35殿下と菓子
週末が来ると、女官姿のセリさんが迎えに来てくれた。カン女官は何か色々諦めモードで、行ってらっしゃいませと送り出してくれた。
「セリさんは、護衛官なんですよね。」
「はい。」
「女性でも護衛官ってあるんですね。」
「はい。」
「……どうして護衛官になったのですか?」
「……そうですね、私の家は代々武官を輩出している家でして、父も、兄二人も武官なんです。小さい頃から武芸については一緒に練習させてもらっていまして。」
「護衛官は、武官なのですか?」
「はい。」
「女性の武官って珍しいですね。」
「女性の武官は、少なく、王族警護以外の配属はありません。女性王族や側室様の警護などに当たることが多いです。」
「女官に偽装しているという感じですか?」
「その通りでございます。女官のなりをしていることで、護衛官だと思われずに活動しています。」
「女性ならではの大変さみたいなものはありますか?」
「私はまだ新参者で、それほどの経験がありません。」
「そうなのですか。」
行政書庫へ向かう中、セリさんに色々と聞いてみたが、冷静で何か言い過ぎてしまうというようなミスは皆無だった。向こうから私に質問をしてきてしまう様な愚も犯さない。私の外見にだまされて、ついついしゃべっちゃうものなのに。つまらない。
「私への疑問は何かありますか?」
「え?」
「一つ質問に答えてあげましょう。さあ。」
「……そうですね。それでは、王太子殿下についてどう思われているのか聞いてみたいです。」
「……?殿下のことですか?」
「はい。尾ひれのついた噂話で持ちきりでしたので。」
「あぁ、噂かぁ。でも、殿下は兄上のお友達ですね。先日、王妃様の所へ行った時に、私ともお友達になって下さるという話になりましたが、正直まだ、あまり存じ上げませんので何とも。」
「……そうですか。」
「セリさんにっとって、殿下はどんな方なのですか?」
「……殿下ですか?そうですね、上司としてはいい方です。色々な仕事を経験させてくれますし。」
「いつから、殿下の元で働いているの?」
「1年ほど前からです。」
「じゃぁ、王太子妃様よりも長いのね。」
「あぁ、そうですね。」
「ねぇ、ここだけの話、王太子妃様と殿下は仲良しだったの?」
「……お二人は王太子と王太子妃という立場を全うされるよう努力されていました。殿下もご結婚されてからは、王太子妃様と向き合おうと努めておられました。」
「……努力かぁ。結婚って、色々と大変なのですね。私も将来、そういうことがあると思いますけど、うまくいかないと一生大変ですよね。セリさんはご結婚はもうされているのですか?」
「……はい。」
「まぁ、旦那様はどんな方なのですか?」
「えっと、同僚の武官です。」
「職場結婚なんですか?」
「いえ、幼い頃からの許嫁でして。3ヶ月前に結婚しました。」
「すてきな話ですわ。」
「……いえ、そんな……。」
行政書庫まで歩きながら、頑張ってセリさんの話を引き出して、おしゃべりっぽくなってきた。どんな旦那様なんですか?という話でセリさんは陥落。すっかり、色々と話してくれるようになった。
旦那様やお子さんの話を聞くと、話が盛り上がることが多い。書記部の女官も旦那のダメ話では大いに盛り上がる。彼女たちの半数は結婚していて、その人たちは毎日夕方に官舎や持ち家に帰っているらしい。お子さんができるといったん辞めてしまう人も多いらしいが、書記部は特に人が足りないので、子育てが一段落つくと再び戻ってきて働く人も代々多いらしい。今の部長さんも一度家庭に入って、子育てが終わったので帰ってきた人らしい。
行政書庫に来ると、今回も身分証をじろじろと見られたが、セリの護衛官の身分証までみせたので中へ入れてくれた。
書庫の奥へと入っていき、塩文書のあたりで、書架の高いところのものを取るための小さな足台に座りながら、その辺の本を手に取り読み始めた。
今日は外も天気が良く明るいので、格子戸が閉まっているのに、中も明るい。文字を追うときはこのくらい明るいと見やすい。
「お待たせ。」
「……殿下、おはようございます。」
「おはよう。何を読んでいるんだ?」
「このあたりにどんな本があるのかと思って、色々な本を少しずつ、読んでいました。」
「そうか。今日は、この辺の過去のものを前回のようにまとめていってみようかと思う。」
「了解です。じゃ、4年前の分からさかのぼっていきます。」
「僕は他の品を見てみるね。」
「はい。」
過去の文書を当たって行く。先週の作業で慣れてきているので、書き出す段階でまとめていく。この資料をつけている人は、この事態に気がついているような気がするけど、どういう立場の人が記入しているのだろう。こういう不正のようなものに関わっているのか、それとも、口を出せるような立場にないのか。
書記部でも、時々、意味の分からない文書の清書が回ってくるときがあるが、特に何も申し出たりはしない。よく考えてみれば、書記部での仕事した文書もどこかに保管されていくのだ。自分の文字が、正式に保管される文書として扱われ、こうやって読み返されることもある。きちんと仕事しないと恥ずかしいな。
「ウンジュ、そろそろ休憩にしよう。」
「……あ、はい。」
気がつくと、女官がいて、茶器や菓子が運び込まれていた。私と殿下に2人分と、セリと殿下のお付きの方たち分の4人分と分けてではあるが、ちゃんと用意されているのが気遣いを感じる。
「すごくきれいな菓子ですね。」
「先日食べてね、ウンジュに食べさせたくて、また作らせたんだ。きれいだろう。」
「はい。……あ、私がお茶を入れますね。」
私と殿下用で用意された分のお茶の準備をする。4人分用のものは、ちょっと離れた場所でセリが準備をすすめている。武官なのか文官なのかわからないが、セリの他にも3人の男性が来ていて、殿下の手伝いをしている様子だった。3人とも紹介され、今後、お使いにやることがあるかもと殿下が言っていた。
「ウンジュは、この間、ミヨン王女の勉強を見てくれたみたいだね。もう既習済みの教科書をもう一度勉強するなんて、つまらなくないか?」
「私も最初はつまらないかと思ったのですが、……先生の解説を聞いていると、色々な解説書を思い出しまして、同じ原文から、色々な人に様々な受けとりかたで読まれているのに、改めておどろかされたりしていました。」
「面白かったのか?」
「あの類の文書は、一度読んで意味がわかったからどうという、そういうものではないのですね。繰り返し読んで覚えてしまった内容が、生活の中でふと思い出されて、行動の指針になったり、思考の助けになったりするように思います。」
「確かにね。そうなものかもしれないね。ねぇ、ウンジュ、このお菓子、おいしい?」
「……はい、とても。」
「じゃ、これもお食べ。」
殿下がひょいと口元まで、摘まんだ菓子を運んでくれたので、自然と口を開けた。甘い砂糖菓子が口の中に転がってとろける。
「……美味しい。」
「……(可愛い)。」
休憩時間を終えると、再び作業に取りかかった。報告書を読み込んでいくと同時に、現場の様子を思い描く。塩の作られ方とか、運搬方法とか全てについて知らなすぎる。知りたいという気持ちがうずうずとしてくる。
「殿下、塩ってどうやって作られているんでしょう。気になってきてしまいました。」
「そうだな、僕もよく知らないんだ。」
「国内の産業について、どのような場所で、どのような人たちによって、どのように作られているのか知ると、この数字の向こう側が見えてきそうな気がします。」
「確かになぁ。父上に相談してみよう。色々見てきたら、お前にも教えてやろう。」
「それはとても嬉しいです、殿下。」
昼頃になると、昼食に来いと言われて、王太子宮の殿下の居所へと連れて行かれた。庭が一望できる広間に昼食が用意されていて、今度は殿下と私だけで食べるらしかった。他の者は一端休憩に入るらしく、姿が見えなくなった。代わりに女官たちがご飯を運んでくれている。
みずぼらしい、という出で立ちの私だったが、女官服ではなく私服の方が、こういう場面での食事の相席者としては、相応しいのかもしれなかった。
「お前、僕に会うんだから、もう少しまともな格好をしておくべきじゃないか?」
「……そんなに変ですか?」
「……ここに急に誘ったのも悪いけどさ……いや、でも、着飾っちゃうと書庫で目立つか……。」
「殿下、とても美味しそうなのですが。殿下が箸をつけて下さらないと食べられません。」
「わかったわかった。じゃ、食べよう。」
殿下との間合いというか、おしゃべりの仕方がわかってきた気がする。殿下は兄のように振る舞ってくれるので、兄上に接する様に接すればいいみたいだった。気がつくと、お互いに失礼な物言いになってしまうときもあるけど、プライベートでならいいのかもしれない。
「お前は、単純でいいなぁ。」
「?」
「美味そうな物を、美味そうに食う。」
「そんなの当然じゃないですか。」
「僕の前で、そうやって食べられる人間は、あんまりいないんだよ。」
「……私、何かとんでもない失礼を働いていたりしていますか?」
「いやいや、このままでいい。」
「……公の場面ではきちんとさせていただきますが、今は、別にいいのでしょ?」
「……あぁ、今の方が嬉しいかな。」
「そうかなって思いました。でも、私もその方が話していて楽しいし、気楽でいいです。」
「気楽ね。君たち兄弟とは、馬があう。」
「そうかもしれませんね。殿下の誠実な人柄には、ひかれる物があります。新奇な物への興味の持たれ方とか、王宮でお育ちになっちゃった育ちの良さとかも、本当に興味深いです。」
「なんだよ、それ。」
「ふふふ。」
女官が新しいお茶を持って入ってきて、お茶を入れてくれようとした。
「お茶、ウンジュがいれてよ。」
「殿下?」
「ほら。」
「……はい。では、おいれいたしましょう。」
「美味しいお菓子も用意して置いたから、美味しくいれてよね。」
「はいはい。」
無駄口を叩きながら、お茶を入れていく。持ってきてくれた女官がお湯をくれたり、茶器を出してくれたりする。サクサクとお茶を入れ、いい香りがたつのを感じる。
「いい香り。」
「そうだな。」
「さて、では、差し上げましょう。」
殿下はお茶を含んで、ふっと微笑まれた。
「時々、お前にお茶を入れてもらう事にしようかな。くさくさする日々に、潤いが添加されるような気がするよ。」
「お呼び下さればいつだって参りますよ。」
「……そうだな。」
昼食をとって、軽いお茶時間を過ごすと、また書庫へと戻った。昼食休憩にでていた作業仲間も戻ってきて、作業を続ける。
夕方、兄上がやってきて、家族からの手紙を包んできてくれた。兄上は二言三言、殿下と冗談めかした言葉を交わすとすぐにこの場を後にした。
兄上が戻ってくると、なんだかホッとした。王都にひとりぼっちだと不安になる。兄上は半年以上、王都で一人で頑張って勉強をしていたのだから凄いなと思う。
「ソンイが戻ってきて、そんなに嬉しいのか?」
「……え。」
「嬉しそうな顔をしているぞ。」
「……はい、やはり兄上が近くにいてくれると思うだけで、ホッとします。昨夜から実家に戻られていたので、何だか落ちつかなくて。」
「……ソンイがいないときには、お前が寂しくないようにしてやらないといかんな。」
「大丈夫です。部屋にはカン女官もいつもいてくれますし。」
「あの女官か。ちゃんと働いているか?」
「はい。この間、家族と離れているのに寂しくなっちゃって、眠れなかった時があったのですが、一緒に寝てくれたんですよ。カン女官は、すごく優しいんです。」
「……そうか。」
兄上が帰られて、しばらくたった頃に、調べ物もとりあえず一区切りつけて、本や帳面を片づけていった。
殿下に見送られて、セリさんに伴われて、部屋へと戻る。カン女官が待ちかまえていて、夕食と入浴をすませた。それから、文机の前に座って、ようやく家族からの手紙の包みを開けた。内容は特に書いて寄越す程のものは無かったけれど、初めての手紙だった。
そこには、いつもは言葉になどしない、心配や期待の言葉が丁寧に並んでいた。父上の手付け、母上の手付け、お祖母様の手付けと端切れのような紙に繊細な文字が綴られていた。
これは宝物だと、そう思った。




