17夏野菜
兄上が大学へと戻ってしまうと、家が少し寂しくなった。父上とひよこの存在感が半端ないのだけど、ついに、ひよこと呼ぶには大きすぎるようになってきたので、庭に小屋を建てる事になった。父上は若干寂しそうにしていたが、彼らが卵を産み始めたら、また、ひよこに孵してもいいのだ。
テヒの所のおじさんとテヒが来てくれて、大きなひよこが出られない間隔で、竹を地面に打ち付けてくれ、小屋を作ってくれた。ござを屋根にかけて、飛んでいかないように、竹柱にひもで縛る。その中に、まだ、鶏とは言えない感じだが、もう絶対にひよこではないかれらを入れると、今までより広い住処に嬉しそうに走り回っている。
「旦那様、元気そうに走り回っとりますよ。」
テヒのおじさんが父上に声をかけると、父上は這うように縁側まで出てきて、そのカゴを嬉しそうにみる。母があわてて、父の背を壁にもたれさせ、しっかりと座らせた。テヒのおじさんは父がそんな状態であるとは知らなかったみたいで、若干、驚いていた。
「ありがとう。いつも娘がお世話になっているようで、感謝しか出来ませんが。」
「いえ、いえ、もったいない。ウンジュちゃんにはうちもよく助けられていますので、これはほんのお礼です。」
大きなひよこたちは、コッコと鳴いたりひよひよ言ったりしている。ひよこにも声変わりがあるのかもしれない。畑の草を抜くと、彼らにあげる事にしている。相当な量を食べるが、畑に生える草の方が多いので、全く問題がない。
テヒのおじさんとテヒは、母上の出した白湯とお茶受けの梅干しを食べると、挨拶をして帰って行った。
「お届け物です!」
「……はい、手紙ですか。ありがとう。」
ウンジュが出て、手紙を預かってきた。兄からで、お祖母様、父上と母上への挨拶ではじまり、内容へと入っていった。父上の前で読み上げてく。
手紙の代筆についてどんなに頼まれてもう引き受けないようにと書いてあった。理由は今度会ったときに話すとあり、よくわからないが了解した。
「急ぎの用事は手紙の代筆禁止ということですよね、父上。」
「あぁ、何かあったんだな。ソンイがわざわざ言って寄越したのだから、やめておいた方がいいだろう。」
「わかりました。割がよかったのですが。」
夜になると、父上の診察をする。ちょっと涼しくなり始めているので、心配している。こう言うときには、父上は風邪を召されやすい。ひよこ?たちはまだ卵を生まないが、ホン先生が毎日のように卵をくれる。なので、父には毎日食べてもらっているので、例年よりは父も強そうにしている気がする。
父上研究者みたいな感じが続いている。
夜の写本が減った分、ホン先生から借りた本を読みたくなる。夜は早めに寝るようになったが、朝早く起きてしまう。寝る前に読み、草取りする前に少し読み、出かける前にも少し読む。
毎日みる患者さんたちが、苦しんでいる症状が普遍的なもので、体の不調として学問的にも認められているものである事が不思議だ。ただ、治らないものも多い。本を読んでいると、医者は、病気を診断出来るが、治せないものの方が遙かに多いだろうと感じる。
父上の病気も、心臓が悪いのでもうどうしようもない。何とか動き続けてもらうしかなく、やはり傾向から言うと、長生きできるものではない。兄も私も家系的な心臓の弱さを偶然引き継がなかっただけだと思う。母のおかげかな。
ある朝起きて、いつも通り少しだけ本を読み、畑へと向かう。そこにいたのは、こっそりと収穫物を盗む子供たちだった。
私に気が付くと一斉に5人ほどの子供たちが走り出して逃げた。そして、1人逃げ遅れた子供がいて、転んで足をすりむいていた。
「待って、本当はそれを持って行かれると困るのだけど、今日はもういいわ。おいで。」
足をすりむいて痛そうにしているその子は、まだ5才位に見える。抱き上げると、細くて軽くて、食べ物が足りてないとすぐにわかる感じだ。家に連れて帰り、傷口を洗ってやり、傷口に布を巻き付けてやる。
「何人いるの?」
「……。役人に引き渡すの?」
「おにぎりをあげるのに、人数を知りたいの。」
「……おにぎりくれるの?」
「これは、私たちの今日の食事なの。でも、あなたの方が必要に思えたから、今日だけは譲ってあげる。」
「……5人。」
「5人分、無いけど、小さいおにぎりを5つね。」
「あんた、お姫様だって聞いたけど。」
「そう見える?」
「……ぼろいよね。」
「まぁね。うちも貧乏なのよ。」
小さな子は、もらったおにぎりをしっかりと持ち、走って行ってしまった。
「父上、母上、うちのご飯、あの子にあげてしまいました。」
「……あぁ、浮浪児だね。」
「畑にいたんですが、転んだので手当をしました。」
「この国では、あの子たちは、悪いことをしないで生きていくことは出来ない仕組みになっている。畑の作物を盗むなんて、むしろ平和的で利口だ。」
「父上。」
「いい国になるといいな。」
「はい。」
朝から何だかなと思いながら、出発の支度をして家をでる。医院へ行くといつものように作業を開始する。
「朝から浮浪児がうちの畑を荒らしていて。」
「あぁ、それは大変だね。」
「私が行ったら驚いてみんな逃げちゃったんですけど、1人転んだ子がいたので、その子の手当をしてあげたんですけど。本当に、かわいそうだと思って。」
「ああいう子は、親が死んでしまって、寄り集まって生きているんだよね。必死だから、あまり関わらない方がいい。」
「……何とかならないものでしょうか。」
「お上の仕事だね。」
「……成人まで役所で働かせるとか出来ないのでしょうか。」
「色々、出来るとは思うけど、一度、大人への信頼を完全に失わせているから、今から信頼してくれって言ってもそう簡単じゃないと思うよ。」
「……そうですよね。でも、食べるのに事欠くって、悲しいことです。」
「実感がこもっているね。」
「ははは。先生が私を使ってくれなければ、我が家は限界でした。」
「……そんなに困っていたんだ。」
「はい。」
「現金収入がなくて済まないね。」
「食べ物があれば、あとは写本でも何とでもなりますから。」
自分がいるところと、彼らのいるところと、そんなに違わないと思った。親を失ったら、兄を失ったら、自分は同じ道をたどるだろう。
ホン先生が使ってくれなければ、今頃、どれだけ困窮していただろうか。父はよく見ていて、ホン先生を選んだ。あのとき、ホン先生に私を預けなければ、うちは結構きつかった。
父の体調も小康状態がずっと続いているだけで、回復している訳ではない。
朝からあの子たちに会って、自分の今の置かれている状態に感謝し、でも彼らの問題が彼らだけの問題ではないとわかっているからもどかしく、なにもしてあげられない事も情けなく、でも現実問題として、今このときも彼らは腹をすかせているのだ。
あの子たちになにもできない私について、忘れたくなくて、詩を作ってみた。今度、兄にでも見せてみようと思って、書き留めておいた。
「飲み屋にでも張っておくと、適当に節を付けてみんな歌いそうな感じだね。」
「この気持ちは忘れたくなかったので。」
ホン先生がメモをしている私の後ろから、詩をのぞき見て言った。
しばらくして、休みの日なのか、兄上が帰ってきた。色々と仕事をくれて、本屋とも話をしてくれた。例の手紙の代筆が、まさか芸妓さんのわざとして売られていたとは思わず、ちょっとびっくりした。そして、あの立派そうな兄上のお友達たちが夢中になっていたとは。
兄上はたくさんの白紙の冊子と1学期のノートを写本する仕事をくれた。そして、お友達の妹へのプレゼントの仕事もくれた。
あのときお友達になった女の子たちに、プレゼントする本を写本する事は少しうれしかった。そういうのは初めてである。いつもより一文字一文字に気を使う。暗唱している文章だけど、間違えないように丁寧に。
その日はとんぼ返りで兄上は帰って行った。ノートの写本は学期末までで、贈り物の本は大至急で送り返してくれということだったので、ホン先生に頼むと、正式の配送業の人に頼んでくれた。
ある朝、また、例の子供たちが別の畑から逃げてきたのに出会った。
あの小さな子が私の顔を見て、にっこり笑って手を振った。
私は苦い気持ちで、それでも笑顔を作って、手を振りかえした。
夏は終わりかけている。畑の収穫はこれからである。とりあえず、これで食いつないでいられるならそれでいいのだろうと思う。あちこちの畑をつまみ食いするように、小さな窃盗団は夏野菜を少しずつ持って行くのだった。




