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1はじまり

 山向こうへと続く小道を少し行くと、木々が生い茂る森が切れ、眼下にせり出すように重なりあう岩々が現れる。ウンジュはこの岩に上り腰を下ろすと、目をつむり、手を天に向けて大きく伸びた。川から春の土の香りがする心地よい風が通り過ぎ、背後に広がる森へと流れ込む。まだ春の来ていない木立が互いに枝をゆらしあい音を立てている。

 ウンジュは、ここに座って、ただ、この景色と風と匂いとを、全身の感覚でもって受け取ろうとする。眼下に広がる畑と、所々にある集落と、その向こうにある渡し場までを、ゆっくりと眺める。日々の貧しさの中で、生活に追われて忙しくしているが、日に1回、時間がとれるとここに来るのが習慣になっていた。



 ウンジュの家は、世襲王族である。王妃腹の男子が、成人し家族を持つときに、世襲王族として新たな家を創設する習わしになっている。現在は|金、盧、秦、剛、梁、安、初、具の8家が存在している。祖母がウンジュに語って聞かせた話によると、5代目の王の同母弟ク(具)ユンフが当家の始祖である。

 高貴といわれる身分ではありながら、家は貧しく、日々の食事にも事欠くほどである。これは曾祖父ユンギルから続く、当主3代の病弱・虚弱に原因がある。仕官出来なければ収入も途絶え、持ち物を売っては食いつないできたが、ついには屋敷も手放し、王都から離れたこの民家で暮らしている。

 高祖父ソルボンは優秀だったらしく、中央省部において礼部トップである長官にまで上り詰めた。ソルボンの子・曾祖父ユンギルも大学を卒業し、科挙で及第し官吏として職務に就いた。ユンギルは公主を妻に頂く。男子1人、女子1人もうけたところで、ユンギルは水難に遭い帰らぬ人となってしまったらしい。

 ユンギルの子・祖父テギュは幼い頃から体が弱かったが、学業は優秀であり、何とか大学を耐え、科挙にも及第し、官吏として職務に就いたが、職務に体が耐えられず、3年と経たずに職を辞すこととなる。祖父テギュは祖母ヒリョンとの間に父ジェモをもうけた頃には、起きていられないほどとなってしまう。

 曾祖母の公主が亡くなり公主の母である王妃様も亡くなってしまうと、一家を気にかけてお金を用立てしてくれる親族も居なくなり、様々な物を切り売りしても生活は成り立たなくなってきた。

 そんな折りに、曾祖父ユンギルの親友で、残された親友の子テギュ夫妻を心配し、身分に相応しくない民家だが、今の家を売れば兄のジェモに学を与えられ、科挙に通りさえすれば生活は立て直せるだろうと話し合ったらしく、都から離れてこの家にやってきたと言うことだった。

 しかし、残念ながら父ジェモの体も強くなかった。父ジェモは非常に優秀だと評価されるが、たまに調子がよく起きられる時もあるが、季節の変わり目や夏の暑さ冬の寒さで体調を崩すと、枕があがらない状態が続き、大学に在学できたのは1年余りで、科挙も及第したが官吏に耐えられないだろうと職を辞してこの家に戻ってきて寝込んでいる。

 父には、貧しい高位貴族の出身の、体だけは丈夫な母が嫁いできて、兄ソンイと私ウンジュが生まれた。我が家は現在、祖母ヒリョン・母ヘスク・兄ソンイ・私ウンジュで生計を立てていて、母・兄・私で朝方に畑作業をして、昼間は兄と私は寝込んでいる父から学業を学んでいる。祖母・母は衣類の繕い仕事をしている。



 兄はあと2年で大学に行く15歳になってしまう。母の実家も、我が家も、兄を大学に行かせるお金など、どう考えても用立てできないだろう。もう売るものなど何もない。そう思ったときに、私は、父が兄に音読させていた史書を思い出した。そう、人には色々な職や立場があり、政治を行う貴族から、商人、職人、農民など様々な職があり、そして奴卑など人に財産として所有されている立場にある人がいると言うのだ。

 奴卑というのは奉公にでるのとは違う。売られてしまうのだ。しかし、一生分を売るわけで、自分の子孫に至るまでの自由をすべて売ることになるので、奉公とは比べられないほどの大金が支払われる。

 私は最近、気がついてしまった。我が家を存続させるために私は必要ないのである。父は当主で、母は当主婦人である。祖母も先代当主婦人である。兄は嫡男で継嗣である。だが、私は嫁に出されるだけで、我が家に影響を及ぼさない存在なのである。兄が15となるとき、私は9歳である。文字の書ける奴卑は役に立つだろう。私は、自分が売られ、兄の修学資金とされることが頭から離れなくなっていった。家督の存続を考えると、最悪はそうなっても仕方のないことだと思っていた。

 ただ、出来れば売られるのではなく奉公する方がありがたく、さらに、売られるなら売られ先を選びたい。齢7歳にして、私は真剣に自分の身の振りを考えるようになってしまった。



 8歳となり、兄のやっていた写本のバイトを手伝えるようになった。漢本の学習が一通り済み、正確に文章を把握出来るようになったので、試しにと書いた文字について、本屋が了解してくれたからである。我が家の収入の7割方が、この写本による物だった。この写本の筆者師が2人となれば、収入は上がる。兄は大学修学費用を何とか自分で捻出出来ないかと考えていて、ひたすら写本を行うようになっていた。そして、私もそれに気がついて、手伝うようになり、なれてくると私も兄と同じ量の筆写を行うことが出来るようになっていった。

 大学修学を予定する年の前年2月、兄は大学の試験を受けに行った。そして、結果を見て喜んで帰ってきた。

「学費免除生に選ばれた。……ウンジュ、心配かけたが、お前がこのまま写本を続けて母たちを食わしてくれれば、何とかなる。」

「……私、売られなくて済むんですね。」

「……売られる?……心配をかけて済まなかった。」

 その日、兄と抱き合って喜んだのだった。

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