18薬局研修
秋の気配が強くなってきた頃、ホン先生が薬局に私を連れていった。
「おい、ウンジュを連れてきた。」
「おう、ウンジュちゃん、久しぶり。」
「……あ、どうも、こんにちは。」
「ソクさんだよ。」
「ソク先生、よろしくお願いします。」
薬局のおじさんは、本屋さんで見知ったおじさんだった。
「しばらくの間、薬剤を覚えるのに、ここで働かせてもらうといい。」
「ウンジュちゃんが手伝ってくれるのは大歓迎だよ。」
「うちの研修の一環だから、食事はいつも通りうちでもらったものをあげるでいい?」
「いいのですか?」
ホン先生が言うには、薬剤名や効能はだいぶ覚えてきたから、あとは本物を見ながら学習してみると良いと言うことだった。そこで、昼食後から15時の鐘までは薬局に来て、処方箋通りに薬剤を処方していく事を覚えてこいということだった。
「僕の仕事を手伝ってくれれば、徐々に覚えると思うよ。」
「ありがとうございます。」
連れて行かれたその日の午後から、薬局でお手伝いをさせてもらうことになった。薬剤箱に山のように薬が入っていて、箱に名前が書いてある。
どの薬も効果がある分、副作用も出るので気をつけないといけないが、比較的安全なまろやかな薬剤と、劇的な効果が期待できるが危険な薬剤とがあり、明確に箱をわけられているようだ。
「ウンジュちゃんは、薬剤を見たのは初めて?」
「はい、名前だけは本で勉強しましたが、こんな形をしているものなのですね。」
「元は生の草木だけど蒸したり手を加えて、乾燥させたものだよ。これをさらに粉々にする物もある。一つずつ、実際の使い方を見せていくから、少しずつで良いから覚えるといいよ。」
「はい。」
ソク先生は処方箋通りに薬剤を選び、時にゴリゴリと車輪のようなすり棒で圧力を与えて細かくする。それを秤で適量ずつ分けていく。ほとんどの物は煎じて飲む事がおおいが、物によっては粉のようにしたあと、丸薬にして飲む物もあるみたいだ。
薬は、複数の薬剤で作られていて、それぞれの薬剤の分量は決まっている。どれかの薬剤が多くても少なくても効果が変わってきてしまうので、しっかりと秤で計って作るらしい。
薬ごとの薬剤配分についての冊子見せてくれて、ウンジュはその場でそれを紙束に写す。毎日少しずつ写して、覚えていこうと思った。
ソク先生はまずは、薬剤の形や匂いを覚えるようにと毎日、数種類ずつ薬を貸してくれた。ウンジュは家で、小さな書き損じの紙袋を作り、薬剤名を書き、薬剤を見てにおいをかいで薬剤名を確認するという作業を続けることにした。
「ホン先生ってウンジュちゃんから見てどんな先生なの?」
ソク先生がからかい混じりに聞いてくる。
「うーん、まじめですね。誠実というか実直というか。」
「……まぁね。僕もそう思うよ。」
「先生たちって、お友達なんですよね?」
「まぁ、長いこと友達やっているかもな。僕らは王宮の医局で同期だったんだ。仲良くやっててさ。だから、ここの役所の依頼に、一緒に行こうって事にして、ここで開業してかなり経つね。」
「先生もお医者様なんですよね。」
「まぁ、でも、実際は薬専門だな。」
「人には向き不向きって物がある……みたいな感じですか?」
「痛いところつくなぁ。わはは。」
ソク先生は薬が好きと言うより、人と会うのを好まない感じがある。にこにこしすぎてしまって疲れちゃうのかもしれない。サービス精神が旺盛すぎるのだ。几帳面だから、薬の扱いも丁寧で、患者さんからは一定の評価がある。
「薬局研修はどうだい?」
薬局研修を始めてしばらくたって、ホン先生が昼食をとりながら聞いてきた。
「先生の貸して下さった本のお薬を実際に見られましたし、複雑に色々な薬剤が組み合わさって薬が出来ているのに、ちょっと驚きました。」
「あぁ、そうだね。」
「それから、ソク先生がホン先生ってどんな人?みたいに色々聞いてきます。おもしろい人ですよね。」
「……あいつは何をしているんだ。」
「……先生って、どうして医者になろうと思ったんですか?」
「うちは、代々医者なんだよ。」
「医者になりたい人が続いているのですか?」
「いや、医学の本は貴重品でね、結構高価なんだよ。読める環境にある人って結構限られてくるんだと思うよ。うちは代々医者だらけなのだけど、本を代々写本したりしながら勉強を進めていくんだ。」
「あぁ、確かに。私もホン先生からお借りできなければ読めなかった本だらけです。」
「そういうこと。ソクさんはどうして医者になったか言っていた?」
「聞いていませんが、先生とは同期で仲が良いから一緒にここまで来たと言っていました。」
「……家族のようだよ。もう。」
「ホン先生のご家族って、聞いたことないですけど、聞いて良いですか?」
「両親と姉が2人いるよ。」
「なぜ結婚しないんですか?」
「直球だな。」
「あ、すいません。」
「……奥さんがいたのですが、病で失ったのです。」
「え。」
「結婚したのは、すごく若い頃で、彼女は16才、僕は17才で、僕はまだ学生でした。お互いの両親が結婚を勧めていて、僕は学生寮に入っていたのに、結婚をしたのです。彼女はまだ実家にいて、週末になると会っていました。そんな生活をしているなか、彼女は肺の病気になりました。少しずつ弱っていき、僕が卒業して医者になろうと勉強をするころには、どうしようもなく弱ってしまっていました。彼女は何度も血を吐いて、弱って、苦しんで息を引き取りました。僕はこれでいて彼女一筋で、だから、もう結婚はしないつもりです。」
「……。」
「……つまらない話をしちゃったな。」
「つまらなくないです。ちょっと、驚きましたが、奥さんは幸せだなと思いました。こんなにも先生に想ってもらっていて。でも、先生は寂しいですか?奥さんは、生きていたときよりも遠くにいったような、むしろ近づいたような、どんな感覚なのでしょうか。」
「……そうだね、かなわないほど向こうに行ってしまったのに、そばにいてくれる気がするよ。不思議だね。」
「生きていたときとはちょっと違う接し方になるだけで、いなくなったわけではないかなって、私はそう思います。」
「どうしてそんな風におもったの?」
「父上のこと、そんなに楽観できません。色々考えてしまうこともあるのです。」
「そうか。そうだね、話しかけても何も聞こえないのに、ふと彼女の声が聞こえた気がする瞬間もある。彼女ならこう言う、そうはっきりとわかるときもある。」
「よかった。死んでしまったら、父上との関係がそれで終わるなんて考えられないのです。祈りが届くように、愛も失われないと信じたいです。」
ホン先生はその場で、静かに、はらはらと涙をこぼした。優しく微笑んで、時折苦しそうに、奥様のことを思いだしているのかもしれない。
私は、先生の頭をぽんぽんとなでてあげた。
「僕は彼女と生きていていいのだよね。」
「……先生が一緒にいたい方と一緒にいればいいのではないでしょうか。」
「そうだね、一緒にいればいいんだ。なんで、こんなことに、気がつかなかったんだろう。」
ホン先生は、手で顔を覆って、思い切り泣いた。とても、つらかった気持ちが伝わってきた。私は、ただ、彼の髪をふわふわと触ってあげるしか出来なかった。
家では、庭でコッコひよひよの小鶏が小屋の中を飛び回っている。部屋で兄上のノートの写本を始めている。兄上の癖のある字が好きだ。私の字とはちょっと違う。文字を書き連ねながら、ふと先日の先生のことを考える。
先生を泣かせてしまった。どうしてなのかはわからないが、先生は泣き終わるとすっきりとした顔になっていた。
あのときから、私との会話の中に奥さんの話が出てくるようになった。奥さんとの昔話、懐かしい笑い話、彼女が言っていた冗談話が、ぽつんぽつんと話に混じる。
私と先生の間で、奥さんは確実に生きなおしはじめていると感じた。いのちって、人の存在って、不思議で尊いものなんだなって思ったのだった。




