。」


 道は暗く、慣れているから歩けるという感じだったところに、急に灯りが近づいてきたと思ったら、テスクだった。


「……テスク、どうしたんだ?」

「どうしたんだじゃないよ、討論会やるのにお前が居ないと進まないだろう。」

「……もう、そんな時間か?」

「そんな時間だよ。握り飯持って行ってやるから、お前は図書室へ行け。」

「了解。」


 部屋へと戻れないまま、図書室へと行く。そこには数十人の学生がすでに集まっていて、事前に提案していたとおり、くじ引きで3人1組にグルーピングされている。


 勉強会をしているうちに、お前に説明されるとカラスも白くなると言われて思いついた遊びだ。たとえば、民に教育は必要か是か非か、みたいなお題がでる。是の組と非の組に勝手に分けられる。是か非かは重要でない。是の組なら是の、非の組なら非の意見を組み立てて、相手を論破する遊びだ。相手を説き伏せる、説得力みたいな、論理性みたいなものを培うのにいいかもしれないと思って言ってみたら、予想外に皆乗り気で、試験前だというのにこれだけ集まってしまった。


 討論後、どちらの言い分がより理にかなっているか、説得力があったかを検討する。そして、どんな理屈を皆が捏ねたのか、発表しあって情報を共有する。

 カラスも白くなるような、どんな詭弁が飛び出すのか。正論はそれだけでいい。ただ、詭弁には詭弁の面白さもある。ただの屁理屈で終わるのか、それなりに聴衆の賛同を得てしまうのか、そこが言葉の持つまやかしというか、面白いところだと思う。


 適当なところで席を抜けて、提灯を手に図書室をでる。暗いと思ったら、月がないのだ。濃淡のある闇の中、部屋まで歩く。


 今日の殿下の言葉が、もやもやと頭を混乱させる。都に出て、仕官して、お金を稼げば、家族はもっと幸せになれる、そう思っていただけなのに。宝は隠しておかなくてはならなかった。王宮などと人目のつくところに出してしまっては、見つからずに置いておくことは出来なかったのだ。父上はこんな顛末を想像していたのだろうか。


 逃して下さいと、殿下に頼むか?


 廃妃のように、誰かと縁付けてしまおうか。


 ……ウンジュはどのような未来を望むのだろう。ウンジュが殿下を望むのなら、それでいいのだろうか。


 まだ、時間はある。

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