32ホームシック
兄上と王太子殿下と、行政書庫という場所で調べ物をした。殿下には、最初こそ馴染めなかったのだけど、以前に兄上がいっていた通り、言動が粗雑なので、会話を交わす毎に、近所のお兄さん程度の感覚に陥っていき、結果として丁寧な言葉遣いのまま、言いたいことを言い合うという感じに収まってしまった。
また手伝ってくれということで、部屋の前で、セリさんという護衛官を紹介された。その日は兄上と殿下だけでおしゃべりがまだあるようで、2人で歩いていってしまった。
部屋に戻ると、カン女官が夕食を用意してくれたのだけど、不満がたくさんあるみたいで私を涙目で軽くにらみつけてくる。
「どうして王太子殿下がこの部屋にいらっしゃるんですか。」
「兄上が仲良くしている方なのよ……。」
「すごくビックリしたんですからね。」
「あ、カン女官、ビックリしすぎて、怒っちゃっているんでしょ?」
「王太子殿下ですよ?この部屋に来たんですよ?」
「ごめんごめん。春に兄上が大学に来た頃からの、お友達なんですって。私たちのお祖母様と、殿下のお祖母様は姉妹だから、ハトコに当たるっていうことで、殿下は気安く感じているみたいなの。」
「……あぁ!もう!ビックリした!こんなこと、誰にも言えないし、1人で一日中、悶々としていました。夜になっても帰ってこないし。」
「本当に、ごめんなさい。心配させちゃったわよね。どうしたら許してくれる?」
「許すとかそういうんじゃ!もう!」
「あのね、来週も調べ事の手伝いにいく予定なのだけど、迎えに来るのは、さっき紹介されたセリさんで、殿下は来ないから。」
「あぁ、もう、やっぱり、バリバリのお嬢様じゃないですか!何で畑仕事なんかしてたんですか。1人で勝手にビックリして、一日中、ずっと心配していたんです。何かに巻き込まれちゃったんじゃないか……みたいに、もう、私、バカみたいじゃないですか。」
カン女官はひとしきり言い募ると、ようやく気が済んだようで一息ついてくれた。
「心配させてごめんね。でも、そんなに心配してくれてうれしい。」
「……そんなこと……もう……。」
その後、夕食を頂いて、簡単に湯浴みをした。カン女官は平静さを取り戻し、いつものような様子に戻って、私が寝る前に一時、本を読んでいると、隣で静かに針仕事をしていた。
「そろそろ寝るわ。」
「はい、お休みなさいませ。」
調べ物が楽しかったが、カン女官に心配をかけちゃったことが心苦しくて、ちょっとモヤモヤして寝付けなかった。何度か寝返りを打っていると、カン女官が声をかけてきた。
「まだ、起きているのですか?」
「……うん。」
「珍しいですね。いつもはすぐに爆睡しているのに。」
「……王宮では色々と突然起こるなと思ってね。」
「ちょっと不安になられましたか?」
「ちょっとね。」
「……私が守れる限りはお守りしますから、ク女官様もいい頭をしっかりと使って身を守って下さいませね。」
「そうね、あなたがいるから、1人でがんばらなくてもいいのよね。」
「はい、いつだって側にいますから。」
「うん。私もあなたに何もないように、がんばらないといけないわね。」
「そうして下さい。私は王宮で平和に生きることを切に望んでいますから。」
「ははは。わかったわ。ごめんなさい、起こしちゃって。寝ましょう。」
「はい。お休みなさいませ。」
「うん。」
月がなく、外は真っ暗である。射し込んでくる光もなく、あたりは靄っとしている。華やかな王宮もこの時間になるとほとんどの火は消され、歩く人もいない。
家を思い出す。父と母と祖母と兄と、ひよこたち。ホン先生やソク先生、本屋の仲間たち(?)。懐かしい面々がふと思い出される。なぜ王宮に来ようなどと思ってしまったのだろう。
寂しい。やっぱり寂しい。華やかで豊かで皆優しくしてくれるけど。試験には受かったけれど、ここにいて良いという自信なんてない。自分の身分だけでこんな立場にいるけれど、人の上に立つような場面なんて経験もない。
きれいな衣装を着て、毎日美味しいご飯をたべ、おやつまで、ここはなんて豊かで彩やかなのだろうか。でも、母上の作るごはんが食べたい。父上と話しながら写本をする生活をしたい。お祖母様の憎まれ口でいいから聞きたい。
どうしたんだろう、今夜は。私はなんだかひどく感傷的になっている気がする。カン女官があんなにも私のことを大切にしてくれるから、心配なんてしてくれて、なんだか、今夜は家族のことを思い出してしまった。
「……ク女官様、お散歩でもしに行きますか?」
「……相当、寒いわよ?」
「わかりました。じゃあ、一緒に寝ましょう。寂しくなっちゃったんですか?兄上様が帰られたからですか?」
まだ起きていることが、なぜかカン女官に気がつかれてしまった。そして、兄上と久しぶりに会って別れたせいだと思いこまれているが、カン女官が自分の布団を引きずって部屋に入ってきた。
暗がりの中、カン女官は布団を私の布団の隣に敷くと、横に来て布団に入る。
「はい、手を出して下さい。」
「?」
カン女官は隣に寝ると、頭をぽんぽんとなでてくれると、私の手を握った。その手は温かくて、ホッとした。
「私たちは女官として王宮に入ると、全員、王宮での生活になれるために、年齢の近い者達ばかりの4人部屋に入れられるんです。だから、皆でおしゃべりもしたし、遊びにも行きました。そんなんで、少しは寂しさも紛れたものなんですけど。ク女官様となると、身分が高すぎてそう言うことが出来ないから、結局、一人ぼっちにされてしまうんだなと思いまして。私でよければ、時々、こうして一緒に寝るのもいいでしょ。」
「……うん。」
カン女官は私が眠るまでずっと私の手を握ってくれていた。
朝、起きるとカン女官はまだ寝ていた。あたりは明るくなり始めたばかりという感じだが、遠くで人が動いている気配がある。静かに起きあがると、文机の所で紙と筆を出して、家族への手紙を書き始めた。
ここに来てからのことを、少しずつ思い出して綴っていく。そこにはカン女官がたくさん登場する。この人にちょっと甘えて、頼らせてもらいながら生活すれば、何とかなるかも……とちょっとだけホッとした。
「あ。」
「起きた?」
「あぁ!」
「まだ、早朝よ。家に手紙を書いていたの。書き終わったら、また、兄上に届けて貰ってもいい?」
「……はい、それは任せて下さい。布団片づけなくっちゃ。」
夜に暗闇の中で敷いたので、布団は曲がっていた。カン女官は自分の布団を抱えると、部屋を出ていった。私も自分の布団を片づけて、女官の衣装に着替える。
「朝食の準備ができましたよ。」
「はーい。」
部屋に2人分の食事とお茶の乗った大きめなお膳が運び込まれる。
「やっぱり、王太子殿下がここにきたのが噂になっていますよ。今、兄上様が友人で、昨日はここに遊びにいらしていたから、殿下もここにきたのだという話を広めてきたけど。」
「全くその通りなのだけど。」
「ク女官様はまだ10才ですから、変な噂にはならないかと思いますけど。ちょうど、王太子妃様が出宮したばかりですしね。」
「頂きます。」
「はい、どうぞ。」
ぱくぱくと口に食事を入れはじめても、カン女官はそのまましゃべり続ける。
「それにしても、王太子殿下といえば、王太子妃様について、いったいどうするつもりなのかしら。」
「王太子妃様の方はどんな噂になっているの?」
「ご病気の回復見込みがたたないらしいって聞きましたけど、死ぬまで王太子妃の座にしがみつくのが普通ですし、なぜ王宮から出たのでしょう。王宮の方がいい薬も手にはいるでしょうし。よくわからないですよね。」
「ご夫婦仲はどうだったの?」
「仲睦まじそうに見えましたけど。王太子殿下もお渡りになってらしたらしいですし。行事もお二人揃って参加されていたし。」
「……よくわからないわね。」
「えぇ。まだ1年経っていないのに、こんなに急にお出しになるなんて。いつ帰ってくるのかしら。」
「そうねぇ。(まだ廃妃となることは広まっていないんだ。)」
食事を終えると、まだ時間があるので、また本を読んでいた。時間になるとカン女官が呼んでくれ、一緒に書記部へと出かけた。
「おはようございます。」
「ク女官様、噂になっておりますよ。」
「……?」
「殿下でございます。」
「殿下が女性を訪ねるなんて、滅多にないことですからね。」
「……殿下は兄上の友人で、昨日は兄上が来ていたので、殿下も兄上を探していて、私の部屋に来ただけです。」
「……真実ってつまらないものね。」
「……女官様、こう、何か盛り上がるようなネタは?」
「出かけた先も、書庫ですし。」
「……どんどん盛り下がるんですけど。」
「私をよくごらんになって下さい。まず、年齢があいません。」
「……ク女官様、少しは希望を。」
「そんなことより、お仕事いたしましょう。」
「「「はぁ~い。」」」
書記部でのお仕事はいつも通りだった。次から次へと片づけていく。急ぎの仕事が終わると、今度は写本にとりかかる。王宮ではいち早く最新の本を入手でき、市場に出回るのを抑えてはいけないということで、王族が読む分は自前で写本させていると聞いた。
田舎町では良いと噂になった本を、本屋が街から買ってきて、それを写して売りさばいているのだ。いい本ほど皆が手元に置いておきたいと思うので、冊数がでる。そして、写本の仕事が繰り返し発注され、覚えてしまいそうなほど繰り返し写本した。
ここでは、常に新しい本を写せるので、面白い。もしかしたら、大した内容のない駄作も多々あるかもしれないが、新しい発想の面白い作品にも出会えそうだ。わくわくしながら写本に取り組む。
「ク女官様、王妃様がお呼びです。」
「……王妃様が?……ヤン女官様?」
「大丈夫でございますよ、お茶をと仰っていただけですから。」
「お茶……ですか?私に?」
昼食も終えて、午後の仕事に取りかかり始めた日の高い頃に、ヤン女官様ががやってきた。王妃様のお呼びとなると、殿下のことだろうか。いったい、王宮内でどんな噂が広がっているのだ。




