EP.36 この白でした
「<風魔手裏剣>」
龍気を籠めた風魔手裏剣を放ちながら、東門へと駆ける。放たれた刃は夜気を裂き、人形どもの群れを切り崩していった。
風魔手裏剣とは風の魔法の手裏剣。……風魔忍者の手裏剣じゃねーのか、というツッコミは前にした気がする。
ただの魔法ではこいつらは壊せない。無機質な体は異様に硬く、普通の一撃ではびくともしない。だから龍気を籠める。龍気は魔法を底上げする力を持っているようだった。
だが、それにしても――町中にまで溢れ返っているこいつらは何なんだ? どうやって侵入したのか見当もつかない。だが、仕掛けた奴なら心当たりはある。群れを潰し続けてもキリがない。……本丸を叩くしかないか。
人形が両手に握っている輪――一瞬、フラフープに見えて変な声が出そうになった。いや、もっと小さい。あれはチャクラムか? 投擲にも使える暗殺者向けの武器だったか……まあ、細けー事は良い。とにかく、こいつらはそれを構え、無表情のまま殺到してくる。
雑念を振り払いつつ、次々と風魔手裏剣を投げ、東門へと辿り着く。
案の定、そこには西門・北門に比べて防衛の手が圧倒的に薄い。先に二方向から攻め込まれ、さらに町中にも現れたことで対応しきれていないのだろう。騎士も冒険者も手一杯といった様子だった。
「助太刀する」
腰の飛竜の小太刀を抜くと、門の外にいた人形の首が二つ、風を切る音と共に宙へ舞った。首が石畳を転がる音が、周囲の喧騒の中で妙に耳に残る。
戦場の空気が一瞬だけ張り詰めた。人形と斬撃の間に割り込んできた何者かに、騎士たちの視線が集まる。
「君は……?」
一人の騎士が戸惑い混じりに声を漏らす。俺が一瞬で二体を斬り捨てたせいだろう。周囲の空気に驚きと警戒が混ざる。
「冒険者のアークだ」
懐からギルドカードを取り出して見せる。
「え!? や、【夜刀神】……殿?」
その声に、場の空気が一変する。次の瞬間、周囲の騎士や冒険者達が一斉にこちらを振り返った。
おい、こっちを見るな、戦え。今はそういう時間じゃねぇだろ!
「<風魔手裏剣>」
援護でいくつもの手裏剣を飛ばし、門の外へ突っ込んでいた人形の数体をまとめて吹き飛ばす。
その一撃で戦線の一角が一瞬だけ空く。そこでようやく騎士たちが我に返ったように、ざわめき始めた。
「ご、協力感謝します。Aランク冒険者の助っ人とは有り難い!」
「【夜刀神】だってよ?」
「知らないな……」
「でも、Aランク冒険者だぜ!」
「俺たち……助かるのか?」
「良かった〜……!」
「数が多いし、硬かったんだよなー!」
お前ら今戦ってんだろ! 油断すんな!! こっちは援護してる間もチャクラム飛んできてるんだぞ!!
「全員下がってろ。門の中まで!」
怒鳴ると、全員が一瞬固まり、間の抜けた顔をこちらに向ける。
「「「「「へ?」」」」」
「今から、大本を引きずり出す。下がれ!」
目を丸くした連中が、ようやく我に返って動き出す。とはいえ素早く下がる者もいれば、俺を睨みつけて動こうとしない奴もいる。
……勝手にしろ。忠告はした。後は知らん。
「おい! アルノワール! いるんだろ? 出て来い!」
人形の首を撥ね飛ばしながら前進し、声を張り上げる。すぐさまチャクラムが飛んできたが、風魔手裏剣を放って全て弾き落とし、そのまま投げた相手を貫いた。
静寂が――一瞬、空気を包み込む。
「ククク……やはり気付きましたか。アークさん」
ゾクリ……ゾクリゾクリゾクリ……!
全身を這い回るような悪寒が一気に這い上がってきた。視界がわずかに滲み、空間がねじれるようにアルノワールの姿が浮かび上がる。幻魔法で隠れていたのだろう。
「やはりてめぇか! アルノワール」
「ククク……流石ですね、アークさん」
その笑みを見た瞬間、背中から首筋にかけて一気にゾクリゾクリと寒気が走る。
全身の血が下へ流れたような、底冷えのする不快感。コイツはそういう存在だ。
「ところでアークさん、取引しませんか?」
「取引……だと?」
喧騒の中、その声だけが異様に透き通って聞こえた。人形たちの軋みも、兵たちの怒号も遠ざかる。戦場の空気が一瞬で異空間に塗り替えられる。
右の小太刀を外へ払う。刃が風を裂き、首が一つ宙を舞う。左の小太刀で飛んできたチャクラムを弾き、甲高い金属音が響いた。
「えぇ……。エーコさんに聞いてると思いますが、私は貴方と話し合いをしたいのですよ」
黙れ。今更何を――! <縮地>!
風魔法で一気に踏み込み、一瞬で間合いを詰める。だが、斬撃が空を裂いた。
アルノワールの姿は、まるで霧が溶けるように消え、そこにあったはずの気配までも薄く霞んでいく。
「……邪魔法か」
「正解です」
肯定する声が右前からする。それと同時に気配も漂う。
邪魔法は脳を騙す。こいつはそこにいると俺の脳を騙したのだ。だから、気配もそこにいると俺の脳が誤認した。
「ククク……貴方が話し合いをして頂けるのでしたら、今回の件から手を引いても良いですよ」
「今更信用できると思ってるのか?」
この世界に来てから、裏で糸を引いていたのは全てコイツ。虫唾が走るだけだ。
「仕方ないですね」
肩を竦め、首をユルユルと横に振る。その動作一つ一つが、ゾクリゾクリと肌を逆撫でしてくる。背中の産毛が粟立ちになる。心臓が嫌なリズムを刻み始めた。
「<邪重力魔法>」
来た――!
空気が押し潰されるような圧力が、一瞬で全身を覆う。肺が握り潰されるように縮み、膝が勝手に折れた。地面に叩きつけられるように身体が沈む。
四年半前と同じだ。あの時も、俺は地べたに這いつくばった。だからこそナターシャは置いてきた。彼女では、これに抗えないかもしれない。
……だが、ナターシャのヴァルキリーメイルには【付与月姫】のノルンが施した護邪結界がある。邪を完全に退けられるかもしれない――それは切り札になる。
だからこそ、今ここで彼女を晒すわけにはいかない。
「何だこれは!?」
「ぐぉぉぉぉ!!」
「潰れる~~~!」
背後で冒険者や騎士たちの悲鳴が上がる。忠告を無視した連中だ。圧に押し潰され、藻掻き、叫ぶ。
《称号 大英雄が発動しました》
全身にかかる圧力が、ほんの少しだけ緩む。……コイツが『世界の敵』と認定された。大英雄はある程度邪を退ける力を持つ。完全ではないが、肺が細く息を繋ぐ程度には押し返せる。
「もう一度聞きます。アークさん、話し合いをする気は?」
……答える代わりに、視線を突き刺す。
<龍気鑑定>
名前:エステ=ブラン
年齢:✕✕✕✕✕
レベル:✕✕✕✕✕
種族:✕✕✕✕✕
職業:✕✕✕✕✕
何だコイツ? 年齢~職業まで✕✕✕✕✕じゃねーか。まあ称号にあんなのがあればこうなるのか?
にしても名前が真逆。『あの黒』とか偽名を名乗っておきながら本名は『この白』じゃねーか。ふざけやがって。
「くどいぞ! アルノワール……いや、エステ=ブラン」
一気に立ち上がると同時に、両小太刀を閃かせる。だが、群がる人形が壁のように押し寄せる。
邪重力の圧に耐えながら、斬撃で首を飛ばす。飛び交うチャクラムを弾き、風魔手裏剣で遠方を撃ち抜く。
「……………………驚きましたね。私の鑑定偽装を突破しますか」
一瞬、ブランの目が僅かに見開かれた。だがすぐに、不気味な笑みに戻る。
「鑑定を突破したって事はイエスって言う事はあり得ないって分かるような?」
「……………………」
「なぁ邪神の使徒?」
そう称号にそんな意味不明なのがあったのだ。邪神だぞ。もう100パー信用出来ない。
「うわ~~~!」
「助けてくれ~~!」
「ぎゃああああ!!」
邪重力魔法に圧し潰されている連中に人形が群がる。
「大丈夫か!? 今、たすけ………ぐわっ!」
「何だこれは!?」
倒れていた連中を助けようとした騎士達が次々と巻き込まれ、まるでミイラ取りがミイラになるかのようだ。
だが奇妙なことに、邪重力魔法の効果範囲は東門の外に限定されていた。門の内側には影響が及んでいない。
「ほら!」
「なにを……!」
倒れている騎士や冒険者達を次々と掴んで門の内側へと放り投げる。斬撃と風魔手裏剣で空間をこじ開けながらの強行だ。
クソが……! 余計な体力を使わせるな。
「良いか? もう一度言うぞ。絶対に門から出るな!!」
怒鳴り声が戦場に響く。
ブランへと再び視線を向け、足を踏み出す。その瞬間、飛び交うチャクラムを弾き、風魔手裏剣を連射しながら、押し寄せる人形の首を次々と叩き斬る。
「おらっ!」
「<闇防御魔法>」
ガキィィンッ!
ブランの前に展開された闇の盾が、小太刀を完全に受け止める。火花が散り、重い衝撃が腕を伝う。
「邪魔だっ!」
周囲の人形を斬り伏せながら、再び間合いを詰める。しかし、ブランは一歩も退かない。闇の盾を展開し続け、余裕の表情でこちらを観察している。
「邪魔だ!」
群がる人形を斬る。四方八方から飛んで来る。チャクラムを弾く。時に風魔手裏剣を投げて遠くの人形を潰す。
そうしつつチャンスがあればブランを攻撃するがブランは余裕綽々に闇防御魔法で防がれる。
「アークさん……」
ブランの目が細められる。
「以前とお会いした時と、あまり変わっておりませんね? 本当に辰の道場で修行されていたのですか?」
「うるせーよ!」
それは……俺が一番よく分かってるんだよ!!
「あ~~~邪魔だ!!」
再び風魔手裏剣と斬撃を交互に叩き込む。だが数が多い。次から次へと湧いてくる人形が、まるで終わりがない群れのように押し寄せてくる。
額から汗が滝のように流れる。どれだけ斬ったか分からない。数えるのも馬鹿らしくなるほど潰しても、尚も押し寄せる。
「ククク……もう話し合いに応じたらどうですか?」
「…………我が家の家訓にこんなのがある」
斬撃の合間に、息を吐きながら呟く。
左右から飛び込んできた人形を、両小太刀で交差するように一閃――二つの首が空を舞った。
「邪神の使徒に会ったら、足蹴にしろってな」
「どこの家訓ですか!?」
ブランの眉が、わずかにピクリと動いた。
「ん?」
……この闘気は――!?
「お前……まさか……」
「やはり気付きましたか。そうです」
ブランの口元が、愉悦に歪む。
「クソが!」
「……クリースティアラ公女を攫いました」
してやったりの笑み。だが俺の返答は、ブランの予想を裏切るものだった。
「あ、そっちはどうでも良い」
「はい!?」
即座に崩れる顔。こいつにとって意外だったんだろう。
「それが攫われているのは気付いていた」
気付いていた。だが、別に顔見知りでもなければ、エーコや沙耶が親しくしていた訳でもない。俺にとっては、正直どうでもいい存在だった。
「クーデリア」
……だが、彼女は違う。
どうやらコイツには感知能力がないらしい。だけど俺は四年半の修業で一度感じ取った闘気が覚え近くにいるなら感知出来るようになった。
『これはベジ〇タの気だ!』という龍玉のアレが使えるようになったのだ。
「クソ!」
一瞬で判断がついた。戦い続ける理由はここにはない。今は撤退だ。クーデリアを追い掛けるのが先決だ。
「行かせませんよ。<邪氷結魔法>」
俺の進行方向に邪魔法で作られた氷の壁が現れる。これが脳を騙しそこに氷があるように思わせる。だから消そうとしても実際にそこにないのだから消えない。かと言って触れれば脳が騙され凍傷する。
これじゃあ……、
「ククク……四年半前の再現ですね」
ブランの笑みが夜の中で歪んだ。ゾクリゾクリと背中を這い上がる寒気。あの頃と同じ空気が戦場を満たしていく。
――――尤も、あの時と違って踊るのは俺じゃないが。