29至れり尽くせり
はじめてのお仕事から、部屋に戻る間にカン女官とおしゃべりをしていた。
「ク女官様、お仕事は、大丈夫でございましたか?」
「えぇ、何とか、大丈夫みたい。」
「それは、よろしゅうございました。」
「ねぇ、カン女官、女官が使えるような図書館とかそう言うのはないのかしら。」
「あぁ、ございますよ。講舎の隣です。」
「夕食とお風呂が終わったら、行ってもいい?」
「……よろしいのでは。後宮内なので、夜でも安全です。あとでご案内しますね。」
「それと、ノートとかそう言うのって、どこかで支給品とかあるのかしら。」
「学習用のものが講舎で頒布されています。」
「それ、私も欲しいわ。」
「図書館へ行く途中にありますから、貰っていったらいかがですか。」
早速、お風呂も夕食も済ませると、まだ外は明るくて、図書館へと連れて行って貰った。大学の図書館とはいかないが、ここの図書館もいろいろな本が並んでいた。閲覧席で本を読むことにして、カン女官には9時の最後の鐘がなる時にもう一度迎えに来てとお願いした。
写本のバイトにいそしんでいたときには、ついぞ訪れることの無かった自由時間だ。驚くことにこんなに本があるのに、読みに来ている人はたいしていなかった。静かな一時を過ごすことができた。
「ク女官様、もうお時間でございますよ。」
「あぁ、わかったわ。これ借りられるのかしら。」
「3冊まで、あそこの帳簿に名前を書いて、借りることが出来ます。」
「そう、じゃ、これ借りていって、朝、続きを読みましょう。」
「……本お好きなのですね。」
「今まで、こんなにゆっくりと読んだことが無いけど、こういうのんびりした読書って優雅だわ。」
「……そうですか?」
カン女官と一緒に部屋に戻ると、部屋には布団が敷いてある。至れり尽くせりである。これは、明日からもしっかりと働かないと申し分けなさすぎると思った。明日からも万全で臨むためには、基本は体調である。体調の基本は睡眠であり、夜更かしはいけないのである。
「では、お休みなさいませ。」
「えぇ、おやすみなさい。」
横になると、今日一日について思いめぐらした。いろいろとあったが、王妃様に会ったのが一番の出来事であり、次いで、新しい職場との出会いである。そして、図書室との出会い。
しばらくは、はじめて尽くしで、気も張るけれど、頑張りどころである。
そして、寝付きのいいウンジュはすぐに寝付いてしまう。
翌朝、目が覚めるとすぐに自分で布団を片づけた。そして、しまってあった衣装を出して身支度を整える。それから、昨日借りてきた本を文机に置くと、静かに読み始めた。
「お目覚めでございますか?失礼いたします。……片づけもお着替えも済まされたのですね。」
「えぇ、私は本を読むから。朝食まで、自由にしていていいわよ。」
「はい、ではその様にいたします。」
朝から畑の世話をするわけでもなく、本を読む。昨日貰ったノートに昨日から読んでいる本の気になるところを転記する。
「ク女官様、そろそろ朝食にしましょう。」
「……もうそんな時間?」
「はい。食堂が開く時間になりましたので、食事をいただいてまいりました。」
「ありがとう。なんだか、こう至れり尽くせりだと、女官をやめた後、元の生活に戻れるかしら。」
「ク女官様はそれなりのお家に嫁ぐことになるのではないのでしょうか。」
「だって、うち、貧乏よ?」
「ク女官様がお仕事して稼いでいれば、ご家族もそれなりの生活が出来るようになるのでは。」
「……たしかに、ここの給金はよかったかも。」
「でしょう?」
「でも、このよく日に焼けた私などを貰いたいという人はあまりいないわよ。」
「……なぜ日に焼けているのですか?」
「なぜって、畑仕事とかしていれば自ずと日に焼けちゃうわよ。」
「畑仕事、をしていたのですか?」
「食糧難を少しは凌ぐために。」
「……結構、壮絶な貧乏だったんですね。」
「そう言ったでしょ。」
「いえ、想定外でした。ふふふ、畑仕事。」
食事を終えると、カン女官は片づけを行い、私は再び本を読み始めた。時間が来ると仕事場まで送っていくと言っている。私が仕事へ行くのに見送るまでがお仕事だとのこと。私が仕事へ行っている間に、私の部屋の掃除をしたり、自分のことをしたりしていると言う話だった。
「ク女官様、そろそろお出ましのお時間でございますよ。」
「はい。」
部屋を出て、書記部まで歩いていくと、途中でかごに会った。全員がその場で立ち止まり、かごに向けて静かに頭を下げている。
「どなたのかご?」
「王太子妃様のでございます。長らくご体調不良が続いておりまして、ご実家にお戻りになるそうでございますよ。」
「まぁ。」
ぼそぼそとささやくようにカン女官に聞くと、やはりささやくようにこたえてくれた。
王太子妃と聞き、頭を下げていいのだと思い、すっと頭を下げた。顔を上げると、かごの後ろに側室と思われる方が同伴しているのに気がついた。
「なぜ側室様が?」
「王太子妃様の幼なじみだそうですよ。付き添うことを許可されたと聞きますが。」
「……そう、(変なの)。」
王宮ではみだりに自分の思ったことを口にしてはいけないとお祖母様が言っていた。誰が聞いているかわからないからと。幼なじみだろうと、側室は王太子の側女であり、王太子妃の付属品では無いはずなのに。王太子の後宮は、王太子妃とあのご側室だけだと聞いていたけど、2人とも外に出すというのはなんだか不思議な話だ。ふと逃げたお祖母様の姉を思い出した。王太子妃が逃げるというのは不思議だけど、何か大変なことがあったのかも知れない。もう、戻られないから、お友達も伴われたのかな。
書記部にたどり着くと、部長が仕事をたくさん準備してくれていた。そのうちの一つが王太子妃様についての命令書だった。王太子妃は長らくの病気のために廃されるとある。身分はそのまま維持され、特に罰則的な事項は一つもない。本人からの申し出と、体調不良の改善が見込めないという医師団の意見などから、本人の希望を聞くことになった、と言う内容だった。
王太子妃というのは、政略的な意味合いの多い婚姻なのではと考えると、病気程度でその地位を退くだろうかと言う気がする。先の王妃など子など無くとも、動けなかろうと、未だに離宮でその地位に拘っているではないか。どうしてもという、他にもう方法がないという、切実な理由が無い限り、次期王妃という座を誰かに譲れるものではないだろう。
廃された妃は、一生結婚も出来ないし、政治的な発言も禁止されている。王宮にいようといまいと、もう自由など無いのだ。それなのに、なぜ、急いで王宮を出るのか。時間を争うもの……懐妊くらいしか思い浮かばない。とすると、もしかしたら、王太子様以外の方の子を身ごもられたのだろうか。だとしたら、政略だとか言っていられない。不貞を暴かれたら本人も相手も死罪、一族郎党、職を取り上げられ流罪……見つかる前に、王宮をなんとしてでも逃げ出す必要がある。一族郎党に責が及ぶ前に、病気でも何でもいいから王宮から逃げ出さなくてはならないだろう。この顛末では誰も死なないが、もう自由の利かない身の上で、子を育てていくというのだろうか。だとしたら……。なんて、愚かなのだろう。
「え?」
「……いえ。これ終わりました。」
「じゃ、次はこれをよろしくね。」
「はい。」
午前中の仕事が終わると、誘われて一緒に食堂へと行った。
「私もここで食べてもいいの?」
「え、ダメなの?」
「いえ、まだ、一昨日来たばかりで、何も知らないので。」
「女官は誰でもここで食事していいはずよ。」
すっかり打ち解けているので、適当に座席を確保すると、全員でお膳を配っているところへと行く。お盆を持って自分の好きなおかずの乗った皿を取っていく。ご飯の量も自分で選んでいいようだった。
1人でわくわくしているみたいで、落ち着かなくてはと思ったが、やはりわくわくしてしまう。心の中で「すごいすごい」と連発してしまう。言葉にしてはいけない。
昼食をとると、午後の仕事に戻る。午後はミヨン王女の本の写本だと言われた。可愛らしい詩集で、恋に恋するような詩が多く、最近の人の詩のようだった。代筆していた恋文ほどの洗練された大人っぽさはなく、同年代の若者の恋文を集めたようなものだった。
「これ、流行っているのですか?」
「あぁ、最近、見かけるわよね。」
「なんか、逆にリアル。」
「若い人には、そうかもね。」
するすると書き綴っていく。小さな冊子に、小さな文字できっちりと書き込んでいく。小冊子なのですぐに終わる。あっという間だったが、何とも癒される。恋ってしたことが無いけど、この詩のようにドキドキしたり胸が締め付けられるような思いをするものなのかしら。
続いては、堅い最近の本の写本が回ってきた。兄上が興味を持ちそうな、街の管理について書いてあった。
「驚くべき早さですね。」
「……?」
「おやつ休憩を取りませんか。」
「あ、はい。ありがとう。」
「ク女官様はどこで勉強をなさっていたのですか?」
「……家で、父上と兄上に習っていました。」
「お兄さまがいらっしゃるのですか?」
「はい。この春から、大学の方で勉強させていただいています。」
「皆様はどちらで勉強したのですか?」
「皆、ここの講舎で勉強した者ばかりです。普通に入宮して、他の部署に配属になりつつも講舎での勉強が好きで、通っていた者達というか。」
「私もそちらで勉強をしてみたいですわ。」
「……ク女官様にとっては、簡単すぎるかもしれませんよ?」
「実は、私はこの春から医官の元で勉強させていただいていたのですけど、こちらでは医官補助になれなくて。でも、勉強が途中なので、続きの勉強だけでもさせて貰いたいのです。」
「あぁ、なら、医官補の学習会に参加すればいいんじゃないかしら。他の講義と一緒で、参加は自由だったはずよ。」
「行ってもいいですか?」
「……なぜ私たちに許可を?」
「え、所属長に許可を得ることって、あった気がしますが。」
「あぁ、確かに。でも、ク女官様はバリバリ仕事を片づけてくだっていますから、これ以上の拘束をするのはどうかと思います。」
「確かに。」
「え、私、お仕事ちゃんとできてます?」
「すごく助かっています。」
「昨日も今日も残業なしですし。」
「この調子でよろしくお願いします。」
「……はい、出来ることはがんばります。」
了解が得られたようなので、その日の夕方に仕事を終えると、カン女官に講舎へと連れて行ってもらい、医学系の授業を試しに聴講させて貰えるように手続きをした。
1時間程度の講義と1時間程度の実習で組み合わされている授業が多いようだ。
「迎えにくるまでは、図書室にいてくださいませね。」
「わかったから。あなたは先に夕食食べておいてね。だいぶ遅くなっちゃうから。」
「了解です。」
その夜に出た講義の教科書は、ホン先生と学習して暗唱の終わったテキストを使っていた。先生の話はテキストに無い話も含まれているので、ノートを取りながら面白く聞くことができた。途中からの受講なのがもったいない。
「ク女官様。」
「はい。」
授業後に講義をしていた先生から声をかけられた。生徒たちは集まっていろいろと話しているようだ。皆、同じ制服を着ているが、医官補助の衣装なのだろう。
「授業はいかがでしたか。」
「はい、このテキストは以前読んだことがあるので、学期の途中からでしたが、興味深く聞かせていただきました。」
「……読んだことがある?」
「はい、ホンジョンフン先生にこの半年ほどお仕えしていたのですが、その時に教えていただいたりすることがありまして。」
「あぁ、ホン先生に。」
「以前、王宮にいたときいています。ソク先生からは多少の薬剤の勉強をさせていただいていて、すべて途中で王宮へ出仕してしまったので、続きをお勉強させて貰えたらと思いまして。」
「あぁ、ソク先生も。この講義は基本、医官補助の者が受けているので、内容が多少実際的になると思いますが、ご了承ください。」
「どうぞ、よろしくお願いします。」
その日から、毎日、昼間は書記部で書き書きして、夕方からは授業を受けて、夕飯食べて、風呂入って寝るというのをルーティーンとして動く毎日となった。
休暇はどうしているのかと聞いてみると、書記部で順番に取ることになっているが、私はその順番と関係なく、日曜日は休んでくださいと言われた。
兄上に連絡を取りたいとカン女官に聞いてみたら、大学まで連絡に行ってくれると言われた。日曜日で兄上の都合のつく時間帯に、王宮まで会いに来てくださいという手紙を書くと、カン女官は持って行ってくれた。
はじめての日曜日に、兄上が訪問してくれるかも知れないとわくわくしながら、朝から本を読んだりしていると、9時の鐘の頃には王宮内の伝令が訪問を伝えてくれた。
「兄上様を迎えにいってまいります。」
「え、兄上のこと覚えてないでしょ?」
「……確かに。では、門までご一緒にまいります。」
「え、いいのよ?」
「いいえ、後宮を出たら、男性もたくさんおりますから。」
「……少し過保護じゃない?」
「少しはご身分をお考えください。」
「……はーい。」
結局、兄上のところまで、カン女官と2人でおしゃべりしながら歩いていった。




