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38異国語始め

 月曜日のお勉強会の後、刺繍の会をやっていたが、王太子殿下が乱入して、何だか不思議な雰囲気になってしまった。


 皆を送り、城門から部屋へと戻ると、それまで黙っていたカン女官がすぐに質問してきた。


「その櫛はどうされたのですか?」

「勉強会の後、王太子殿下が急にいらしたて、刺繍していたハンカチが欲しいっていうから、差し上げたら、お礼に櫛を交換してくれたのよ。」

「……王太子殿下と櫛を交換したと?」

「そうよ。こんな男物の櫛をもらってもね。揃えていただいた櫛、可愛いかったのに。こういうの、迷惑だわ。」

「……迷惑。」

「ハンカチくらい、ただでさしあげるのに。」

「……。」


 カン女官の目も、何だか先ほどの王女の学友集団の温い眼差しに似ていた。何が言いたいのかわからないけど、何かわかってないことがあるような感じがする。


「……何か、私、勘違いしていることでもあるのかしら。さっき、王女様たちもカン女官と同じ様な目つきになったの。」

「……いえ、殿下も何をお考えなのでしょうね、不思議に思っただけですわ。」

「そうなのよね。私にもよくわからないわ。兄上みたいに振る舞うけど、たまに意地悪なときもあるわ。」

「……そうですか、それは困りましたね。」


 櫛をはずして、カン女官に髪を結い上げてもらうと、女官服に着替え、医官補助の講義へと出かけた。講義後の試験前勉強会も参加させてもらい、ノートをまた借りて勉強させてもらった。

 部屋に戻ってくるとカン女官に従って風呂や食事をすませると、昼間先生から借りた本を読みきり、感想文を少しずつ書き始めた。


「ク女官様、そろそろお休み下さいませ。」

「……わかった。」


 文章を書ききると、文机の上を片づけた。布団に入ると、明かりを持ったカン女官が部屋の明かりを落とし、部屋を出ていく。


「お休みなさいませ。」

「おやすみなさい。」


 明日はふつうにお仕事の日だ。まだ仕事初心者なのに、仕事以外のことにこれだけ忙しくなってしまうのはどうなのだろうか。でも、医官補の講義は行きたいし。やりたいことではないことで忙しいというのが、仕事をしているって事なのかしら。


 翌日、目が覚めると、雨の音が屋根を打つ音が聞こえた。薄ら暗くて湿気ぽさを感じた。いつものように寝具を片づけ、身支度をする。文机の前に座り、昨日の先生の宿題を片づけていく。

 この国の発想とは根本的に何かが違うと思われるような表記や、国が違えどもここまで同じ様に捉えているのかと驚くような点もあり、外国の本をそのまま自分でも読めたらおもしろそうだと思った。

 この数学の本のように、誰かが訳してくれればいいが、この国の本が膨大であるように外国の本も膨大だろう。翻訳にも時間がかかることを考えると、自分で適当に読み飛ばせるようになるのが一番だろう。読みたい本へのアクセスという点で最も効率が良さそうだ。ただ、そもそも外国語を話す人を見たこともなければ、文字を見たことも聞いたこともないので、どんな勉強をすればいいのかもわからない。


「謎だわ。まぁ、先生に聞いてみればいいのよね。次の講義の時に聞いてみよっと。」


 数学の本の内容や初めて接した発想についていくつかの文章を認めると、ナイフを巻紙に当て切ると紙をたたんだ。


 まだカン女官が呼びにこないから、引き続き、医官補助のノートを取りだして読み始めた。王宮に来てから2週間たって、来週には試験が控えている。使っている教科書はすべてホン先生から暗記を要求された本なので、授業がわからないということはほとんど感じない。一度覚えたので、再度覚えるのも比較的容易だ。

 ただ、ノートに散在する知らないことも結構あり、先週から夜におじゃましている勉強会で写したノート抄を、繰り返し読んでいる。覚えておかないと、おそらく試験に答えられなくなると思う。


「ク女官様、朝食をお持ちしましたよ。ほら、お勉強はいったん辞めましょう。」

「……はーい。」


 二人でもぐもぐ食べる。遠慮みたいな物はほとんどない。大体一汁三菜になるように料理を持ってきてくれる。はじめのうち、いろいろと試してみたが、それ以上おかずがあると満腹になる。余り身体によろしくないということで、いい塩梅に落ち着いた。


「今日は二日ぶりにお仕事だわ。仕事しに来たのに、仕事以外の仕事で忙しいっていうか。変な感じよね。」

「まぁ、王太子殿下と王妃様の命令ですから。」

「……そうよね、何でそんな偉い方から私なんかが指示を受けているんだろう。謎だわ。あ。」

「何ですか?」

「兄上が殿下と仲良しでなければ、静かな王宮生活が送れていたのに……。」

「……確かに、そうかもしれませんね。」

「……良いこと思いついた気がしたのに、何の解決にもならないわ。」

「……ふふっ。」

「殿下とは週末以外には会うことはないのだし、兄上の試験が終われば、兄上も一緒に作業されるから、そうよ、近々、状況は良くなっていくわ。」

「……そうですわね。」

「カン女官、どうして人事みたいなの。」

「そんなことないですよ。(ク女官様、完全に殿下、眼中に無いですし。)」

「そう?」

「はい(もう、殿下がお労しい限りです)。」


 朝食を終えると、雨の日用の衣装直しだ。着物の裾を上げて紐で抑え、更に裳の裾も同様にあげて紐で抑えた。足首がでる感じになるが、その上で濡れても乾かせばいい綿や麻の衣を纏って足をきちんと隠す。この上で、傘をさして外へとでる。

 書記部までは大した距離ではない。最近、他の女官たちの居室が立ち並ぶ一角などを見るにつけて、自分の与えられた居室の大きさと言い、立地と言い、恵まれていると感じる。カン女官の部屋をみる限り、おそらく調度品も違うのだろう。身分と言われても、ピンとこないのに。

 書記部に到着すると女性用の控え室があって、そこで濡れた衣を脱ぎ、紐を2本、しゅっと解くと着物も裳も元通り足下を覆っている。足袋を履き替えて、衣と紐をハンガーに掛けて壁際の物干し用の竿に掛ける。そこに掛けておくと帰る頃には大体乾いていると言う仕組みだ。

 今日は雨が降っているし、月曜日に仕事しなかった分も時間をかけたかったので、お弁当を持参している。昼食休憩を外にでなければ、少し時間短縮できて、仕事に時間を割くことが出来る。


「おはようございます。」

「ク女官様、おはようございます。」

「昨日は仕事出来ませんでしたから、今日は頑張りますね。」

「早速なのですけど、仕事、たくさんありますので、ご説明いたしますね。」


 いつもよりちょっと早めに着いたはずなのだが、もう人はたくさんいて、何だかいつもより血走った感じになっている。


「何かあったの?」

「今朝までの仕事が重なりまして、あの二人にはこれから少し仮眠を取らせようと思っています。」

「そうなの、大変だったのね。」

「今日は、ク女官様に大いに期待していますので、本当に、全開でお願いします。」

「……わ、わかったわ。頑張る。」


 清書関係をサクサクと終わらせていき、会議資料の様に複数枚必要な文書を片づけていく。


「あの、こちらのもお願いしていいですか?」

「お任せ下さい!」


 普段は回ってこない、武官や女官に配る指示書で複数枚必要なものなどは面白い。それぞれに名前と集合場所と役割だけを書き込む小紙片の束を完成させたりする。


「こちらもお願いしていいですか。」

「はいはい!」


 お昼の鐘が鳴った。

「……ク女官様ぁ~、助かりました。」

「……?」

「大至急分は、とりあえず終わりました。」

「……そう、なの?」

「日、月とク女官様がいらっしゃらないのは、正直ツラいです。」

「ミン女官!」

「あ、スイマセン。」

「……そうですよね、月曜日か木曜日を休日に当ててもらって、日曜日はこちらに来る事にしましょう。」

「え?本当ですか?大丈夫なんですか?」

「日曜日は王太子殿下のお手伝いなので、聞いてみます。半日くらいはゲットしてきます!」

「「「「王太子殿下。」」」」


 昼食をそのまま書記部でほおばり、超特急で午後分の仕事にも取りかかる。仮眠を取っていた方の午前中の分は手分けして皆で片づけていたようだった。


 就業時間修了の鐘がなると、筆を置く。


「帰っても、いいのかしら?」

「講義ですよね、どうぞ、行って下さい。」

「女官様の担当分も、私たちの分もたくさん終わらせていただきました。」

「女官様が女神に見えます。」

「……疲れてそうね。みなさんも早く帰って休んでね。じゃ、失礼します。」

「お疲れさまです。」


 火・水と書記部へ行くと、少しは職場が落ち着いた。夜に緊急事態が起こったら、部屋が近いから応援に呼んでくれと伝えておいたが。


 木曜日が来て、再び、王族学習会へ。授業前の先生に例の本と作文をもっていった。


「どうだった?」

「これは外国の本の翻訳ですか?」

「そうだ。君の兄上と上には了解を得たのだけど、君、外国語を勉強してみたいと思わなかった?」

「……はい、もっと面白い本がたくさんあるんじゃないかと思いまして。」

「なら、やはりこの授業はおまえさんにとって時間の無駄だ。隣の部屋に基本を教えられるのを連れてきたから、今日から学習開始だ。」

「……王妃様のおいいつけは……。」

「王妃様には了解を得ている。王女には、お昼から合流しなさい。君の知識は王女の学習には役に立つだろうから。」

「……はい。」


 教室で王女殿下とミョンス様に声をかけて、次の時間は隣の部屋で別の講義を受けると伝えた。王女殿下の返事はあっさりした物だった。


「母上から聞いているわ。でも、お昼は一緒にいたしましょう?終わったら、ここで待っているから早く来てね。」

「はい、では、よろしくお願いします。」


 隣の部屋へ行くと、おばあさんが座っていた。後から追うように教授が入ってきて紹介をしてくれた。

「……ウンジュ殿、紹介しよう。私の妹のジェインじゃよ。」

「……パクジェインです。あなたが生徒なのね。週に2回、月・木の午前中と聞いているわ。この部屋できっちりとお勉強しましょう。」

「はい、クウンジュと申します。よろしくお願いいたします。」


 その日は外国語の文字の書き方と読み方を習った。全くの未知の形、未知の音だった。一端覚えるまで繰り返しその場で唱えさせられ、また何十回も書かされた。月曜までに完全に脈絡のない符号を覚えることになった。頭が大分抵抗しているが、繰り返し攻撃には勝てまい。じわじわと頭に染みつけていこう。


 その日の午後は、王女殿下とミョンス様とスリョン様とソンジン様、私の5人で、歌の会をささやかに行った。

 

 庭の一角では、椿や山茶花が咲きはじめていて、美しい。薄曇りの初冬の日、淡く染められた紙にそれぞれで歌を書き連ねた。上の句を誰かが作り、それに別の者が下の句をつける、そして、しりとりで続きの歌をさらに続けていくと言うようなゲームもした。どうしようもない駄作とともに、時にハッとするような煌めきを感じさせる歌が混じる。


「そろそろ、お終いにしましょうか。」


 女官が王女殿下に声を掛けて、王女殿下が皆に声をかけた。お開きになり、王女殿下が退席されると、4人で城門に向かって歩いていくことにした。


「大分寒くなりましたよね。」とミョンス様。

「カゴをこの近くまで乗ってこられるといいのですけどね。ねぇ。」とスリョン様。

「カゴの件は王女様にお願いできないのかしら。」とソンジン様。

「スリョン様にソンジン様、私も父上に聞いてみましたけど、先例のないことは出来ないと仰るだけでした。」

「私、暑いときもツラかったですけど、雨もイヤだし、雪でも降ったらどうなるのかしら。」

 最後にスリョン様が大いに嘆いた。


 3人が城門からの30分の徒歩について、意見があるようで言いあっている。場内でカゴが使えるのは王族のみと決まっている。どんな重役でもカゴを使うことは出来ないので、こんな少女たちが少し知恵を出し合ったところで不可能な案件だ。


 おしゃべりをしているうちに城門までつく。3人は立派なカゴが待っていて、それぞれがカゴに乗って家に帰って行った。


「カン女官、彼女たちのカゴは立派なものね。」

「名門の姫君たちでございますから。」

「……カン女官、私、カゴに乗ったことないわ。周りの人で乗っている人いなかったし。」

「……一般的にはそれは普通の事ですから。」

「歩けるなら、歩けばいいのに。」

「姫君たちの前では言ってはなりませんよ。」

「……なんか、そういう雰囲気だったよね。だから、黙ってた。」


 経済観念の決定的な違いというか、この感覚の違いは今後も王宮で暮らすにあたって、結構な課題となるのかもしれないと思った。

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