EP.37 戦巫傀儡
お待たせして申し訳ございません。
少し忙しく執筆に時間がかかりました。
それと整合性の問題で、一度この章を全部描いてからアップした方が良いと判断したのもあります。
故に今日からこの章が終わるまで毎日アップします。
夜が明け、迎賓館の一室では穏やかな空気に包まれていた。尤も最近の彼女の朝は遅い。
亡命貴族たちの旗頭として担ぎ上げられてからというもの、辺境伯令嬢や亡命組は統制を取ろうと奔走し寝るのが遅くなったのだ。旗頭に担ぎ上げられたからには、常に前に出て政治の表舞台に立たないといけない――本人のやる気に関わらず。それでもその青い髪は煌めく。
「……ん。今日もいい天気ね」
侍女が差し出したお茶を受け取り、金色の目を細め一口含む。窓から差し込む朝の光が銀の茶器を反射して、穏やかな時間が広がる。菓子を一つ摘み、ほっと息を吐いた。
この者の名はクリースティアラ=フォン=スイースレン。スイースレン公国の第一公女クリースティアラだ。
小ぶりの菓子や軽食を摘みながら、静かに庭の空を眺める。昼食まで二時間もないため腹を満たしきることはないが、それでもこの時間だけは公女ではなく一人の娘としての顔に戻れる。
……はずだった。
――カンカンカンカンカンカン……!
突然、警鐘が町中に響き渡った。低く重い音が館全体を震わせる。侍女が慌てて茶器を落とし、砕けた音が静寂を切り裂いた。
「な、何事です!?」
ドアが乱暴に開かれ、顔面蒼白の騎士が駆け込んで来る。
ノックもなし――本来なら処刑すらありえる無礼。しかしその表情は焦燥と緊迫に満ちており、クリースティアラ公女は咎めずに問う。
「何が起きたの?」
「正体不明の軍勢が町に押し寄せております!」
「正体不明? 報告は明確にしなさい!」
叱責の声が響く。普段は温厚な公女の瞳に、凛とした光が宿る。
「っ!! それが……その人形のとしか……!」
「人形……?」
その言葉に、公女の眉が僅かに動いた。
すぐに侍女たちが着替えの支度に走り出す。騎士達――公女の部屋に飛び込んで来た騎士と外で待機してた騎士の二人――も廊下を駆け、迎賓館は一気に騒然となった。
とりあえず他の同郷の者達と合流しようと広間へ向かおうとしたその時……、
「……え?」
廊下に、妙な少女が立っていた。白い肌、整った顔立ち、小柄な体躯……遠目にはごく普通の少女にしか見えない。だが、数歩近づくだけで、その違和感は一気に増した。
口元には、顎に向かってうっすらと縦の切れ込みが走っている。笑ってもいないのに唇の端がぴくりとも動かず、まるで開閉用の線を描いたかのようだ。
肘や膝の関節は丸い球状で、衣服の隙間からは木や金属を思わせる接合部が覗いている。皮膚の表面には血管の陰りも、体温の滲みもなく、ただ均一で無機質な質感だけが支配していた。
整いすぎた顔
焦点の合わない瞳
表情の欠落。
それが人ではない。丸で工房で作られた人形細工を、そのまま拡大して廊下に立たせたような、不気味な少女だった。
――戦巫傀儡タイプβ。
古代文明で作られた戦闘人形だ。過去の遺物とも言えるその最も量産されたバージョン。試作と言えるタイプαより強力だが、更に後継のタイプγには劣るというもの。
その無感情な瞳が、ゆっくりとクリースティアラを捉えた。
「な、なんだあれは!?」
「公女殿下、下がってください!」
騎士たちが前に出ると、戦巫傀儡が滑るような動きで廊下を進み始めた。
金属の軋む音とともに、その手に握られた刃が朝日を反射する。
「人形が……動いてる……?」
侍女の一人が青ざめて呟く。
戦巫傀儡の関節は人間よりも滑らかで、しかしどこか生き物ではないぎこちなさが混じっている。その異様な光景に、場の空気が一気に張り詰めた。
「迎撃しろ!」
「殿下を守れ!」
二人の騎士が剣を抜き、一斉に切りかかる。金属音が響き、戦巫傀儡が無機質な動きで応戦を始めた。
ガッキーンっ!!
「なん……だと!?」
騎士が驚くのも無理ない。二人の騎士の剣を両手にそれぞれ持ったチャクラムで受け止めたのだから……。
その後、流れるように動く戦巫傀儡。騎士二人掛かりだと言うのに互角以上に戦っていた。
それもその筈。アークは無感情に片付けていたが一般的な騎士やBランク冒険者のレベルは50前後。対し戦巫傀儡は70くらいあり量産型とはいえ、古代兵器としては脅威に値する。
そもそもこの世界で能力を伸ばす方法は二つある。一つが魔獣や時に人と戦いレベルを上げる事。もう一つが反復訓練をする事だ。
極論を言えばレベル1で反復だけを繰り返し鍛え、レベル100の者と同等になる事も可能。
尚、目安だけで言えばルナ・ワールドに来たばかりのアークは既に120くらいの能力があった。
故にアークはじっくり戦巫傀儡を観察する事になく無感情にバッタバッタ薙ぎ倒した。ましてや全ステータスが2倍になる『称号 大英雄』が発動したアークには手も足も出なかったのだ。
よって、この戦巫傀儡一体が、今この場では圧倒的な脅威と言えた。
「いやっ!」
「きゃあっ!」
侍女が悲鳴のようなか細い声を上げる。その視線の先には……、
「もう一体……?」
騎士の一人の言葉通り、通路の角にもう一体の戦巫傀儡が佇んでいた。この一瞬の動揺が、均衡を保っていた戦場を崩す
「がはっ!」
戦巫傀儡が飛び上がり、動揺した騎士の頭を蹴り飛ばす。その空中姿勢のまま、もう一人の騎士をチャクラムで斬り上げた。
「くっ!」
胸から左肩までざっくりと斬られ、騎士は片膝をつく。蹴り飛ばされた騎士も壁に激突し、すぐに動けそうにない。その一連の状況を、クリースティアラ公女は息を呑んで見守っていた。
「クリースティアラ公女殿下っ!」
そこに現れたクリースティアラ公女より少し淡い青い髪に丸で氷を思わせる瞳をした娘……クーデリア=アッシュロードだ。
元はレイジー侯爵の娘だったが、とある理由でアッシュロードに引き取られた。『称号 加速者』を持つスイースレン公国指折りの実力者。
学園時代に全学園交流試合で優秀な成績を収めたくらいだ。尤も翌年からアークの関係者が毎年優勝されて目立たなくなったが、それでも実力者に変わりない。
「はっ!」
もう凄い勢いでやって来てその勢いを殺さず戦巫傀儡を斬る。戦巫傀儡は、右手のチャクラムで応戦するがそのチャクラムが豆腐のようにあっさり斬れる……否、焼き斬った。
戦巫傀儡は、バックステップで下がると左手のチャクラムを投げる。それを難なく弾くクーデリア。
「脅威度……上方修正」
機械的な声を漏らすと、戦巫傀儡は『ガコン』と両脇を開く。その内部には無数のチャクラムが納められており、それを取り出し構えた。
そして、もう一体の戦巫傀儡がクーデリアを後ろから攻撃しようとするが、クーデリアに遅れて数人の騎士が現れ、そちらの相手を引き受ける。
チャクラムを両脇から取り出した戦巫傀儡は、一瞬で間合いを詰める。
「速い!」
クリースティアラ公女が目を丸くし呟く。
しかし速いのはクーデリアの十八番。何せ『称号 加速者』を持っているのだから、冷静に手に持つ剣で弾く……いや、焼き斬る。
「目的遂行ヲ行イマス」
戦巫傀儡は、両脇から再びチャクラムを取り出しつつ一瞬でクーデリアの側面に周る。それを冷静に捌いて行く。
数人の騎士達ももう一体の戦巫傀儡と戦う。先程のレベルの話に触れたが彼らは学園を卒業したばかりなので、一般的な騎士にも劣り30~40と言ったところだろう。数人いても苦戦は免れない。
バタンっ!
そんな混乱の中、クリースティアラ公女の後ろで倒れる音がしたので、彼女は振り返った。侍女が床に崩れている。それと……、
「……誰!?」
三白眼で目付きの悪い男――バリガリスが廊下の奥から現れた。
「ご機嫌よう、公女殿下」
「誰と問うてるのです」
今にも膝を付きそうな程の恐怖を感じながらクリースティアラ公女は気丈に振舞う。
「悪い奴に決まってるだろォ。なァ?」
「えっ!?」
一瞬の事だ。バリガリスが消え気付けば抱えられていた。
「こ、公女殿下!?」
戦巫傀儡と戦っていた騎士の一人がバリガリスに抱えられたクリースティアラ公女に気付く。
そして、音もなく空間が捻じれ……バリガリスが数歩先に転移する。
「短距離転移……!?」
一人の騎士が叫んだ。バリガリスは地を蹴る代わりに、数メートル単位の転移を連続して繰り返していた。普通の足音と転移音が混じり、視覚では追えないほどの速度になる。
「速い……追いつけない……!」
騎士の一部が追いすがるが、あっという間に距離が開く。
その中、激しい憎悪が揺らぎ今にも黒い何かが出るのではないかという気配を出しつつ、それでいて瞳がどんどん冷めていく。相手を凍らせるのではないかと思わせるものだ。
「……脅威度……爆発的に……」
それは人形ですら怯むほどの、凄まじい気迫だった。
「……邪魔」
クーデリアが横に剣を払う。たったそれだけで、彼女と対峙していた戦巫傀儡の首が宙を舞った。
「バリガリス……ッ!」
彼女が思うのは公女を奪われたという危機感ではない。……仇を見つけた、という確信。復讐の炎が、静かに燃え上がる。
「静止世界」
クーデリアの姿が消える。
それは自分自身を超加速させ、周囲が停止したかのように錯覚させる技。超スピードで動いているにも関わらず『静止世界』と名付けられたのは、彼女の過去に囚われた皮肉な心の現れ……家族を奪われた過去から、一歩も前に進めない自分を象徴する皮肉……それが復讐の速度になる。
尤も今の彼女は幼馴染のローゼインのお陰で、少しは前に向けるようになったが、それでも仇を目の前にすると冷静ではいらない。
廊下に残されたのは、倒れた数人の騎士と倒れた侍女達。それに彼らは、気付いていない……尚も侵入を続ける戦巫傀儡達に。
迎賓館は完全に戦場と化し――朝の静けさは跡形もなく消え去っていた。




