EP.08 目覚めた男 (三)
それから一週間が経過。男の傷はまだ癒えない。好い加減うんざりして来ていた。
ラフラカのせいで大陸は困窮しており、甚大な資源不足。いくら女が薬師でも、薬となる資源が不足している中でキリ詰め上手くやり繰りしている。
だと言うのに男のせいで大分消費してしまった。
何故自分がこんな事を……と思いながら毎日のように甲斐甲斐しく男の身体に治療薬を塗り込み包帯を替えた。
それも一ヶ月も立てば何とも思わなくなって来た。それが当たり前の日課になっていたのだから。
男がうなされる事がある。そういう時は決まって高熱を出す。
その時は包帯を数時間起きに替え、濡れたタオルを頭に置く。それが当たり前になっていたので苦にはならなかった。
それどころか一人暮らしの寂しさを埋めてくれるものを感じていた。
ただ一つ気がかりがあったが……。
「ねぇあんた何者なんだい? 名前はなんてんだい?」
時々問い掛ける。
「……………………」
当然返事はない。この時ばかりは、空しさを感じずにはいられない。
一緒に生活しているのに会話がないのだ。それがどうしても哀しく寂しくて、そして空しくてならない。
四ヶ月立っても目覚めない。もう目覚める事がないのではないかとさえ思ってしまう。
「今日は、あたいの誕生日なんだ」
「……………………」
「二十四になったさぁ」
「……………………」
「もう十一年になるかなぁ? あたいは一人になって、祝って貰った事がないのさぁ」
「……………………」
「せっかく一緒にいるんだからさぁ……一言くらい……おめでとうくらいあっても良いじゃない」
ほろりと頬に雫が流れる。話していて空しくなってしまったのだ。
十一年間ずっと一人。その寂しさを埋めてくれるような奇妙な同居人ができたというのに一言も話してくれない。
胸をキュ~っと締め付けられる感覚に陥る。
「アホらしいさぁ」
やがて女はかぶりを振ると頬に流れた涙を拭き仕事に戻った。
女の仕事は薬師。男の治療の為の薬を作るだけではなく、売る為の薬も作らないと生活が成り立たないからだ。
そうして待ちに待った日が来た。季節は十月。あれから半年過ぎて男が漸く目を覚ました。
「……ん…………ぅ…ぅん」
「やっと目を覚ましたさぁ」
かなり渋く低い声。半年間以上喉を使っていなかっただけあってガラガラ声だ。
「ここは? ……俺は一体……?」
「ここはあたいの家。あんたは近くの海岸に倒れていたのさぁ」
簡素に教える。
「……そうか」
男は虚空を眺めていた。まるで、死にそびれたと言わんばかりに。
せっかく治療したってのに死にたがってたんだと思うと哀しくなるなぁと思いつつ、それを表面に出さず、女は次の言葉を繋ぐ。
「半年以上も眠っていたのさぁ。もう起きないかと思った」
「そうなのか……」
男は髪と同じグレーの瞳で女を見詰める。
「そうさぁ。ところであんた名前はなんて言うんだい? あたいはナターシャ。ナターシャ=プリズン」
「……俺には名などない」
「はっ?」
思わず間の抜けた声がナターシャの口から出てしまう。何? 今まで名無し君を看病してたの? それはあまりにも滑稽過ぎる。
とは、思ってしまったが、実際のとこナターシャはそれも予想していた。
「名など捨てた」
男が言い直す。
だろうね。全身傷らだけで倒れていたしねぇ。得体が知れなさ過ぎる。いろいろ訳ありだという事は察していさぁと胸中思っていた。
ナターシャは男を看病しながら、様々な事を想像していた。目を覚ましても、記憶喪失なんではないかとか。それどころか喋れないのではないかとか……。
「それだと何かと困るねぇ。じゃあ、あたいが名前付けて良いかい?」
「……ああ」
ナターシャは、あえて何も聞かない。それがお互いの為だろう。ただ名前がないのは不便である。あたいって寛大だなぁなんて自画自賛していた。
「じゃあ海辺に倒れていたから…………海辺、水……う~んアクア…アクアアクー……アーク!」
ナターシャはポーンと手を叩く。
「そうだ! アークなんてどうだい?」
「ふっ……昔そんな名で呼ばれた事もあったな」
男の口元が緩む。薄く笑う。ナターシャは一瞬ドキっとし、いかんいかん余計な事は考えるなとかぶりを振る。
そしてアークは再び眠りに付いた……。
次に目覚めたのは二日後だ。グレーの双眸が視線を彷徨わせてナターシャを捉える。
「おはようさぁ」
「……ああ」
おはようと言ってるんだから、おはようと返しなよ。「ああ」じゃないさぁとナターシャは胸中憤慨したが、表には出さなかった。
「とりあえず水を飲むと良いさぁ」
目覚めて直ぐに食事は無理だろう。それ以前に動けないだろう。
「……くっ!」
だと言うのに男は起きようとして顔をしかめた。
「無理に動かないさぁ。半年寝ていたんだから大人しくする。ほら飲ませて上げるさぁ」
ナターシャは水差しを男の口元に持って行った。
「……すまない」
そう答えアークは水差しを銜え水をゴクゴク飲み喉を鳴らす。
「じゃあゆっくりすると良いさぁ。暫く動けないだろうし」
その後、アークは普通じゃ考えられない程の回復を見せる。三日でベッドから起き上がっていたのだ。
「動けるようになったのかい?」
ナターシャは、目を丸くし驚きつつ、そう問い掛ける。
「……いや……上半身を起せるようになっただけだ」
「そうかい。ところでアークは行く当てはあるのかい?」
「………」
視線が虚空を彷徨う。これはないなとナターシャは察する。
「ならこのままここに一緒に暮らすかい?」
「……良いのか?」
「もう半年いたんだ。構わないさぁ」
恥ずかしくて言わなかったが、胸中いなくなったら寂しいさぁと付け加えた。
「……そうか」
こうしてアークと一緒に暮らす事になった。とは言え、もう半年も一緒にいたのだ。ナターシャに取っては「これからも」が正しい。