EP.41 エピローグ -side Christiara-
……この国は、もう終わっているのかもしれない。
生まれ育った街並みも、父の築いた城も、きっと数年後には無残なものになるでしょう。
ならば、潰すしかないのかもしれない――私のこの手で。
そんな思いが過ったのは、あの日の出来事が全ての始まりでした。
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──何が起きたのか、最初は分かりませんでした。
ハンネルさんの『ぅわぁぁぁあああ……っ!!』という半狂乱の叫びで振り返った瞬間、彼が私を強く押し、体が後ろへ弾かれました。
視界の端で彼の顔が固まり、目が異様に見開かれていたのを覚えています。
気がつけば背後には、牙を剥く巨大な魔獣――タイタンオーガ。
「……っ!」
恐怖で声も出ず、脚が竦む。
だが次の瞬間、誰かの影が横から飛び込み、私の体を抱き寄せ、私だけを離脱させるように投げられ、サヤさんの精霊が私を受け止めてくれました。
助けてくれたのはライオスさん……あの平民の少年だった。
その後、ライオスさんはタイタンオーガに吹き飛ばされ戦線離脱。まぁ彼の実力なら、命に別条はないでしょうが、私達が危険でした。
そこでサヤさんがタイタンオーガを引き受けてくれました。更に契約精霊を2体を逃走の援護に残してくれたのです。
しかし、逃走中に信じがたい言葉が飛び交い始めました。
『許せません……クリースティアラ公女殿下を危険に晒す等……』
『そうですね。私もそう思いますわ。ハンネルさん、ご説明を』
『ちっ! ルリオに突き飛ばされからだ』
『待て! 戦闘中にぶつかって来たのはハンネル様でしょう? 流石にアレは危険行為だ』
『……と、言っておりますが、やはり元々の原因は貴方ではないのですが』
『アレだよ……アレ! あのライオスがぶつかって来たんだよ。大方魔獣にビビったんだろ?』
ライオスさんに罪を擦り付けたのは私を突き飛ばした張本人ハンネルさん。
公族を突き飛ばしたとなれば、大罪となるでしょう。
なので私は『それは違います』と言い掛けましたが……口は動きませんでした。
この場で公爵令息の彼をを糾弾すれば、場は収拾がつかなくなります。それに、あの家は貴族派筆頭。
その判断が、後にどれほどの禍根を生むか、その時の私は知りませんでした。
数日後。
事態は思いもよらぬ方向に転がりました。
今回の一件でウルールカ女王国は激怒。
理由は、彼の身元引受人が女王陛下から最重要人物扱いを受けていたからです。
その保護者が現場を見てたという耳を疑う話しでした。そうなると真実は明らか。
更に我が国は彼を学園入学させる際にその身元引受人に許可が取らなかった事が問題になりました。
五年程前の事を今更とは思います。それに平民の身元引受人も平民だと軽視してしまっていたのです。
これが貴族であれば身元引受人に許可を取り次ぎますが、我が国は平民は家畜だと見下す風習がありました。
「……私が、黙ってしまったから」
胸の奥に重い鉛が沈む。私が沈黙しなければ5年前の事も糾弾されなかったかもしれません。
そしてそれを受け、私はハイネルさんの御父君であるアルビソン公爵が私を訪ねてきました。
公爵がゆるやかに笑みを浮かべて口を開きます。
「殿下。あの一件、覚えておられますな」
低く落ち着いた声だが、その裏に鋭い刃が潜んでいるのが分かります。
「ウルールカ女王国の女王陛下は、あの平民の少年の無実だと知っております。しかし、現場に殿下もおられた。……となれば?」
「……私に、責任があると?」
自分でも驚くほど声が掠れていた。
「ええ。殿下が一言でも庇えば、事態は変わっていたでしょう。貴族派は今、窮地に立たされております。このままでは……」
公爵は目を細め、囁くように告げる。
「殿下には我らの旗印となって頂きたい」
それは頼みではなく脅迫でした。
アルビソン公爵が最終的に決定したというのに責任逃れをしたいのでしょう。
しかし、私にも責任があるのもまた事実。
沈黙の罪悪感に加え、今度は政治の渦へ巻き込まれようとしています。
胸の奥で、恐怖と悔恨がじわじわと絡み合っていく──。
貴族派の旗頭に据えられダンダレス帝国に亡命したまでは良かったのですが、私は誘拐されてしまいました。
クーデリアさんが助けに来てくれましたが、傷付き倒れます。そして見知らぬ青年が来られました。――いや、どこかで見たような顔立ち……何か忘れてはいけない事を忘れてしまったような感覚でした。
――耳を疑った。
戦闘中にバリガリスなる男は、何を言ったのでしょう……。
「……ライオス」
そのまま口の中で転がし、この青年があの時に少年だったというのが理解出来ました。
顔立ちが1年で大人っぽくなり少年から青年に変わった事や髪を金髪にされた事で、直ぐに気付かなかったのでしょう。
いや――それ以上に人の感情を削ぎ落した殺意が彼の雰囲気を変えて気付かなかったのでしょう。
「てめーの母親のミズハは、俺様のガキを孕んでおいて勝手に死にやがって!」
この後、バリガリスの下卑た醜悪な言葉が次々に紡がれます。
そして決定的な言葉が……、
「知ってるかァ? ミズハは聖王国の王女だったんだぜ。つまりてめーは孤児院に捨てられた哀れな王子様だよなァ? 似合わなねよなァオイ。てめーは、俺様を拒んだ女の残りカスだ」
思わず息が詰まる。
空気が凍る更に一段ライオスさんの人の感情を削ぎ落された感覚がします。ライオスさんの瞳から感情が消えていました。
王子――ジパーング聖王国の至宝ともいえる存在。それが、この場で、こんな形で……。
頭の奥に過ぎるのは、あの時の光景。私が沈黙してしまったせいでウルールカ女王国の逆鱗に触れた。
次は――ジパーング聖王国です。王族の正当な血を引くライオスさんを貶めたと知られれば、ジパーング聖王国も黙っていないかもしれません。
いや、それよりもダンダレス帝国に知られればの心証が悪くなり、亡命の交渉が進まないかもしれません。
そう……これが露見すれば、スイースレンは終わる。外交も、均衡も。
――――何を思ってるのでしょう私は。
違うでしょう! 問題は我が国の平民を家畜と思う思想がでしょう。何をこれから問題や保身ばかり考えてるのでしょう。
この期に及んで最低だと嫌悪します。本当に醜悪なのはバリガリスなる男ではなくスイースレン公国であり私です。
ドンッ!
鈍い音が響くバリガリスの顎が跳ね上がりました。
何が起きたのか理解できませんが風が裂ける音が響く。
続けて腹、肋骨、膝、喉――砕かれていく音が聞こえました。
「ぐぶっ……て、め……っ」
「黙れ」
冷たい。あまりにも冷たい声。怒号よりも、剣よりも、恐ろしい。
巨体が地面に叩きつけられる。砂埃が舞う中、私はまだ震えていました。
これは――ただの戦闘ではない。外交の、王国の、未来の引き金です。
そう分かっているのに、指先ひとつ動かせません。
――――我が国はもう終わるかもしれません。
――――けれど、私の役割はまだ終わっていません。
――――だからこそ、
突きつけられた現実は、冷たい刃のように胸を裂きます。
私にはまだ、やらねばならないことがあります。
たとえその果てに、スイースレン公国という名が歴史から消えようとも――。
私は視線を上げた。遠く、かすんだ空の向こうに、まだ見ぬ未来がある。
ならば私が全て終わせます。
このクリースティアラ=フォン=スイースレンが――――。




